字日記 - なぜ僕は佐山シューティング合宿で笑えているのだろ?
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私はもう初老なので、佐山聡のシューティング合宿の風景が大好きである。「技術のうち」というコメントも好きだし、佐山の蹴りが明らかに桁違いの威力なのも好きだし、絶対にアウトな風景すぎて大好きだ。
だが、ふと思うのだ。なんで俺はこれで笑えているのだろう?
体罰は嫌いだ。自分がそういうのが吹き荒れる学校に通っていた関係で、とにかく格上が格下を殴るのが嫌いだ。その条件で言うと、佐山シューティング合宿の映像は最悪の映像だと言っていい。コーチが生徒をボコボコにしているのだから。
しかし、何故か好きで笑ってしまう。そこを考えて行くと、この映像が世の中に出ていて、さらに現在もあちこちで流れているという事実そのものが、私を……いや、あえて主語を大きくすれば、多くの人間を安心させているからだと思うのだ。
これが現在も普通に流れているという事は、少なくとも佐山サイドは黙認しているという事だ。それはつまり、このことを掘り返されても痛くない、という意味だ。殴っている佐山も、殴られている人物も、降り込み済みということになる。上手く表現できているか分からないが、映像の背景に当事者たちの合意が見えるのだ。ここが大きい。そもそも取材された映像であるし。
たとえば、これが本当に隠し撮りして流出した映像とかだったら、私たちは絶対に笑えていない。本人たちが合意したうえで制作・公開され、今も流通しているという事実があるから、安心して笑っているのだと思う。
「安心」は笑いの重要な要素だ。バラエティ番組とかで酷いことが起きても、裏ではちゃんと社会をやっているという大前提があるから笑える。もちろん「安心」を放棄する無頼漢もいろうだろうけど、私は安心が裏にある笑いが好きだ。佐山シューティングは、私とってそういう笑いである。いや、人が殴られているのは事実なんですけれども。



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