ミスター日本一、現役引退 そしてコーチ就任 1週間待つと言われましたが即答しましたよ

話の肖像画 元プロ野球巨人軍選手・篠塚和典<25>

日本シリーズで西武を下し、胴上げされる長嶋茂雄監督=平成6年10月29日、東京ドーム

《平成6年は57試合で147打数35安打、2割3分8厘、2本塁打、13打点と1軍定着後最低の数字。19年目の進退…》

開幕からずっと調子が上がらなかった。5月31日の中日戦(東京ドーム)で松井秀喜がサヨナラホームランを打った夜です。長嶋茂雄監督から「悩んでいるのか?」と電話があった。翌日から3日間、監督が付き合ってくれたんです。一番気を使わせていけない人を煩わせてしまいショックでした。その辺りからかな、落合博満さん(に譲る6番)の背番号のこともある。「今年で終わりかな」という思いを引きずっていたんです。

《特打効果で6月5日の横浜(現DeNA)戦で5打数3安打。復活の兆しも涙のリタイア》

やっちゃったんですよ。9月2日の阪神戦(甲子園)です。中畑さん(清、打撃コーチ)が「ベテラン、頼むぞ」ってスタメンで出た。腰の状態は相変わらず。でも気合は入っていた。雨で1時間くらい開始が遅れ、体が冷えたのかもしれません。一回の守りで和田豊の二塁ゴロを捕ろうとして腰がギクッ、以降チームから外れて治療です。打者じゃなく、守ってエラーして終わり(笑)。

ベンチに下がって悔しくてグラブを投げつけましたよ。気持ちはあっても体が動かない。現役生活で一番悔しいというより情けなかった。ロッカーに戻ると涙が流れてね。初めてですよ。結果的に公式戦最後の出場になったんです。

《家族の前で最後の打席》

10月22日から始まった西武との日本シリーズでは選手登録されました。1、2戦(東京ドーム)は出番がなかったが、移動日の24日にマネジャーから「準備をしておくように」と声がかかった。3戦目(25日、西武球場)に落合さんが再びリタイア、その夜監督に呼ばれた。「明日チャンスの場面で行く」って。

当時、長女と長男がいて、のんびりしてたんですね。すぐに女房(嘉津子さん)に連絡したら慌てて支度して、埼玉・所沢まできたんですよ(笑)。

練習はみんなと一緒にやってましたが、ベンチ入りは久々です。腰の状態は決して良くなかったけど、監督に恩返しを、という気持ちは強かったです。4戦目(26日、同)、同点で迎えた九回2死一、二塁、相手は石井丈裕投手でした。1球目、真ん中内よりの真っすぐをファウル。2球目のやや外よりの真っすぐを打って力のないセンターフライでした。これがプロとして最後の打席となりました。

《日本シリーズは6戦目に西武に勝って4勝2敗。悲願の長嶋監督初の日本一の胴上げ》

僕は力にはなってないけど、現役選手として同じユニホームを着て達成できたということでホッとしました。昭和56年以降、5年連続3割を打った。首位打者も2度とった。そういう姿を監督はずっと見続けてくれたと思う。ミスターの日本一の胴上げをするというのが、一番の夢だった。それが現役のときにできた。それが自分が現役を辞めるときと重なった。荷が下りたような気持ちでした。

《ミスターから引退勧告?!》

実はシリーズ直前、監督に呼ばれたんです。「来年どうするんだ?」って。翌年はちょうど20年目になる。それを目標にしていたんで「来年も…」と話したら、「球団から後釜を育てなきゃいけないって話も出ている」と言われました。それって僕に辞めろということなんだなと察しました。で、シリーズ後の秋季キャンプ前です。またミスターから電話がありました。

「どうする? 相談する人もいるだろう。1週間猶予を与えるから」って言った直後です。「お前来年、コーチやらないか?」って。急にですよ。やる、やらないもないでしょ。「1週間待つ」と言われましたが、もう即答しましたよ。「ぜひ来年、コーチをやらせてください!」って。守備コーチです。(聞き手 清水満)

Google検索で「産経ニュース」を優先表示。ワンクリックで簡単登録

会員限定記事

会員限定記事一覧