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吉田 太一さんの投稿


吉田 太一

9時間  · プライバシー設定: 公開
忘れぬうちに親父のお通夜、告別式を終えて親父の思い出など。
親父は昭和14年生まれ。承平2年(932年)創建の寺の末っ子であった。上には兄貴2人、姉1人。1歳半で親父を亡くし、父親の記憶はないと思う。
一番上の兄貴も10歳であった。お寺って住職がいないと住めない。なので親戚を頼り住職をお願いする。(後に長男が住職になる)
日本が戦争に負けて、農地解放で農地は取り上げられ、大量の戦争国債も紙くずになり、一気に生活は苦しくなる。
地域で一番の進学校に行くも、いろいろな事情があって大学には行けなかった。本山で修行したり、まぁ、いろいろなことをやりつつ、大磯の素心学院(知的障がい者施設)で働いてお袋と出会う。
3歳頃から素心学院の運動会とかに連れて行ってもらった。障がいがある人への偏見がないのは、この頃の経験があるからだと思う。
何も知らないのにエラソーな大学出の上司が嫌で辞め、入生田の陽光の園で働いて、定年まで勤める。
小学生の頃には理不尽な理由で気絶するまで殴られたし、家を出されて鍵をかけられ一晩物置で過ごしたことも何度かある。今ならすぐに児相案件である。
「『大人』は立派じゃ無い」ってのを身近に教えてくれた人であったし、教師であり、反面教師であり、反骨精神を育ててくれた。
とはいえ家を持ち、息子2人を大学にまで行かせたんだからたいしたものだよ。
定年後は小学生の登校の付き添いボランティアとかやって、子供たちに慕われていたが、晩年、足腰が弱って要介護状態に。
これからだんだんQOLが下がっていくのかなぁ...と思ってた矢先に晩酌しながらぽっくり逝く。最後まで親父らしい死に方であった。
お通夜、告別式を通して、皆さん、あの性格を理解しつつ慕われていたんだなぁと思う。あっちの方が知り合いも多いだろう。楽しくやってくれ。俺が行った時はまた一晩でシーバス1本空けようぜ。
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コメント2件
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Tsuyoshi Takada
先生、
いつでもいる人がいなくなると、寂びしいですね。
来月、楽しいゴルフの後も、飲みにいきましょう
  • 9時間
黒滝 義之
謹んでお悔やみ申し上げます。
  • 8時間