2019年3月には、4件の性犯罪無罪判決が相次いで報道されたことで全国でフラワーデモが起こり、2023年の法改正にもつながった。同じ裁判官による性犯罪の無罪判決が続いて報道されることで、抗議の声が高まることを懸念したのではないか。これは推測に過ぎないが、そう考えてしまう。
説明のない非開示自体が、司法の閉鎖性を象徴している。北川被告の事件で検察が沈黙を続けているのと構造は同じだ。判決が報道されなければ、社会的な検証も批判も起こらない。非開示は、その回路を最初から断つことになる。
司法は自らをどこまで検証できるのか
性犯罪事件は、被害者供述の信用性が争点となりやすい。しかし、検察内でその「信用性」を誰がどのような基準で判断しているのか、外側からは見えにくい場合がある。
訴因変更がなぜ行われないのか。その理由や判断基準が十分に説明されないまま、被害者側が置き去りにされているのはなぜなのか。
しかも今回、疑問を呈しているのは、刑事手続きを熟知した元検事の弁護士と、現役検事として性犯罪事件を扱ってきた被害当事者である。司法制度を理解している側の人間ですら、十分な説明や情報にたどり着けないのであれば、一般市民にとってはなおさらだろう。
検察や裁判所は、強大な権限を持つ一方で、外部からの検証が難しい組織でもある。
もちろん個別事件について慎重な対応が求められるのは当然だ。しかし、説明責任まで放棄して良い理由にはならない。ひかりさんの事件は、一人の検事正が起こした性犯罪事件であると同時に、「司法は自らをどこまで検証できるのか」という問題を社会に突きつけている。
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