【一話完結】「国内奴隷」の正しい飼育法と、数字上のユートピア
資本主義という名の劇場において、日本が誇るロングラン演目、それが「最低賃金という名の最高傑作ドラマ」である。
どうやら政府は、最低賃金引き上げの「先送り」を決定したらしい。いやはや、実に素晴らしい。これぞ「現状維持」という名の伝統芸能、あるいは「動かざること山の如し」を地で行く令和の武田信玄戦略である。
ぶっちゃけた話、多くの経営層や制度設計者にとって、最低賃金とは「これ以下で雇ったら警察に捕まるデッドライン」ではなく、「ここまでケチっても合法とされる聖域(サンクチュアリ)」として機能している。本来なら「最低でもこれくらいは払いましょうね」という最低限のモラルハザード防止策のはずが、気づけば「これだけ払っておけば文句ないだろ」という免罪符にすり替わっているのだから、日本語の解釈力とは恐ろしいものである。
さらにデータを見れば、パートやアルバイトといった短時間労働者の約4割が、この「聖域」のすぐ近く、つまり最低賃金スレスレの低空飛行を強いられているという。これのどこが「一億総活躍」なのか。これでは「一億総カツカツ」ではないか。
そんな中、国は「これからバンバン成長投資をして、経済を大拡大させちゃいますからね!」と息巻いている。だが、ちょっと待ってほしい。この数式、どこかおかしくないだろうか。 インフレによってモノの値段が上がり、企業の売上高という名の「数字」は綺麗に水増しされる。しかし、その果実を支える労働者の人件費はきれいに据え置き。なるほど、これなら確かに企業の利益は爆発的に増え、GDPの数字も見栄え良く跳ね上がるだろう。まさに「数字の上だけは、我が国は空前の大繁栄!」というわけだ。
これを通俗的には「ハリボテ経済」と呼ぶが、永田町や霞が関の眼鏡を通すと「見事な経済再生の成果」に大化けする。お見事というほかない。実質賃金が目減りし、国民のお財布が文字通り「氷河期」を迎えている中で、数字上の好景気を祝ってシャンパンを開ける。これほどシュールで、これほどブラックなユーモアが他にあるだろうか。
そして、日本の労働市場が誇る最大のミステリー、それがいわゆる「身分制度の現代的アレンジメント」である。
通常の経済学、あるいはまっとうな商取引の世界では、リスクとリターンは比例する。契約期間が短い、あるいは明日クビになるかもしれない「単発・短期」の労働は、雇用の不安定さという特大のリスクを労働者が背負うがゆえに、時間あたりの単価(プレミアム)が高くなるのが世界の常識だ。逆に、長期雇用で身分が保証されているからこそ、月々の単価は少し抑えめになる。これが大原則である。
しかし、日出ずる国・日本においては、この物理法則が完全に反転する。 ここには、契約期間の長さではなく、「名前」によって人間の価値を規定する、令和の士農工商が存在するのだ。「正社員」「派遣」「パート」「アルバイト」。このマジカルなラベルをペタッと貼るだけで、あら不思議、まったく同じ仕事、あるいはそれ以上の密度の仕事をこなしていても、給与明細の数字は驚くほどスリムにカッティングされる。
これはもはや経済的な合理性ではなく、純然たる「身分制度」だ。かつての特権階級が「あいつらは身分が違うから」と納得していたように、現代のシステムもまた、「だってバイトだし」「まあ派遣だからね」という思考停止の呪文によって、不条理な格差をマイルドにコーティングしている。要するに、リスクが高くていつでも切り捨てられる労働者ほど、なぜか一番買い叩かれるという「地獄の逆転現象」が平然とまかり通っているのだ。
これを直球で表現するなら、「国内奴隷を限界まで使い倒す、持続不可能なエコシステム」以外の何物でもない。
笑えないのは、この制度を設計しているお偉方や、それを利用している社会全体が、「悪気なく、大真面目に」これを運用している点だ。「これが日本のスタンダードだから」「こうしないと国際競争力(笑)が保てないから」と、本気で信じ込んでいる節がある。気づいていないのではない。むしろ、この「低賃金で文句を言わずに働く従順な労働者」の存在こそが、日本の社会構造を維持するための、暗黙の、そして絶対的な「前提条件(プロンプト)」としてシステムに組み込まれているのだ。
この前提があるからこそ、どれだけイノベーションが起きなくても、どれだけ生産性が低くても、企業は「人件費を削る」というイージーモードのボタンを連打するだけで生き残れてしまう。そして国は、そのゾンビのような構造を「成長投資」というきらびやかな包装紙で包み込み、中身のスカスカさを隠蔽し続ける。
「いやあ、日本って本当に素晴らしい国ですね。何しろ、どれだけインフレで生活が苦しくなっても、暴動一つ起こさずに『自己責任』と呟きながら、今日も最低賃金で笑顔でレジを打ち、荷物を運び、社会を回してくれる健気な人々が溢れているのですから!」
稀代のエッセイストとして、私はこの壮大なコントに満面の笑みで拍手を送りたい。ただし、その拍手の音が、いつまでこの劇場の静寂に響き渡るかは、神のみぞ知る、といったところだが。


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