この映画の「板倉大道少将」が実在した人のモデルかどうかがお互いの主張の最も重要なところだと思うが、それは一旦いおいといて、映画製作者側に感じる違和感を言います。 板倉大道少将はこの映画のストーリーや製作者側の表現したい事において、重要な核となる人物のようだ。 で、製作者側はこの人物は創作されたもので実在の人物とはなんら関係がない、と言っている。さらに「本編冒頭にフィクションであることを明示するテロップを加えるなどの対応を行った」とも。 それなのに、「敗戦を予測する合理的な知がありながら、なぜ開戦を止められなかったのか。当時の日本を覆っていた、戦争に向かう『空気』の正体は何なのか。」って製作者側は言っている。 開戦の議論に大きく関わっていた人物をまったくのフィクションにしておいて、この映画で伝えたい「当時の日本を覆っていた、戦争に向かう『空気』の正体は何なのか。」を表現できるのだろうか。
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ドラマ版では、たしか… ・資源が少ない日本は領土を拡大しない限り、欧米列強の言いなりになるという焦り ・アジアを制圧したのに要した大金が無駄になる ・日本全体が戦争ムードになっており、その大きな流れを止められない みたいな感じでした。
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「日本が戦争に突き進んだ→だから日本が悪いんだ」っていう戦後からの洗脳に近いその前提からして既に間違ってるから、間違ってる前提からいくら話しを拡げても結果は間違った物になる。 この映画が問うその戦争に突き進んだ「空気感」とやらの原因がアメリカの強硬姿勢に結びつけられるのであれば評価に値するだろう。 逆に日本側にその空気感の責任を結びつけるのであればそれはもうその辺のよくある単なる反戦映画で駄作決定ってとこかな。
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