相模原市の知的障害者施設で、入所していた19人が殺害された事件から10年です。
19歳で犠牲となった美帆さんの母親は、今よりほんの少しでも“優しい社会”になってほしいと願い続けています。
母親によりますと、美帆さんは自閉症で重い知的障害がありましたが、感情表現が豊かで態度などで自分の意思を伝えてくれたといいます。
美帆さんの母親
「笑顔がすてきで、言葉はありませんでしたが、自己表現をするのが上手。車に乗りたいと鍵を持ってきて、靴を履いて準備するなど意思疎通ができていたと思います」
母親
「美帆は何も悪くないのにただ障害があるから、言葉がないからといってなぜ殺されなければならなかったのか、いまだに分かりません。事件直後は、パニックのような悲しさで、事件を受け止められずにいました。今は、ひしひしと本当に美帆はいないんだという悲しさを感じています」
悲しみの感じ方に変化が生まれているという母親。
その中でもあの日から変わらないと話すのが県や施設への複雑な思いです。
事件の後、県が毎年、追悼式典を開いていますが、これまで出席できずにいます。
遺族としての思いを広く伝えたいと思う反面、県や施設が事件を防ぐことはできなかったのかという気持ちが胸から消えずに残り続けているからです。
母親は、ことしも追悼式典には参列しませんでした。
NPO法人の店で働く人たちとの交流が支えに
突然、娘を失った悲しみの中で、母親の支えになってきたのが、事件をきっかけに交流を続けている横浜市のNPO法人の店で働く人たちです。
このNPO法人では障害者への理解や地域住民との交流を目指し、市内の団地の中でパン屋や弁当店、雑貨店を営んでいます。
美帆さんの誕生日には、好物だったから揚げを作って母親を招いてみんなでお祝いをしたり、毎年、メッセージカードを作って渡したりして、交流を重ねてきました。
母親は、地域住民とこうした交流ができる場所が広がることが、“優しい社会”につながるのではないかと考えています。
母親
「障害のある人とも直接触れ合うことで、“障害がある”という考え方ではなく、この人はこういう人なんだ、こういう個性があるんだということが分かります。一人ひとり違って、みんなすてきだというのが分かると思います。この10年であの事件が生かされ、社会が大きく変化したとは思えません。共生社会って何ですかって聞かれても、私はこれですとは答えられないです。だけど、ほんの少しでも人に優しかったり、互いを思いやったりして、今より“優しい社会”になることが、共生社会に近づいていくのかなと思います」
母親をそばで支えてきた美帆さんの1つ年上の兄も、これまでみずから口にすることはなかった思いを語りました。
美帆さんとの思い出について、食事の時にから揚げやウインナーが好物だった美帆さんに取られたり、だだをこねる美帆さんを注意してよくきょうだいげんかもしたりしたといいます。
兄は、10年がたつ今も事件へのやりきれない思いが続いているとし、「美帆が生きていたらという気持ちは変わらないです。母が悲しむこともなかったし、事件を機にいろいろなことが変わってしまい、悲しいというか、納得できない感情が心の隅に残り続けています。美帆は誰かに恨まれるような人ではありませんでした。死刑囚の言っている事も納得できません」と変わらぬ強い怒りを口にしました。
また、国などが進める共生社会について「正直、何が正解かは分からない」としつつ、かつて美帆さんが騒いだり、飛び跳ねたりした時に周りの人からにらまれた経験を明かしました。
美帆さんの兄
「私の言葉で言うなら、美帆みたいな人が飛び跳ねたりしても“にらまれない社会”が共生社会なのかなと考えています。にらまれるとどうしてもその場に居づらくなります。少し遠巻きに見守るくらいでいいんです。騒いでもにらまれなくてすむ社会になってほしいです」
事件から10年 母と兄が献花に
事件から10年となる26日、美帆さんの母親と兄は美帆さんのお墓を訪れ、花と線香を供えて手を合わせました。
このあと、施設を訪れた2人は、敷地内に設けられた「鎮魂のモニュメント」の献花台に花束を手向けて手を合わせ、美帆さんと犠牲となった人たちを悼みました。
そして、モニュメントに刻まれた美帆さんの名前に手を触れ、今月新たに11人目として加わった26歳で亡くなった満里奈さんの名前をじっと見つめていました。
母親
「向こうの世界でもみんなと一緒に仲よくして楽しんでね、と伝えました。こういう事件が二度と起きないように、もう少し思いやりがあったり、優しい気持ちでいてくれる人が増えることを願っています」
兄
「10年でこれほどモニュメントに刻まれる名前が増えると思っておらず、美帆の隣にまた1人増えたので良かったです。施設まで来る途中、母の運転で美帆と出かけている時のことを思い返していました。障害というカテゴリーにとらわれるのではなく、もっとその人自身のことが見られるような社会になってほしいです」