幻想史学入門―古代史のはてな?⑤
太宰府の都督府古址―古代の敗戦後論① 室伏志畔
遠い昔、南中国の長江下流にあった呉越の民は、東北アジアの民が馬を使うのと同様に、船を常用した。私はそこから南船系と北馬系と云い方をするのは、日本古代史は東アジア民族移動史の一齣で、列島王権史は南船系倭人によって開かれた稲作社会を、半島経由の北馬系勢力が簒奪する、南船北馬の興亡をその基本矛盾として展開したことによるとしてきた。ここに日本の二重構造は由来し、天皇制の差別構造はここに胚胎する。
島原半島で船大工を父に持つ吉本隆明のルーツが、潮の香りをもち、晩年に『母型論』をものせずにはおれなかったのは、南船系の海士族社会の母系制の名残りを、吉本の家族が留めていたことにあろう。一家が東京の佃島近くに移るのは、そこが江戸の海士族の蝟集地であったことによる。
六〇年安保闘争で鳴らした吉本隆明の故郷が島原なら、その対岸の熊本が三池で鳴らした谷川雁の故郷であった。そここそ「倭は呉の太伯の後」と多くの漢籍が記す、倭王権の最初の入植地であった。三世紀の倭国盟主は邪馬壹国(いわゆる邪馬台国)だが、その「女王国に属さず」と「魏志倭人伝」で唯一記された狗奴国は、『翰苑』に邪馬嘉国とある。熊本には山鹿市があり、隣接し菊池市があることは、そこに狗奴国の官・狗古智卑狗があったことを語る。
「魏志倭人伝」は女王国の南に狗奴国があったとする以上、その山鹿市の北に邪馬台国はあったわけで、遙か東の畿内大和に邪馬台国があるはずはないのだ。それが今、畿内大和説の学者が四千人を越えたと豪語するほど、歴史学会はひしゃげている。
その熊本に「熊襲の公達」を自称した谷川雁が町医者の子として誕生する。熊襲は南船系倭人の別名で、谷川雁の顔は長江文明の三星堆遺跡から出土した黄金マスクの王を思わしめるが、谷川一族は北馬系勢力と深く混血した流れにあると私は見ている。それは熊本に猿田彦大神や月読命の石碑が蝟集することによる。それは皇統に先在する北馬系の倭国王統が熊襲に庇護を求める歴史を持ったことを語る。しかし、これら皇統に先在した王権郎党の多くは東に流れて行く。その意味で九州から物部氏の足跡を陸奥にまで辿った兄・谷川健一の『白鳥の歌』は、私には肥後に留まった谷川一族とはちがい東に落ちた一族の足跡を辿った労作に思える。
その陸奥のどんつきの津軽に太宰治が誕生する。この太宰の遠い出自の淵源に触れた論を、管見の私は知らない。しかし太宰が「百寮の長」を表す漢語に由来することは、筑紫の太宰府へ思考を走らす。記紀幻想を大和中心の幻想の呪縛から解放し幻視するなら、九州から追われた旧勢力の流れに太宰一族を置きたい誘惑が私にある。
その九州の太宰府を大宰府とする官制表記を正史は強いてきた。その太宰府址を何度と訪れたが、その広い跡地に三つの石碑が立ち、その中央の碑に都督府古址の文字が刻まれているのを見る。(上記写真)
都督府とは何なのか? 『日本書紀』は六六三年の白村江敗戦後の六六六年、天智紀六年の閏十一月の記事に、唯一、それはこう登場する。「十一月の丁巳の朔乙丑に、百済鎮将劉仁願、熊津都督府熊山県令上柱国司馬法聡等を遣して、大山下境部連意志積等を筑紫都督府に送る」とある。それを岩波『日本書紀』の注は、「筑紫大宰府を指す。原史料にあった修飾が残ったもの。」とし、九州王朝説の古田武彦は倭の五王が中国南朝から与えられた称号・都督に基づくとしてきた。
しかし、六六〇年に唐は百済を滅ぼすと、唐の占領機関として百済に熊津都督府を置き、さらに馬韓、東明、金漣、徳安にも配置し占領政策を徹底した。また六六八年,唐は高句麗を滅ぼすと、同じく安東都督府を置き占領政策を押し進めた。この間に、百済再興のために倭国は半島に軍を派遣し、六六三年に白村江の戦いで唐に敗れる。それを『旧唐書』は四度戦い、「煙焔、天に漲り、海水、皆、赤し、賊衆、大いに潰ゆ。」と簡潔に倭軍の敗北を記す。唐に敗北した百済と高句麗に占領機関としての都督府が置かれたなら、その間の白村江で敗戦した倭国の首都・大宰府に置かれた筑紫都督府が、唐制の占領機関以外の何であるのか。先の『日本書紀』の一文は,百済の熊津の唐の占領機関から倭国の大宰府の唐の占領機関への派遣記事なのだ。
この歴史事実を倭国に代わった日本国は,白村江の倭国敗戦を日本国の外交政策の手違い程度にごまかしてきた。それは満州事変以来の十五年年戦争の結果としての一九四五年の敗戦を、終戦として指導者の責任を曖昧にしてきた戦後政治のあり方に重なる。
その唐の占領機関が倭国の天子のあった大宰府の中心に設置されたことは、GHQ(連合軍総司令部)が皇居に置かれたに等しい。しかし、アメリカの日本国占領政策は、天皇制と妥協し、皇居前の第一ビルを占拠し、睨みをきかせるに止まった。古代の倭国敗戦は現代の日本国敗戦よりも厳しいものであったのだ。
記紀史観の成立以来一三〇〇年、史家はこの現実を見ることなく、皇統一元の日本国の不敗神話を喧伝して、「倭国はかつての日本国のまたの名」と過去の倭国史にまで君臨する嘘を、正史をなぞり発言してきた。
天皇制とは過去の簒奪による、現在および未来への君臨を期す、厚かましい簒奪装置以外ではないのだ。→続く
○目次
倭国の地、北九州を旅して
ー鈴木元輝
赤い材の行方
天武紀下の透かし読み
ー越川康晴
随筆 難波津の歌ごころ
ー大芝英雄
古田・安本論争-邪馬壹国論
ー室伏志畔
○年6回発行 年会費3000円
○新会員先着30名に室伏志畔著『薬師寺の向こう側』を謹呈
○連絡先
住所 〒586-0073 河内長野市大矢船3-1-201
℡ 0721-63-7672
大阪講演会 福永晋三講演会
テーマ「神武東征と魏志倭人伝」
日時 7月16日(土)午後1時~4時半
講師紹介 福永晋三氏は「神功皇后紀を読む会」を主宰、
近著『真実の仁徳天皇』(不知火書房)
場所 大阪市天王寺区堀越町8-15 吉田ビル2階
阿倍野ステーションビルをハルカスの反対側に出て、谷町線沿いに四天王寺方向に150メートルほど北に進むと、和菓子の「南春日 あもや」と呉服屋「和の心 粋美」の看板のあるビル。その横のドアから吉田ビルに入り、二階が会場。
第1回「古代史を楽しむ会」 2012.7.24
講演・座談 歴史の中のかぐや姫 室伏志畔
わいわいとまず、古代史をかぐや姫の悲劇をたどり直すことから、与えられた記紀史観を一緒に動かし、本当の歴史を奪回するおしゃべりに参加しませんか
会場案内
演題 歴史の中のかぐや姫
日時 7月24日(日)午後1時一4時半
場所 大阪市天王寺区堀越町8-15 吉田ビル2階
阿倍野ステーションビルをハルカスの反対側に出て、谷町線沿いに四天王寺方向に150メートルほど北に進むと、和菓子の「南春日 あもや」と呉服屋「和の心 粋美」の看板のあるビル。その横のドアから吉田ビルに入り、二階が会場。
講師 室伏志畔 大芝英雄
会費は無料で、資格は問いません。素人大歓迎
連絡先 08038096373 吉田安夫