相模原市にある神奈川県の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が殺害され、26人が重軽傷を負った事件から、7月26日で10年です。
事件を起こし殺人の罪などで死刑が確定した植松聖死刑囚は、事件の5か月前まで施設で働いていた元職員でした。
施設の再建後、園長に就任し事件に向き合い続けて来た男性の10年を見つめます。
(横浜放送局記者/古賀さくら)
奪われた19人の命 悩み続けて…
津久井やまゆり園の永井清光園長。
月命日には欠かさず、施設にある慰霊碑に手を合わせています。
永井清光 園長
「日に日にこの十字架の重さというものは、当初に比べても重くなっている。起きたことの重大さ、19人の命が奪われたという重さといいますか、ずっとそこは考えて、悩み続けています」
“どこにでもいる青年だった”
施設で働いていた頃の植松死刑囚の写真です。
仕事に就いた当初は、利用者を「かわいい」などと話し、笑顔で接していたといいます。
永井さんは、当時、総務課長として、指導に直接、関わっていました。
永井 園長
「本当に普通の青年、どこにでもいる青年でした。施設で頑張って、利用者さん支援に尽力したいという思いはあったと思います」
自分たちの行動 犯行の動機に?
しかし、その3年後、事件は起きました。
意思疎通ができない人を、心を失った「心失者」と呼び、差別的なことばを繰り返した元職員。
裁判で「施設の職員が利用者を人として扱っていないと感じた」などと主張し、判決では「犯行の動機は障害者施設での勤務経験や体験を踏まえたものだった」などと指摘されました。
自分たちの支援や振る舞いが、元職員にゆがんだ思想を形作らせてしまったのかー。
永井さんにとってこの10年は、その問いと向き合い続けた葛藤の時間でもありました。
永井 園長
「(当時の施設で)手を抜くような支援とかがあって、彼がそこでなにか感じ取ったものがあったのかもしれない。職員だった彼が、最終的にああいう発言をして、こういう行為に及んだのは事実なので、そこを完全に我々が否定できる話ではなくて、そういう不適切な部分というのはあったのかなと思います」
意思に寄り添い 尊重できる施設へ
5年前に再建された施設で園長に就任した永井さん。
すべての職員が、利用者一人ひとりの意思に寄り添い、尊重できる施設にしようと率先して取り組んできました。
10年前のあの日、元職員に襲われながら一命を取り留め、今も施設で暮らす利用者がいます。
島田昌尚さんは、ほとんど話すことができません。
島田さんの意思をくみ取ろうと、その身ぶりや手ぶりに、職員たちは注目しました。
ふだんの生活のしぐさから、なにを伝えようとしているのか、20種類以上の表現をまとめて、職員同士で共有しています。
「『床屋さん』ってどうやって聞くの?」
「『ちょっとだけ』ってどうやるの?」
「ドライブに行きたい?」
「ご飯を食べに行きたい?」
職員たちは、尋ねながら、島田さんなりのやり方で意思を伝え、職員たちが受け止めます。
職員
「本人は何を発信しようとしているのか、本人は変わらずにどういう風に受け止めるか、変わっていくのは職員の受け取り方だと思います」
以前は自分の部屋にこもりがちだった島田さん。
最近は、自分から人が集まる場所に顔を出すことも多く、笑顔が増えたといいます。
「島田さんどうですか?おいしいですか?」と職員が尋ねると、「うん」と答えながら、笑みをこぼしていました。
永井 園長
「笑顔で生活をされて、うれしいとか、怒ったり、悲しんだり、毎日の中でそういう感情があって、いろんなこと考えていると思います。意思があって、心があって、それで一緒にわれわれが共に歩んでいく」
一人ひとりの言葉にならない意思をくみ取り、寄り添い続ける。
永井さんは、そのことが施設で暮らす利用者のことを「心失者」と呼んだ元職員のことばを否定することになると考えています。
永井 園長
「どんなに重い障害があっても、一人ひとりには、感情もあって、思いもあって、心が生きています。決して心失者なんかではありません。彼の考えを否定する形で、利用者さんが今、これから望む暮らしを、どう実現していくか、それをわれわれがどう支援していくか、一人ひとりがそこを考えていくことが大事なのではないか、問われてるのではないかと思います」