第97話 ダーティーファイトとこちら側 


 オリエンテーションの残り日数は、今日を含めてあと4日ほど。


 そして、オリエンテーションの課題は3つ。


1.ラズベリーパイを使用した自動走行ロボットの作成

2.サンドボックス環境の作成と結果レポートの提出

3.AWSの演習問題


 上記の3つを上から順番に手を付け、1日おきに佐藤先生に優劣を判断して頂く。これが、安瀬と西代が制定した決闘のルールだ。


「さてそれじゃあ早速、妨害プランの話に移ろうか」

「そのぶれない姿勢は流石だと思うがまずは落ち着いて話をしようぜ、な?」


 初っ端から荒ぶろうとする西代さんに、必死に待ったをかける。


「なんだい? 僕が珍しく学業に精を出そうとしているんだ。出鼻を挫かないでくれ」

「そのやる気は正しく使おうぜ…………西代ならさ、実力であの課題を解けちゃうんじゃないのか? ほら、お前ってパソコン超得意だろ?」

「まぁね」

「だよな? それなら別に、妨害なんてする必要は──」

「シンプルに面倒だ。正攻法よりも、力技で片づけた方が手っ取り早いし確実だよ」

「そりゃあ、そうなんだろうがよぉ……」


 このオリエンテーション課題の趣旨は『生徒の自主性を育て、問題解決能力を培う』という物であって、決して『敵対する勢力の進捗を妨害・破壊する』という物ではない。


 なので趣旨に反し、真面目に課題に取り組むであろう安瀬の不意を突けば、それでおしまいだ。西代の勝利はあっさりと確定する。


「なぁ悪い、西代。ここは俺の顔を立ててくれないか? あんまり、デタラメはしたくないんだよ」

「これは僕の土下座を賭けた勝負だよ? 僕がコードを書いて、テスト環境も用意して、演習問題まで自力で解くっていうのに、君は僕のやり方に制限を付けるつもりなんだ」

「うっ」


 恐らく何も役に立たない身としては、文句のつけようがない反論だった。


「そこをなんとか頼む……この通りだ」


 頭を45度ほど傾ける。最も誠意が表せる最敬礼の姿勢。俺にできるのは情に訴えることだけだった。


「……仕方ないね。君がそこまで頼み込むのなら、普通にやろうか」

「おぉ、さすが西代さん!! 話が分かるぜ!!」

「まぁはちゃんと掛けるけどね……というか、普通にやらせたいのなら君もしっかり働いてくれよ?」


 そう言って、西代はスマホを弄り始める。数秒ほど待っていると俺のスマホに通知が届いた。


「麓のショッピングモールまで降りて、おもちゃ屋さんで買い出しをお願い。今スマホに送ったリストの品物を揃えてくれ」

「は? おもちゃ屋?」

「1つ目の課題にモーターと車体が必要なんだ。センサーとボードを無理やり取り付けるから車体がなるべく大きい物を選んでね」

「お、おう。そうか……」


 正当に課題をこなすには、俺には理解できない物を作らねばいけないようだった。


「ん? というかモーターとかの制御って、機械科の学習内容じゃないのか?」

「プログラムを使った機械制御、組み込みシステムは立派に情報分野だ。僕たちが作るのは、その定番課題。詳しく知りたいならライントレースカーで検索してみなよ」

「…………そもそもなんだけど、西代って何でそんなにパソコン関係に強いんだ?」


 不真面目ではあるが、俺だって単位を落とさないレベルで勉強している。だけど西代との知識量は天と地の差。とても同い年とは思えなかった。


「……別に、大した理由じゃないよ。3年くらい、パソコンを弄るくらいしかやる事が無かったってだけさ」

「? 高校の時、パソコン部だったとか?」

「そんなところ……。さぁ、僕の事はいいから早く買い出しに行って来てくれ。その間に、僕はコードを書いておくから」

「あ、あぁ……」


一瞬見えた、西代の退屈そうな顔。


 そこに踏み込むことを、俺はしなかった。


***********************************************************


 ライントレースカーとやらの作成は、西代の技量が高いおかげで呆気ないほど簡単に終わった。


 俺が車体を組み上げて、西代がプログラム、配線、センサーの取り付けを担当し、出来上がった機体は紙のコース上を問題なく走行した。この出来なら、明日の勝負は西代が勝ちを拾うだろう。


 そして、作業を終えたその日の夜。


「それで猫屋、そっちはどんな感じだったよ」

「どんなって言われてもー……」


 夜風が心地いい風呂場近くの喫煙所。俺はそこの木製ベンチで一服つけながら、猫屋と秘密の情報交換会を開いていた。


「安瀬ちゃんチームの進捗についてはー、守秘義務によってお話しすることができませーん」

「そっちじゃない。安瀬とはうまくやれてんのかって話だ」

「あー、はいはい。そっちねー……ふぅー」


 白い紙巻をじりじりと減らしながら、猫屋はリラックスした様子で煙を吐き出す。


「安瀬ちゃんとはー…………なんて言うかー、割と普通??」

「普通?」

「安瀬ちゃんって話を振ってみると意外と反応してくれるんだよねー。いや、言葉の端々は相変わらずきついんだけどさー」

「え、そうなの?」

「うん。今日なんかずっとお喋りしながら作業してたー。だから結構楽しかったよー?」

「ま、まじか」


 安瀬が人と饒舌に会話している場面を想像できない……。もしかしてアイツって意外とお喋りな方なのか?


「すぅ、ふぅー……なぁ、安瀬とはどんな話をしたんだ?」


 安瀬の人となりを知るために、俺は猫屋から情報を聞き出そうとした。


「えぇっとねー、使ってる化粧品の話とかー、服はどこに買いに行ってるのーとか。ほら、安瀬ちゃん超美人だから気になるじゃーん?」

「あぁ、そこら辺は女子の共通話題だもんな」


 男で言えばスポーツ、ゲームあたりの話題。


 これらは同性でないと話が展開できそうにないな……。


「でー、そこから煙草が日本に持ち込まれた経緯の話になって、煙管キセルの吸い方とか整備の方法で意外と盛り上がったー」

「待て、なんでだ? なんでそんな所に突飛する??」


 女子の定番話題から、唐突にヤニの話へ。話題転換のスピードにまるでついていけなかった。


「日本史が好きなんだってー、安瀬ちゃん。でも私が話せる歴史の知識って煙草ネタくらいしかなかったからー、自然とその流れでー…………ねぇー知ってる? 煙管キセルの名産地って新潟県の燕市でー、煙管の産業資料館とかあるんだよー?」

「そ、そうなんだ」

「これ豆知識ねー」

 

 たしかに、無駄に知見が得られそうな話だった。……これなら普通に盛り上がるのも頷ける。


「んー……だけど私、これからどーしよーかなー」

「え? 何が?」

「今日は言われるがまま課題を手伝ってたけどさー……結局、私はどっちの味方をすればいいのかなーって。今、友情と誠実さの間で揺れてる感じなんだよねー」


 猫屋は憂鬱そうに煙草を吸引して吐き出す。いつもニコニコと喫煙を楽しんでいる姿とは大違いだ。


「なんだそんな事かよ。西代には俺が付いてるんだから、猫屋は全力で安瀬の味方をすればいいじゃん。それに、西代だって織り込み済みだろうよ」


 今日の西代の手際を見て改めて確信したが、この勝負、安瀬の勝ち目は皆無だ。


 彼女がいくら優秀であろうが、豊富な知識と経験を持っている西代を相手取るには圧倒的に時間が足りないだろう。西代もそう見切って猫屋を安瀬につけたはずだ。


「えー? これってそういう話じゃなくなーい? 本質がずれてるよーな?」

「あぁ、分かってる、分かってるよ」


 さっき話したのはあくまで建前上の敵対理由だ。猫屋の悩みの本質はもっと別。


 俺も猫屋も、安瀬と西代の土下座なんか見たくはない。猫屋が気にしているのはそこだろう。


「そっちのフォローは俺が


 有利なのは西代だが、そっち側には俺がいる。つまり、作為的に足を引っ張って勝敗をコントロールすることが可能だった。


(何とかして引き分けに持ち込もう)


 なんやかんや有耶無耶にして、煙に巻く。これが今俺に取れる最善手に思えた。これ以上、安瀬との確執を深めるわけにはいかない。


「だから、お前は安心して安瀬と仲良くやってくれ」

「……なら私、本当に自由にやっちゃうよー?」

「あぁ、頼んだ」


 西代にしたのと同じよう、俺は友人に頭を下げた。現状、すがれそうな存在はコミュ力が極限に高そうな猫屋だけだった。


「……安瀬ちゃんともさ、仲良くやりたいよね」

「え?」


 ともる火の先端をやさしく見つめながら、猫屋がぽつりと呟く。


「ほら、私たちって2浪組だからさー。結構上手くやれると思うんだー」

「…………だな。俺もそうなればいいと思ってる」


 やっぱり、彼女はいいヤツだ。こんなに親しみやすい彼女を邪険にしていた俺の方が、最低のクズ野郎だったのだ。


「あ、でもそれって安瀬ちゃんが転学するまでの間だけねー。私みたいな不真面目で、堕落的なバカに巻き込まないよーにー……きちんと……節度を持って…………尊重して……」

「猫屋?」

「が、頑張ってる人は」


 一瞬、猫屋の言葉が途切れ途切れになる。


「今ちゃんと頑張ってる人は…………全力で応援してあげないとねー!!」


 緩い口調と、もっとゆるゆるに巻かれた金髪。その2つに完璧に調和した笑みで、猫屋は朗らかに笑った。


「……俺たちの潰しあいに巻き込んだら、せっかく勉強した知識も1日で吹っ飛ぶもんな」

「あはは!! そーそー!! 陣内よく分かってるじゃん!!」


 冗談で場を和ませ、完璧なその笑顔の裏側を深く考えないようにした。


 踏み込みすぎれば、きっと俺はまた同じような間違いを起こすだろう。


 だから俺はニコチンという快楽物質に身を任せて、ただひたすら頭を空っぽにするように努めた。


***********************************************************


「朝早くにお呼び出しして申し訳ありません、佐藤先生」

「構いませんよ。どうせこのオリエンテーション中、やることは生徒の監視くらいでしたから」


 ベージュ色を基調とした私服の安瀬が几帳面に頭を下げ、黒を基調としたスーツ姿の佐藤先生は何のことはないと返事を返す。


 先生を含めた俺たち5人は、早朝の自習室の一角に集合していた。


「けれど貴方たち、随分と面白い事をやってるのね? 仲間内で成果物を競い合うなんて」

「お恥ずかしいかぎりです。やはりご迷惑でしたでしょうか?」

「いいえ。担当チューターとしてはこういう勉学的な競争は嬉しい物ですよ……ねぇ、陣内さん?」


 会話の最中、先生が俺に向かって不意に目配せする。


「…………」


 俺はその視線からそっと顔をそむけた。


『安瀬さんにも、優しくしてあげなさい。少しだけ期待しているわ』


 俺はあの忠告を全て台無しにした。先生の優しい問いかけに答える権利などない。


「佐藤先生、急かすようで悪いんですけどチェックの方をお願いします」


 気まずさを払拭するため、俺は進行を促した。


「? ……えぇ、分かりました。では早速、コードを拝見しますね」


 マイコンボードが接続されたPCを操作して、先生はプログラムを読み解いていく。


「西代さんチームの方は……良くできていますね。冗長ではなく可読性が高い」

「どうも、ありがとうございます」

「それで安瀬さんチームの方は…………ん?」


 安瀬チーム側のコードを確認する先生の手が急に止まる。


「あの、これほぼ何も書かれていないのですが……」

「あ、あははー……実はそれー、ほぼほぼ私が1人で作ってましてー」

「猫屋さんが?」

「は、はい。私には難しすぎてー、車体を組み上げるだけで精一杯でしたー……」

「なら、安瀬さんは何を?」

「私の方は次の課題をやっていました。まぁいわゆる分業ですね」

「くくくっ、それって本気で言ってるのかい?」


 ここまでの話を聞いて、西代が堪らずといった様子で笑みをこぼす。


「2日分作業すれば、僕から1勝くらいはもぎ取れるって? ははっ、これはまた随分とお粗末な策略だねぇ安瀬? 3回勝負でやることじゃないよ、それ」

「…………」


 西代はケタケタと実に楽しそうに笑っているが、安瀬は取り合わない。ただ黙して静かに佇んでいるだけだった。


「まぁまぁ西代さん、まだ一応動作チェックも残っているのでそれくらいで」


 先生は冷静にそう言い、パソコンから機体を取り外して俺に車体を手渡してくる。


「陣内さん、コースで試走をお願い」

「あ、はい。分かりました」

 

 俺は渡された車体を紙のコース上に置いた。


「じゃあ、スイッチオンと」


 何も考えずに車体に付けられたスイッチレバーを弾いた、その瞬間──


 バチッッ!!


「ぅわ!?」

「「「っ!?」」」

「ふっ……」


 電源を入れた瞬間、車体から大量の煙が吹きあがる。


「な、なんだおい!?」


 ショートを起こして閃光を散らす車体を紙のコース上から咄嗟に蹴り飛ばす。


「お、驚いたわね……陣内さん、怪我はないですか?」

「え、えぇ、大丈夫です…………けど」

 

 未だモクモクと白煙を吐き出す車体の前に座り込みながら、目線だけを西代の方に回す。


「お、おい西代。こ、これはなんだ? 故障か? それとも配線ミス?」

「そんなミス僕がするわけないだろう!? てか、え、なんでぇ!? どうして壊れたんだ!?」

「お、俺に言われても…………ん? すんすん」


 車体から昇る煙を反射的に吸ってみると、嗅ぎ覚えのある匂いがした。


「……日本酒の匂いがする」

「は?」

「いやだから日本酒だって。通電した時に、配線に糖分が焼き付いたんだろうな」

「じ、陣内君!! 君ってやつは、酔っぱらって精密機械に酒を溢してたのかい!?」

「え!? い、いや、俺じゃねぇって!!」

「嘘つけ!! 君以外の誰が酒なんか溢すって言うんだい!!」

「俺がお酒様を軽々しく溢すわけないだろうが!!」

「先生」

「はい、何でしょう安瀬さん」


 慌てふためく俺たちを差し置いて、安瀬が佐藤先生に話しかける。


「あちらの作成物はどうやら作動しなかったようです。それならば今回の勝負、私たちの勝ちで良いですよね。私たちの方は最低限、動作はしますから」

「はぁ!?」


 筋の通った安瀬の論述。余裕だったはずの西代が打って変わって慌てだす。


「んん……ですがコードは比べ物にならないほどあちらが優れていますし…………ここは引き分けが無難ではないでしょうか」

「そうですか。全勝を目指していたのですが……残念です」

「な、なんだって!? ぼ、僕の成果物が、あ、あの手抜きと引き分け!? 噓でしょ!?」

「て、手抜きじゃないってー!? 私、分からないなりにかなり頑張ったんだからねー!!」

(な、なんだこの展開……?)


 引き分けと言う裁定に各自がバラバラの反応を見せる。西代の圧勝と思われていた勝負に、早くも混迷の兆しが見え始めた。


「それでは先生、また明日のこの時間に勝敗の判定をお願いいたします」

「次はサンドボックステストですね。あれは正直言って新入生のレベルではかなり難しいので頑張ってください」

「はい、お気遣いありがとうございます。では私たちは自室で作業しますので失礼します……行きますよ、猫屋」

「ん、あ、はーい」


 先生に軽くお辞儀をした後、安瀬は猫屋を引き連れて退室しようとする。


 その途中、安瀬は西代の近くを横切った。


「……貴様にとって酒をぶちまけるのは何でもない事なのだろう?」

「っ!!」


 去り際、ポツリと漏らされた意趣返し。それで西代がピタリと固まった。


 安瀬は西代の表情を見て満足したのか、それ以上は何も言わずに部屋から出て行った。


「は、はは……あははは。そっか、そう言う事ね……」

「に、西代、今のは……」

「たぶん僕たちの目を盗んで、ボードに何滴か垂らしたんだろうね。お酒は糖分だけ残してすぐに蒸発するし、ラズパイは基盤がむき出しだからそれだけでショートする……僕たちはなんの警戒もしていなかったから、容易だったろうさ」

「ま、マジかよ……いつの間にそんな」

「ねぇ、陣内君」


 ぐるりと、西代の禍々しい瞳が俺を射貫く。


「お、おう。な、なんだ?」

「先に邪道に走ったのは向こうだ。それならもう、僕が我慢する必要はないよね? ……ないって言え」


 こちらに同意を求める彼女の声音は、驚くほどに攻撃的な意思に満ちている。


「あ、はい……もう好きにやればいいと思います」


 彼女のおぞましい圧力に屈して、俺は首を縦に振った。


***********************************************************


「名付けて、リアルトロイの木馬作戦だ」


 安瀬たちと先生が去った後の自習室。そこで西代は高らかに妨害作戦の作戦名を告げる。


「…………」

「いいかい陣内君? これはね、BadUSBと呼ばれるものだ」


 黙って傾聴する俺の目の前に、何の変哲もないUSBメモリーが付きだされる。


「昨日のうちに必要な資材を速達で注文して作ったんだ。優先配達って便利だよね、お金さえ大目に払えば翌日には欲しい材料が手に入る」

「あぁ、昨日言ってた保険ってそれの事か……で? そのUSBって、一体何なんだ?」

「ふふっ、これを挿すと、あら不思議。パソコンはこのUSBをキーボードと認識して、不正なコマンドを入力し始め────」

「あの、悪い。聞いておいてなんだが、そこら辺の説明は分からん。だからもっと簡潔に頼む」

「……これをパソコンに挿すと、物凄い数のウイルスに感染する」

「お、恐ろしいな、おい」

「中々愉快な代物だろう?」


 西代は邪悪にほほ笑む。その笑みを例えるなら、自分が作った非道徳的な兵器を称賛するマッドサイエンティストのようだ。


「じゃあ、はい。頼んだよ陣内君」

「は?」


 西代に極悪USBをポンっと投げ渡される。


「まぁ、本当はこんな物に頼らず正攻法で勝てる自信はあるんだけど、やっぱりほら、受けた屈辱は倍にして返さないと気が済まないたちだから、僕って」

「いや、えっと……それを使って俺に何をしろって?」

「ふふっ、とぼけたふりをしちゃって。僕が言いたいことは分かっているだろう?」


 西代の瞳の中で、グルグルと黒い靄が渦を巻く。


「これを使って、あのクソ女を背後から斬り捨てろ」


***********************************************************


 午前11時の昼飯前。西代と2時間ほどミーティング&課題進行に時間を費やした後の時分。


「安瀬、突然の話で悪いんだけどパートナーを一時交換しないかい?」

「…………」

「えー、西代ちゃん急にどったのー?」


 俺と西代は、彼女たちの宿舎部屋で交渉を持ち掛けていた。


 急な西代の提案を受け、安瀬は沈黙し、猫屋は不思議そうに首をかしげている。


「いやなに、この男が想像以上に使えなくてね」

「……使えなくてゴメンネ、西代サン」


 事前の打ち合わせ通り、俺は謙虚に振る舞っていた。


 西代が立案した作戦は、俺を安瀬のそばに送り込み、なんとか隙をついてあのUSBを差し込ませるというシンプルな物だった。


 もちろん俺にそんな気はないし、自分から無能を認めるのはかなり屈辱的だが、安瀬との関係を少しでもましにする機会を設けられるのなら耐える他ない。


「オレ、バカで間抜けダカラ、西代サンの足引っ張ってバカリだ」

「ほら、彼の無能さは本人も認めるところだ。これじゃあ公平ではないよ。僕にも使える方のパシリ、猫屋を半日ほど貸して欲しい」

「あ、私と陣内の立場って完璧にパシリなんだー……まぁいいけどさぁー……」

「そういう話か。良いだろう、半日ほど持っていけ」

「あぁ、そう言って拒否すると思ったよ。まぁ君がハンデや卑怯な手を使わず僕に勝てるわけがな…………え?」


 安瀬の気前良い返事を聞いて、西代がきょとんとして素に帰る。


「安瀬、今なんて?」

「だから、別に良いと言った」

「…………な、なんだか、怖いくらいに素直だね?」


 パートナー交換を受け入れさせられるよう言いくるめの屁理屈を考えてきた西代はひどく困惑する。


「なんだ、自分から言い出しておいて不服か?」


 安瀬はこの突然のパートナー交換に、なんの不満も持っていないようだった。


「いや……そうじゃないんだけど……君のような人間が素直だと気味が悪くてね」

「ふん、貴様のような口先だけのクズには、言い訳の余地なく圧勝したいというだけだ」

「……あぁ、そうかい。やれるものならやってみなよ、この人でなし」

「あぁーはいはい喧嘩禁止ー!! どーしてもやりたいならグローブ付けてリングの上で健全にやりなよー!!」

「いや、そっちの方が危ないからダメだろ……」


***********************************************************


「……じゃあ陣内君、また後でね」

「陣内、しっかりパシリ頑張りなよー?」


 その後、パシリ交換の話は驚くほどスムーズに進み、西代と猫屋は一緒になって自習室から去っていった。


「…………」

「…………」


 そうして、安瀬と2人きりになる。だが当然、俺たちの間に会話などない。


「…………」

「…………ん、んん」


 俺が口を開かなければ、この沈黙は無限に続いてしまうように思われた。


「ど、どうも、想像以上に使えない男、陣内梅治です」

「話しかけるな。気分が悪くなる」


 軽いボケから入ってみたが、安瀬にはかなり不評だった。笑わないどころか、さらに視線が鋭くなってしまう。


「あ、あはは……えぇっと、そ、それじゃあ作業でもしてるよ。何か俺でも手伝えるようなことはある──」

「何もするな、使えない無能男」


 今度は印象を少しでも良くしようとしたのだが、安瀬はノートパソコンを抱えて俺から距離を取る。


「特にパソコンには絶対に近づくな。半径3メートル以上の距離をとれ。何をされるか分かった物ではないからな」

(……まぁ警戒はされるよな)


 パソコンへの小細工を警戒しているのを見る限り、西代の企みは最初から看破されていたようだった。


「本来なら所持品を検めた後に尋問に移りたいが、貴様なんかに触れれば手が爛れる。よって、その場で直立不動のまま私の質問にだけ答えろ」

「え、質問?」

「そちらの進捗状況は? あの女は今、どこまで課題を進めている?」

「え、えぇ?」


 まったく明け透けのない質問に少し驚いてしまう。


「そっちの進捗状況はどうだと聞いている。呆けてないで、早く答えろ」

「い、いや、あの……だな。それを俺に聞くのはダメじゃない? 俺って本来は西代チームな訳だし……」


 中途半端なことに、俺は安瀬と西代の両方と懇意にしたいと思っている。それに、引き分けを狙うのなら明日は西代に勝ってほしい。自陣が有利な方が勝敗の調整がやりやすい。


 なので、そう易々と彼女の情報を渡すわけには……。


「そうか。答えられぬなら問答は終わりだ。疾くこの部屋から失せろ」

「現時点で既にこちらより進んでいると思われます」


 俺は即座に西代を売った。俺は何をしようとも安瀬と話す取っ掛かりが欲しかった。


「……なに? 私は昨日からこの課題に着手しているのだぞ? なのに、この数時間でもうそこまで進んでいるというのか?」

「あいつは俺たち新入生とはレベルが桁違いだ。3年くらい、パソコンを弄ってた経験があるんだとよ。安瀬だって、西代が講義で無双している姿を見たことがあるだろ?」

「気安く私の名を呼ぶな、クズが」

「す、すまん……」


 友を売ったというのに、得られた成果はまるでなかったようだ。名前を呼ぶことさえ許されていない。


「ふん、しかしそうか。あのクソ地味阿婆擦れは、陰キャで根暗のパソコンオタクだったか…………やはり、時間を与えずに速攻で捻りつぶすべきだな」

「な、なぁ、流石にひどく言いすぎじゃないか? たしかに西代は色々とヤベーやつだけど、付き合ってみると意外と良い所があって──」

「貴様、いつまでここに居るつもりだ?」


 西代の弁明をしている最中、安瀬の鋭い言葉が胸を打つ。


「知りたい事は知れたし、もういいぞ。帰れ」

「はい? こ、交換は半日のはずじゃあ……」

「2度も言わすな、失せろ。時間が気になると言うのなら、半日ほど外でも彷徨いてこい」

「いや、あの、その…………そ、そうだ!! なぁ、もうすぐ昼だし一緒に飯でもどうだ? この山の奥地に、古民家をリノベした蕎麦屋があるらしいんだ。もちろん、飯代とタクシー代は奢らせてもらうから一緒に──」

「黙れ。誰がお前なんかと飯を食べるか。せっかくの飯がまずくなる」

「…………」


***********************************************************


「それで、君は満期を終了せず安瀬に追い返されたと……」

「さ、さすがに早すぎなーい? 交換してまだ30分も経ってないよー?」

「言ってくれるな。自分のコミュ力の低さに絶望してんだから……」


 見事に情報だけを抜き取られた俺は、彼女たちが作業している宿泊部屋にすごすごと戻ってくる。


(安瀬とまったく会話できなかった……)


 それどころか、空気を読まずまた安瀬の神経を逆なでた。歴史好き=和食が好きそう、なんて安直な考えもよくなかっただろう。


「まぁまぁ陣内、そんなにしょげないでさー、お昼ご飯と酒でも飲んで元気だしなよー。支給された弁当めちゃくちゃ余ってるしー」

「…………あぁ、そうだな」


 このオリエンテーション中の食事は配給制の弁当。ホテル生活で外食をしていた俺たちの弁当は余ってしまっている。


 もう飯時だ。それに、今日はまだ1滴も酒を入れていない。弁当をつまみにしながら、心のガソリンを補給して、また午後からあれこれ頑張ってみよう……。


「腐っちゃう前に全部食べ切らないとねー……ん? あ、ちょっとごめーん、なんか電話来たー」


 突然、猫屋のスマホが震え始める。


 バイブレーションを続けるスマホを手に取って、猫屋はその場から席を外した。


「……今朝急いで作った僕のbadUSB、無駄になっちゃったじゃないか」


 猫屋が居なくなったのを見計らって、西代が俺に作戦失敗の愚痴をこぼす。


「元から無理だよ、あんなの。安瀬はバリバリ警戒してたぜ? 俺が何かするんじゃないかってな」

「ちっ、そうかい。さすがにスパイを送り込むのは強引すぎたね」

「もう普通に実力で勝っちゃえよ。西代なら余裕だろ?」

「……そうだね。正直言ってかなり不本意だけど、今回は正攻法で打ち負かしちゃおうか」


 そう言って、西代は作業に集中し始める。”今回は”と言ったのを鑑みるあたり、次回も似たような妨害を仕掛けるつもりのようだ。


「ただいまー」


 数分後、席を外していた猫屋が帰ってくる。


「はいこれ、食前のお茶ー」


 帰ってきて早々に、彼女はホカホカと湯気が立ち上る湯飲みを2つほどテーブルに置いた。


「電話のついでに給湯室で入れてきたんだー。お昼のお弁当は今から温めるからー、先にこれでも飲んでてよー」

「あぁ、猫屋ありがとね。どこかの役立たずと違って、君はとても気が利く」

「おい、お茶にスピリタスぶち込むぞ」

「ふん、舐めないでくれ。原液じゃないのならそれくらい飲み干せるよ」


 憎まれ口を叩き合いながら、俺たちはお茶に口をつける。


「………………ん? あ、あれ?」

「………………な、なんだ、これ?」


 お茶を飲み下して暫くした後、俺たちの体調が急変する。

 

「な、なんか、ねむ……ものすごく、ねむいぞ……」


 スピリタスを一気飲みした時のように意識がぐわんぐわんと揺らいでいった。


「ね、猫屋。こ、これって、本当にお酒でも入れてあるのかい?」

「違うよー? 入ってるのはお酒じゃなくて眠剤みんざい

「「──────────────────は?」」

「よくやりました、猫屋」


 突如、賞賛の声と共に宿舎の入り口扉が開く。


 部屋に入ってきたのは、自習室で作業していたはずの安瀬だった。


「指示を出して即実行とは、恐れ入ります。意外と肝が据わっているのですね、猫屋は」

「いやぁー、お昼時っていうタイミングよかっただけだってー」

「あ、安瀬……」


 西代は机に突っ伏しながら、頭だけを動かして安瀬を視界に収める。


「こ、これは……一体…………どういう」

「ふっ、優先配達という物は本当に便利だとは思わないか西代? お金さえ大目につめば、次の日にはなんだって手に入る」

「な、なんだって……」

「どうやって一服盛ろうかと考えていたが、まさかそちらから隙を晒すとは……はははっ、迂闊だったな」


 ニィっと、安瀬は口角を邪悪に歪める。


(え、えぇ……)


 こんなことで、俺は安瀬が笑っているところを初めて目撃してしまった。朦朧とする脳みそでは頭が回らず、愉快そうな笑みの発生理由が理解できない。


「えっとさぁー、安瀬ちゃん。い、言われた通りにやったしー、こ、これで許してくれるんだよねー?」

「はい、もちろんです。貴方は意外と話が通じるタイプでしたし、私も過剰に反応しすぎました。……それに」


 安瀬は一度、そこで言葉を区切る。


「…………昨日から、ずっと謝り続けていたではないか。それでもう、十分誠意は伝わったよ……こちらこそ言い過ぎて悪かったな」

「っ!!」


 意識がまどろみに溶けていく中、驚きと喜びが混じった猫屋の表情だけが鮮明に映し出される。


「いーの、いーの!! あんなの私がアタオカ頭おかしいだっただけだしー!! てか、安瀬ちゃんって素だと超かっこいい話し方するんだねー!! くだけた感じがギャップで可愛いーー!!」

「……貴様は割と何でも好意的に捉えるのな。こんなのが可愛いか?」

「うんうん!! 私ってー、ギャップに弱い方なんだよねー!!」

「ね、猫屋……き、君って、やつは……」


 楽しそうにはしゃぐ猫屋に向かって、落ちる寸前の西代が抗議の姿勢をしめす。


「あ、ごっ、ごめんねー、西代ちゃん……まぁこの前私からイカサマで煙草巻き上げてたしー、そのお返しってことでー……あはははー」

「いや……こ……こっちは……土下座が……かかって…………」


 猫屋はヘラヘラと謝罪しながら西代にやさしく毛布を掛ける。その毛布が決定打となり、西代の意識は途切れた。


「じゃ、陣内もおやすみー。なんかぁー、12時間くらいは目が覚めないタイプらしーからごゆっくりー。あ、ちゃんと寝室には運んどいてあげるからー!!」

「お、おい、それって色んな意味で、大丈夫……なの……か…………」


 猫屋の手によって俺にも毛布が掛けられ、その温かくてどこか邪悪な気遣いに、俺の意識は沈んでいった。


***********************************************************


「勝者、安瀬さんチーム」


 新入生オリエンテーション5日目の早朝。


 先生によって、無慈悲にも勝敗が宣言される。


「…………」

「…………」


 パソコンから全データを削除された状態で俺たちは勝負にのぞみ、当然のごとく敗北した。


「陣内君、僕はまだ……心のどこかでアイツを甘く見ていたようだ」


 熟睡したはずだが、西代の言葉はどんよりと重く、震えている。


安瀬あぜさくら…………彼女は間違いなく、だ……!!」

「あぁ、うん、どうにもそうらしいな……」

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