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津久井やまゆり園事件10年 職員たちの闘い

相模原 障害者施設殺傷事件

「僕の後ろめたさからくる何かだと思います。取材を受けようと思ったのは」

19人が殺害された津久井やまゆり園の事件から10年。事件を起こした植松聖死刑囚は、動機として「意思疎通のできない人間は生きている価値がない」という差別的な主張を繰り返してきた。

そのことばと向き合い続けてきたのが、園の職員たちだ。事件直後は決して口を開かなかった職員たちが、10年たって初めて葛藤を語った。

明かされたのは、“ゆがんだ思想に自分たちも影響を与えたかもしれない”という悔恨。そして、事件が投げかけた“問い”との闘いの日々だった。

駆けつけた職員が明かす 凄惨な現場

事件が起きたのは、2016年7月26日の未明。

5か月前まで施設で働いていた植松聖死刑囚が、施設に侵入して職員を拘束し、入所者を刃物で次々に刺していった。19人の入所者が殺害され、26人が重軽傷を負った。

拘束された職員の証言では、犯行時、植松死刑囚は入所者が話せるかどうかを何度も確認していたという。

拘束された職員の証言より
「利用者を守るため、『しゃべれます』とうそをつきました。しかし、犯人は『こいつはしゃべれないじゃん』と言って、首元辺りに2、3回刃物を振り下ろしました。『あなたは誰ですか、なんでこんなことするんですか、やめてください』と繰り返し言ったところ、『宇宙から来た植松だ。お前と同じここの職員だった。こんなやつらは生きている意味はないんだ』などと答えました」

事件当日の早朝、職員寮にいた芝崎康宏さんは、ドアをたたく音で起きた。

芝崎康宏さん
「ふだんだったら寝ているはずの職員がどんどんどんどんと家の扉をたたいてきて、何事かと思った。拘束された職員は、被害に遭われた方をおそらく目にした状態で来ていたので、パニックに近いような状態で、侵入者がいる、とにかく通報してくれっていう感じだった」

事件直後に現場に駆けつけた小林智さんは、凄惨(せいさん)な現場の様子が忘れられないという。

小林智さん
「居室の出入り口から廊下にかけて、血が一面に付いている状態。夏場だったので、かなり血のにおいがすごくて、血のにおいというのはまだ鼻の奥に覚えている」

犠牲となった1人の美帆さんは、当時19歳だった。遺族は、今もやりきれない思いを抱え続けている。

美帆さんの母
「ただ障害があるから、ことばがないからって、なんで殺されなきゃいけなかったのか、なんで死ななきゃいけなかったのか、本当にいまだにわからない。私が園に預けなかったら。すごく申し訳ないというか、私が預けちゃったからっていうのはあります。常に消えることはないです。たぶん、ずっと」

植松死刑囚が採用された当時総務課長を務めていた園長の永井さんは、なぜ事件を止められなかったのか。悔恨を抱き続けている。

永井清光園長
「殺害された19人それぞれに人生があった。この事件を防げなかった。彼に関わったという立場で考えると、犠牲者にもご遺族にも、本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。本当に自責の念がずっと続いています」

“ゆがんだ思想に自分たちも影響を与えたかもしれない”

2012年に施設で働き始めた植松聖死刑囚は、当初、入所者を「かわいい」と話し、笑顔で接していたという。

津久井やまゆり園で働いていた頃の植松死刑囚

しかし、事件を起こして逮捕された後、植松死刑囚は、重度の障害がありコミュニケーションが難しい人のことを「心失者」と呼び、「生きている価値がない」という主張を繰り返した。

裁判では、施設の勤務経験について、「(入所者に対し職員たちが)命令口調で、人に接する時の口調ではない。人として扱っていないと思った」、「食事も流し込むだけで(入所者は)人間ではないと思った」などと証言。判決では「施設での勤務経験などに基づき、動機が形成された」と指摘された。

植松死刑囚が採用された当初、同じ部署で働き指導も行ったという、小林智さん。

未経験で障害者福祉の仕事に携わることになった植松死刑囚と自身の姿を重ねることもあったという。しかし、それから数年で犯行に至る思想を抱かせてしまった一端を自分たちも担ったのではないかと葛藤を続けてきた。

小林智さん
「最初は普通の青年で、僕も福祉を学んでこの仕事をしてきたわけじゃないし、自分と似ていたようだった気もするんですよ。その彼が、そこまで犯罪を起こすようなことになってしまった。事実として、津久井やまゆり園で働いている中で、彼はそうやって変化をしていってしまった、陥ってしまったというところを考えれば、自分たちの支援を見て、そういう考えに至ってしまったんじゃないか」

入所者を一緒に介助したことがある虫賀信也さん。この10年繰り返してきた自問のことばを、初めてカメラの前で明かした。

虫賀信也さん
「しょく罪じゃないですけど、僕の後ろめたさからくる何かだと思います。取材を受けようと思ったのは。おそらく僕らのことばの端々に、障害者蔑視(べっし)とか、強いものが弱いものを見るみたいな見方があって、彼はそういうものを敏感に感じたのだと思う。亡くなった人たちの近しい人間として本当に強い怒りはあったし、でもやっぱり後ろめたさみたいなものもあった」

植松死刑囚のことばを否定するための闘い

自分たちの支援やふるまいが、差別的思想を抱かせてしまったのかもしれない。そこで、園では支援のありかたを見つめ直し、改革に取り組んできた。

柱としたのが、入所者を管理するのではなく、意思を丁寧にくみ取ってサポートする「意思決定支援」だ。

施設の建物の鍵を入所者が開けられるようにしていて、居室の施錠も原則行わないことにした。

少しずつ外に出る経験を積み重ね、自動販売機で好きな飲み物を買うことができるようになった男性もいる。

橋本忠義課長
「入所施設でずっと施錠というのが当たり前の環境の中で自分も育ってきたというか、学んできた。ただ、いろいろな配慮をする中で、自由に出て行けるとか、外に自由に行けるという環境をまずはつくって、利用者にやっていただくというところが1つの目標というか、われわれがやっていくべき支援なのかなと」

改革を進める中で、職員にも変化が生まれている。

事件への後ろめたさを感じてきた虫賀さんは、入所者の小さな変化に気付くようになったという。

3年前(2023年)の小林正人さん

虫賀さんが事件前から支援をしてきた小林正人さんは、以前は、突然物を壊したり他の入所者をたたいたりしてしまうことがあったため、居室の外から鍵をかけることもあった。

現在の小林正人さん

自由に行動できる機会が増えて5年。以前とは変わり、みずから洗濯を干すことなどもできるようになった。

虫賀信也さん
「前の津久井だったら、やきもきしていた。でも、小林さんたちはもしかしたら違うフィルターでものを見ているだけかもしれないと感じるようになった。こういう生き方がある、こういう感覚がある、ということを本当に彼(植松死刑囚)は知れなかった。それを僕自身や、僕の周りの人が感じていられたら、結果的に彼が間違っていたってことを証明することになるかもしれない」

障害者を「心失者」と呼んだ植松死刑囚。そのことばを否定するために、施設の職員たちはそれぞれの闘いを続けている。

芝崎康宏さん
「利用者に意思がないとか、生きる価値がないとか、それは違うというところを、しっかりと支援現場や利用者さんの生活をもって示したい。利用者さんそれぞれに当然、意思があるし、やりたいことをして、うれしいことをしたら、こんな笑顔があるということを多くの人に知ってほしい」

永井清光園長
「どんなに重い障害があっても、一人一人には感情もあって、思いもあって、心が生きている。決して“心失者”なんかじゃない。植松死刑囚の考えを否定する形で、利用者さんが望む暮らしを、これからどう実現していくか、それをどうわれわれが支援していくか。一人一人が考えていくことが大事なんじゃないか、問われているんじゃないかと思います」

社会番組部ディレクター
依田真由美
2015年入局
札幌放送局を経て現所属。

横浜局記者
古賀さくら
2010年入局
前橋局、首都圏局などを経て現所属。「津久井やまゆり園」の事件について10年間取材を続けている。

横浜局記者
前嶋紗月
2019年入局
初任地は札幌局。去年から横浜局で、警察や司法取材を担当。

社会部記者
齋藤怜
2016年入局
水戸局・横浜局を経て現所属。横浜局で事件取材を担当し、現在も継続して取材。

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