主体の話がしたい

『BLの教科書』(2020年/有斐閣)を読んだ。

竹宮惠子に『風と木の詩』を執筆する契機を作った女性の話や竹宮惠子と萩尾望都が同居した大泉サロンの話等、今まで散々言われてきた「BLは女性の女性による女性の為のエンタメ」がガチガチのガチであることがよく解る歴史のお話、良かったです。大泉サロンって知ってました?私は知りませんでした。そんなBL製造現場版トキワ荘みたいな。


その他にも物凄い収穫だったのが雑誌JUNE創業メンバーが語る、

「(略)JUNEの世界は現実とは違うファンタジーですよ、と「心が不良」である女の子に伝えるためでもありました。『さぶ』を出している会社としては、本当のゲイはそうではない、と伝えておきたかったので(略)」(25頁)のエピソード。

さらっと出てきてさらっと終わるけどこの話凄くないですか。文化の黎明期に意図的に行われてたって話じゃないですか、「BLはファンタジー」という線引きが。

そっかーなるほどー!ってなりつつ、JUNEと言えば栗本薫こと中島梓御大なので、あーーほんと『コミュニケーション不全症候群』どこにやったんだろうか私は。中島御大の論考大事。これを頭に入れておかないとBLの教科書の感想文書けないレベルで大事。中島梓時点では、自分が当事者になりようのない男×男を愛好するこの欲望は何だ?という問いがあった。この欲望は歪んでいるという認識がそもそもあった。90年代風の言い方にすると腐女子は「ビョーキ」であった訳だ。ほら上でも言われてんじゃん、「心が不良の女の子」。


堀先生が本書の中で繰り返し主張なさっている、腐女子に隠れろって言うのは女のくせに性欲開陳するとは何事だ!的な、性の二重規範による社会的抑圧説。確かにその側面は否定できないんだけども、忘れていませんかねこの欲望自体が「おかしい」という自意識が当人にあったって前提を。なかった?ないならしゃあないけど中島梓時点で、それは確実にあった。あったと思う今手元にないからあれだけれども。

わたしのこの歪んだ欲望は何だ?

という、「己の欲望の深掘り」だったんですよかつてのBL論は。そこ掘ってくと女性が受ける社会的抑圧の話にどうしても接続する、BL論がフェミニズムのニュアンスを帯びるのはそういう訳であったと私は認識しております。で、時代は下って今現在。BLの教科書にはこんな一文がさらりと載っているのです。

「(略)永久保の研究は、これまでの「BL論」の「なぜ私たちはこのジャンルを好むのか」という視点を、「このジャンルはなぜおもしろいのか」に変更する画期的なものであった。」(85頁)

あぁーー!ってなった。あ、ここが変節地点だ、あーなるほどそうかそういうことって、大変に腑に落ちた。BL論は大きくふたつのものを破棄したんだ、「わたしの歪んだ欲望」という立ち位置と、「BLはファンタジー」という線引きと。

ここらへん後から読み返したら意味不明だったので捕捉します。今現在のBL「学」、なんか違和感あると思ったらここだった。説明するからまぁ聞いて。第5章の「BLはどのように議論されてきたのか」、執筆は守先生。

文化発生当時は評論する側は圧倒的に男性だったとして名前が挙がるのが橋本治と大塚英志。割と雑に(※素直な感想です)大塚英志の論は「時代にそぐわなくなってきた。」(90頁)と斥けられておりますがそれはさておき、BL論で言ったらやっぱり始祖は中島梓になる訳で、御大の論考が長めに引用されています。

中島梓から続くBL論、根本がこれを欲望するわたしとは何か?なんですよね。このわたしの欲望、本書の言葉を借りれば「「やおい表現」とは私たち女にとって何なのかという、アイデンティティの問いであった。」(84頁)んで、それが時代を経るとこうなる。「やおい論の構成もまた、「やおいを好む女性とは何者か」という、当事者を異常・逸脱とみなす問いから、「やおいとは女性にとって何か」という問いへ転換したのである。」(88頁/金田淳子2007年の論考より引用)

…あれ、文字列で見ると何が違うか解んねぇな…って一瞬なるけどありましたね違いが。「当事者を異常・逸脱とみなす」、これ。これ!自分の言葉に直して良い?「わたしの歪んだ欲望」の、歪んだ、の部分。

「(ホモなんかに夢中になってる)わたしの歪んだ欲望」の( )部分のニュアンスがなかったと言ったら歴史修正だと思うので止めますが、ここにおけるメインの歪みは「当事者」、つまり我々自身です。BLが「歪んだわたし」の好きなものから歪みがどっかに行きまして「わたし」が好きなものにアップデートされた、まぁそういうことなんでしょう。

BL好きは変態性欲、その立ち位置が棄てられてく過程は解る。大塚英志が「時代にそぐわなくなってきた」根拠として「女性の生き方に多様性が認められていく」(90頁)結果、女性も性表現もおおらかに楽しんで良い時代になりました、何がどう好きでもそれは他人にとやかく謂われる筋合いもなくなりました、我々は自由だわっしょーい!

(ついでに言えばこの地点で例の「BL差別はゲイ差別」コンタミが発生したんだろうなと推測します。)


斯くして自分でも上手く説明がつかない「わたし自信がよく解らないわたしの欲望」を巡る言説、これはアップデートにより破棄されました。文化の黎明期から引かれてた「BLはファンタジー」の線引きと一緒に。


いや、まぁ、堀先生は仰有る訳です、「BLを含め、創作物はファンタジーである。」(146頁)と。ただそう仰有った同じ口でBLはゲイをエンパワーメントするとか(GQ5月号)、ついでに少年漫画のラッキースケベ批判がばーっと本書にもありまして(215~218頁、長いな!)、創作物は現実に影響するので免罪はされませんっていうスタンスでいらっしゃることが窺えます。

なんかねぇ、しみじみとなるほどなと得心する訳です。己の欲望として語る立ち位置を棄ててBLはファンタジーというギリギリの妥協も棄ててその上でBL擁護するんなら、「BLはゲイの表徴の横奪」って批判受けてもそれはゲイのミソジニーって返すしかなくなるわ。


「BLはゲイの表徴の横奪」、ここからは前川先生の論考ですが、実際にそういった異議申し立てが過去あったそうで。(224頁)

横奪って言葉初めて見たからぐぐった。強引に奪うこと、強奪。最近よくお見掛けする簒奪より使いやすそう。覚えとこう「横奪」。それはさておき。前川先生~~「批判への真摯な応答」(225頁)がどこらへんだかほんとに解んないです!どこにあるんですか真摯な応答!溝口彰子先生の『BL進化論』読まないと詳細が出てこないあれですか!ちなみに真摯に応答しなかった具体例はそらで3つは出せますけど私!!BLの教科書読んだだけだと「表徴の横奪」という批判にどのような具体的な応答をしたかすら解りません!!!!


私はずっと主体の話がしたいんです。


大泉サロンの仕掛人である増山法恵氏が少年愛ってどう?ってけしかけて竹宮惠子が閃いた!って描いて小学館騙し討ちにして掲載したら読者が熱狂したから編集部が大人しくなりました、なんつーエピソード(第2章より)、どこ切り取っても「女性の女性による女性の為のエンタメ」じゃないですか。ここは始めっから女が主体なんですよ。文化の埒外、良くても観客席しか与えられてこなかった我々が主体なんです、もうずっと。始めから。主体であるということはそんなつもりがあろうがなかろうがそこで引き起こされることの責任を問われるということです。フェミニズムは男性に対してその責任を問うてきた訳じゃないですか。同じことですよここは我々が主体なんだから。

やったーやっと主体ができる…!って思ってたのに気づいたらメインストリームの論者たちが降りちゃってんだもん己の欲望を己の言葉で語るとこから。つまんねぇ。つまんねぇ!!


BL、いついつまでも変態性欲としてわきまえてろって話ではないです。逆。その逆。BL「学」が自らの欲望を巡ることまで破棄したか?というと本書を読む限りそうではない。ていうか無理でしょBLはポルノだもの。ポルノを考察するのに欲望の話しないのはいくらなんでも無理でしょ。良い機会だからぐぐるか。

ポルノグラフィーとは:性行為の描写を売り物にした読み物・絵画・写真・映画など(goo国語辞書)

BLは異性愛規範からも家父長制からもホモフォビアやミソジニーからも自由になれる表現であるって話が繰り返し出てきて、あ、自分の欲望の話をするのに「正しさ」を担保しにかかってるんだ。へぇ。正しいから肯定される欲望って何。欲望ってそういうもん?欲望の学問がそのスタンスで行く?マジで????

本書オーラスの第3部はその名も「BLとコンフリクト」で、あぁそうですともそうですとも誰かの欲望は他の誰かの欲望とぶつかる、主体としてそこをどう引き受けるかのお話なさるんですよね先生方…!と思ったら、えーと。

正しい欲望がこの世には存在して正しければ他者の欲望とはぶつからない?そんな世界があるかよ。おかしいだろ。そんなことは言ってないとか返されそうだけど言ってるわ。今コンフリクトが起きてる箇所に関しては正しくアップデートしていきましょうね、みたいのばっかり。正しく在りたいお気持ちはお察ししますがこれ、そういう話なんですかね。

女が客体視から完全に自由になって楽しんでたらこうなりましたって文化だと私は思っておりまして、だから勝手に表徴をお借りしているゲイ当事者の方々にこんなの横奪じゃんって指摘されたらぐぅの音も出ませんよ。自分が踏まれない世界に行ったと思ったら今度は誰かを踏んでたって構図だもの。それでもここを手放せない、じゃあどうしたら良い?これは正しくなったら解決される話ではない。正しくなったくらいで解決しないからこそ「学」としての余地があるんじゃないの?いや知らんけど。

私は主体の話がしたい。

いいなと思ったら応援しよう!

コメント

コメントするには、 ログイン または 会員登録 をお願いします。
特にありません。
主体の話がしたい|後藤
word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word

mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1