第102話 俺の事を愚かだと言って笑ってください


「親父ぃ!! なんで目ェ悪くしてたのに運転なんてしてるんだよ!! 孫の顔見る前に死ぬつもりかテメェ!?」


 デカい男性の、野太い怒鳴り声が耳をつんざく。


「兄貴の言う通りじゃボケェ!! お医者様からも、眼鏡に慣れるまで運転は控えましょうって言われていたのでござろうが!! 2度と我に説教垂れ流せると思うなよアホォ!!」


 妹の方も、病人用のベッドに向かって怒鳴り声を放った。


「………………死にそうだから……説教は…………後にしろ」

「あの、ほんとに、2人とも……普通に重傷者なんで、その辺で勘弁しましょうよ」


 手術終わりの翌朝10時。


 病院にそのまま泊まった俺と安瀬、朝一の飛行機で東京から駆け付けた陽光さんと、つい先ほど術後初めて目を覚ました雨京さん。


 安瀬家3人と部外者一名は、個室の病室にて集結し、雨京さんの無事を喜びあい…………ぶちぎれていた。


「ふん、よいか陣内? 親父殿に怒鳴る機会なんて滅多にないのじゃ。物理的に弱っている今が攻め時でござる」

「実はそうなんだ、陣内くん。親父が付け入る隙を見せることは滅多にない。ここが正論パンチの打ちどころだ」

「えぇ……」


 安瀬家の面々は、なんて面倒くさい精神性をしているんだろうか。


 あんた等2人とも、父親の無事を祈って泣いてたくせに……。


「こら、2人とも……人様の前だ……そういう、ふざけた態度は改めなさい……」

「……まぁ、それはそうか。悪いな、陣内くん。騒がしくて」

「いやいやいや。俺の方がお邪魔しちゃってる感じなんで、そこはお構いなく」

「邪魔なんて……お願いだからそんな風に言わないでくれ」


 しゅんっと、陽光さんの表情が明確に曇る。


「陣内くんの方こそ、私たちに気を遣わずにいつも通りに居てくれ」

「え……い、いつも通り?」

「あぁ、そっちの方が私も嬉しいよ」

「いや、それは、その……あはは、げへへへ」


 陽光さんの気遣いに不自然な苦笑いを返しながら、咄嗟にを背後に回した。


(も、もしかして手の震えが止まらないの気づかれてる?)


 俺のいつも通りの振る舞いとは、当たり前だが飲酒だ。


(最近は寝起きから酒かノンアルを飲んでるせいで、どっちかやらないと朝は手の震えが止まらねぇ……。でも額面通りに受け取ったらダメだからな陣内梅治。こんな病室で酒を飲みだしたら、さすがに引かれる!!)


 手の震えを隠すため、少し離れたところにある来客用ソファーにじりじりと後退して腰掛けた。それと同時に、話題を変える事にする。


「そ、そんな事よりも陽光さん、お子さんの方はどうなんですか? 無事に生まれたってのは聞きましたけど……」


 昨夜の時点で、赤子は無事に生まれたという報告は受けたのだが、夜も遅く病院という立地を踏まえて連絡はそれっきり。詳しい説明は何も受けてはいなかった。


「あぁ、今は千代美と一緒に東京の病院で健やかに寝ている。体重も2.5キロを超えてて、早産にしては重い方らしい。私がデカいから、そのおかげかな」

「……こ、子供、だと? 一体……何の話をしている?」

「生まれたんだよ、俺の子供。ちょうど親父が三途の川を往復してる間にな」

「た、確か予定は1月先のはずだが?」

「言っただろう、早産だったんだ。あぁでも安心してくれ。母子ともに問題はなかったよ」

「……み、見たい。見せてくれ、陽光」

「あぁ。千代美から動画が送られてきてるから、一緒に見ようか」


 医療ベッドに張り付けにされて身動きができない雨京さんのため、陽光さんは大きなタブレットを取り出して目の前に掲げる。


 その光景を見て、胸に微笑ましさを覚えた。


(あぁ、本当に良かった……)

「陣内」


 2人が動画を見ていると、安瀬が俺の座るソファーに近づいてくる。彼女は特に躊躇いなく、俺の間隣へ座った。


 震えを誤魔化すため、つっかえ棒のようにしてソファーに押しつけていた右手。


 そこに、安瀬の手がそっと重ねられる。


「え?」

「手が震えておるぞ?」


 少し頬を赤らめて、安瀬は指を絡み合わせさらに手の隙間を埋める。


「震え隠しでありんす…………ど、どうじゃ、嬉しかろう!!」


 跳ねるような明るい調子で、隣の安瀬は花咲くように微笑んだ。


 彼女はそのまま体重を俺にかけて身をすり寄せてくる。むにゅりと、冗談みたいな擬音が響いていた。


「……手、やっぱバレてた?」


 おどけて見せて、柔らかさからくる生々しい煩悩を隠す。


 昨日からの距離感が抜けきっていないのか安瀬にしては随分と無防備だ。今の俺は酒が入ってないので…………や、やめてくんねぇかな。正直、けっこうくる。


「拙者以外は気付いとらんよ。まったく、恥ずかしい奴め」

「うっせ。お前も絶対にいつかこうなるからな。というか、別に自分で誤魔化せるから離せよ」

「ふふふっ、照れておるのか? 照れておるのじゃろう?」

「んなわけあるか」


 こういった行為は、シンプルに空恐ろしかった。また陽光さんの勘違いが加速してしまう。加えて、この場には彼女の父親もいるのだ。


 安瀬を大学に放り込んだ経緯から鑑みるに、雨京さん安瀬を溺愛している。そんな愛娘と手を繋いでいるのが、恋人でもない軽薄な男とか、ぶち殺されても文句は言えない……。


 俺は恐る恐る、視線をベッドの方へと向けた。


「どうだ、可愛いだろ俺の息子。今日からこの子のお爺ちゃんだぜ、親父」


 幸いな事に、2人は動画に夢中でこちらには気づいていなかった。


「……………………」


 動画を見終わった雨京さんは、初孫の感想を述べるわけでもなく、心ここにあらずと言った様子でじっと天井を見上げていた。


「親父、どうした? 調子悪いか? ナースコール押そうか?」

「昨日、夢を見た」

「夢?」

「……久しぶりにあいつに会った」


 雨京さんがそう言うと、俺の手を握る力がぎゅっと強くなった。


 咄嗟に視線を安瀬に向けると、彼女は父親たちから顔を反らして下を向いていた。


 あいつ、とは……死に分かれた母親なのだろう。


「……母さんはなんて?」


 陽光さんは控えめに、父親が見た夢とやらについて聞き返す。


「話は出来なかった。ただ、笑って、反対方向に背を押されただけだ……」

「そうか……」

「…………」


 なんて尊い美談。


 それと同時に、安瀬にはなんて残酷な話なんだろうか。


「…………陣内、少し付き合ってくりゃれ」

「え?」

「親父!!」


 一転して伏せていた顔が上を向き、溌溂とした陽気な声が父親を呼んだ。


「ちょっと陣内と一緒に出掛けてくる!! 実家から入院に必要な物を取ってくるでやんすよ!!」

「え? 実家??」

「……あぁ、悪いが……頼む。家の鍵は持ってるな?」

「うむ!! では行くぞ、陣内!!」

「あ、おい、ちょっと待て、引っ張るな!!」


 腕を組んだ状態で立ち上がり、安瀬に引っ張られながら強引に出口へと連行される。


(おいおい、父親の前で腕組むのはよくないって……!!)


 去り際、弁明のために雨京さんの方へと顔を向ける。


 すると、堅物そうな雨京さんがこちらを見てにっこりとほほ笑んだ。


(え?)


 その表情の意味が分からずに困惑している俺に向かって、雨京さんは口を開く。


「──────」


 距離が遠く、疲弊して擦れた声は俺の耳まで届かなかった。


 だが、なぜか不思議と、お礼を言われた気がした。


************************************************************


 慌ただしく病院から抜け出した俺たちは、安瀬の実家に向かってレンタカーを走らせる。


 運転は安瀬が担当していた。


「運転、久しぶりだろ? 大丈夫か?」


 今回の慰安旅行はハイエナども猫屋・西代にバレるわけに行かなかったためわざわざレンタカーを借りたが、俺たちは4人でカーリースを利用しているため車を有している。


 4人で成約したものだが、運転を担当するのは主に俺だ。安瀬が運転しようとするのは珍しい。


「こっちは地元であるから問題ない。それに、個人的に寄りたい所もあるしの」

「そうか……ところでさ、アイツらはどうするよ?」


 今日、旅行に混ざる予定だった猫屋と西代。彼女たちはちょうど今頃、兵庫駅について待ちぼうけているのではないだろうか。


「なに、拙者が後でちゃんと事情を説明するでありんす。で、あるからして、もう2、3時間はガン無視で放っておくことにするのじゃ!!」

「清清しいまでの放置だな……まぁ、仕方ないけど」


 事情が事情である故、不義理であろうとここは安瀬の意見を尊重する。家族の事を2人にどこまで説明するかは、安瀬が決める事だ。


「それでの……我は暫くの間、大学を休む」

「え?」


 話題をぶった切る形で、突発的な宣言がなされた。


「親父の世話をせねばならん。手術が成功したとはいえ、流石にまだ心配じゃからな」

「あ、あぁ……それは、まぁ……そうだよな。どれくらいになりそうだ?」

「そう長くはない。兄貴がこっちに引っ越してくるまでのたかだか2週間程度である」

「なんだ、そのくらいか」


 もとより陽光さんは子供が生まれたら、嫁さんを連れて地元に帰ってくる予定だった。雨京さんの事故と、出産が重なったのは不幸中の幸いだったのかも────


「ん? あれ? でも、本来の出産予定って1月も先だったんじゃ……」

「相当無理をして予定を繰り上げ、自分だけ先にこっちに戻ってくるつもりのようじゃ」

「だ、大丈夫なのか、それ? 子供も生まれたばかりだってのに……」

「まぁ、本人たっての希望であるから……今回は兄貴の好意に甘えるとするよ」


 ……陽光さんって、俺と違って責任感あるちゃんとした大人だよなぁ。年の差なんて4つくらいしかないはずなのに……凄いな。


「……暫く会えないのじゃから、もう少しだけお主を独り占めするでありんす」

「へ? 何か言ったか?」

「い、いや、やっぱり何でもない……」

「?」


 斜陽を受けたせいか、安瀬の頬は少しだけ赤かった。


************************************************************


「じ……ない……じん…………」


 ぼんやりとした輪郭が、ふるふるとブレていた。


「じん……じんな…………陣内」

「んぁ?」


 名前を呼ばれ、意識がふわふわと浮上する。


 安瀬が俺の名前を呼びながら肩を揺らしていた。


「あ……悪い、寝ちまってた」


 どうやらいつの間にか眠ってしまったようだ。


 助手席に座っていたくせに、なにをやってるんだか……。


「よい。昨夜は慌ただしかったのじゃから、疲れが残って当然でござる」

「そう言ってくれると助かる……。んで、着いたのか……って」


 車から外を見て、寝ぼけていた意識が一気に覚醒する。


「おい……ここって」

「あぁ、じゃよ」


 民家からは距離を置かれ、墓石が理路整然と並ぶ聖域。安瀬の実家に向かうはずだった車は、墓所の駐車場に止まっていた。


「お墓掃除に寄った。少し、手伝って欲しい」


************************************************************


 安瀬家乃墓。


 そう刻まれた墓石の周りで、俺たちは掃除作業に没頭する。


「………………」

「………………」


 黙々と敷地内の雑草を抜いて、墓石を磨き、花を添える。布巾や献花は、俺が眠っている最中に安瀬がスーパーで予め買い揃えていたようだ。


 道具はそろっており、安瀬の手際も慣れきった物で、俺が手伝う必要があったのか分からないくらいの速さで掃除は進んだ。掃除中は特に会話がなかったのも、作業スピードに拍車を掛けていただろう。


 最後に蝋燭に火を灯し、2人して線香を上げて冥福を祈れば墓掃除はもうお終いだ。時間にして、20分も経っていない。


「…………」

「…………」


 2人並んで、墓前に手を合わせる。


 その最中、罰当たりにも俺は片目を空けて安瀬を盗み見た。


(…………今日は平気なんだな)


 朝からずっと安瀬はいつもと変りない。


 先ほど雨京さんから母親の話題が出た時も、驚きはすれど涙は流さなかった。


(もしかして……治った、とか?)


 平気そうな姿を見ていると、どうしても希望的な憶測が止まらなかった。父親の事故によるショック療法だろうが何だろうが、彼女の涙が止まったことを期待してやまない。


「ふぅ、これでひと段落ついたの」

「ん、あぁ……そうだな。敷地内は綺麗になったし、花もいい感じだぜ」

「………………どうしても、感謝を伝えたくての」


 安瀬はこちらを見ずに、控えめな様子で思いの丈を語る。


「親父が助かったのはきっと……きっと、母上のおかげであるからな!!」

「……だな」


 気丈に笑う安瀬と同じように、俺もほほ笑んで同意した。


 涙が流れていない分、いつもよりかは自然に対応できた気がする。


「……うーし、掃除したらなんか腹が減ったな。俺、朝から何も食べてないし……なぁ安瀬、地元なんだし美味い飯屋に連れて行ってくれよ。あ、食後に煙草が吸えるところがいいな」


 一区切りついたところで、俺はわざと呑気な話題を振りまいた。


 踵を返して、そのまま車まで向かおうとする。


 何も失われることなく、何も壊れてしまわずに、全てが終わった。それなら、暗い話はこれでもう終わりだ。


 それに、昨日から柄にもない事をやりすぎだ。今は頭を空っぽにするため、美味い飯と強いニコチンが欲しい。


「……待ってくれ、陣内」


 安瀬に呼び止められ、軽薄な足取りが止まる。


「と、唐突で悪いのじゃが、少し胸を貸してはくれんか?」

「──え?」


 突如として、安瀬の声音に、ざらついた悲しみが混ざった。


「じ、実は今から、の……こ、声を張り上げて泣い、てみようと、思っておる!!」

「っ!!」


 驚き振り向いた先には、瞳に涙を溜めこんで、今にも泣き出してしまいそうな安瀬の姿。泣きそうになりながらも、強気な態度を崩さない、いつもと何も変わらない彼女の姿。


「せ、拙者は、そ、葬式では、泣けなくてのぅ。1つの節目と、いうか……とにかく、い、今は、そ、そういう気分なのじゃ」


 ぎゅっと服の袖を握って何でもないように涙をこらえるその姿は、否応なしに弱り切った子供を連想させた。


 辛さを必死に押し込める彼女を前にして、俺はただただ自分の能天気さを憎んだ。


「じゃ、じゃから、す、少しの間、む、胸を貸せ。け、けっこう、その、げんかいで……な?」

「……いちいちそういうの聞くなよ、馬鹿」


 咄嗟に、太々しく、生意気な憎まれ口を叩く。


 今から溜まった辛さをさらけ出し、俺に甘えてくれようとする彼女。それに対して、これは正しい対応なのだと分かっていても、やるせなくて胸が痛かった。


「馬鹿とはなん、じゃ。ムカつ、く奴め。服に、は、鼻水つけてやる」

「ははっ、今着ているのお気に入りなんだからやめてく──」


 ──とすん


 軽口を言い終える前に、堪えきれなかった軽い感触が胸に駆け込んでくる。


「うぅ、くぅ……う゛ぅ゛、ぅ、うぅぅぅ……」

「…………」


 雁字搦めの胸中に直接、安瀬の啜り泣きが反響する。


 声を張り上げるどころか、彼女は必死に涙と嗚咽を抑えていた。


(そうだよな……そりゃあ、辛いよなぁ)


 治ったなんて、見当違いにも程がある。ひどすぎる勘違いだ。


 安瀬の傷心は、間違いなく悪化していた。


 陽光さんの結婚式や慰安旅行中。安瀬が母を想って流した涙は一滴で済んでいた。その後に涙が続くことなどなかったのだ。


 ……先ほどまで耐えられていたのは、心のバランスが崩れていたが故の奇跡なんだろう。


「ぅ、ぅっく……ひっく、ぅうう」

「…………」


 泣く彼女の背中に片手を当てがい、少しだけこちらに引き寄せる。彼女が許せる慰めはここまでだと勝手に決めつけながらも、その片手に精一杯の慈しみを込めた。


(……あぁ、ちくしょう)


 眼下で涙を流す安瀬を想いながら、同時に後悔の念を覚える。


『──だから俺の代わりに桜を頼む』


 結婚式で陽光さんに言われた、あの言葉。


(どうして俺はあの時、何の返答もできなかったんだ?)


 家族でもどうしようもなかった事を託されようとして、重荷にでも感じたのだろうか。


 過去に安瀬のトラウマを踏み荒らした俺には、不可能だと思ったんだろうか。



 ……それとも、猫屋の腕の事を考えたのだろうか。



(責任を取れ)


 凍った胸から、その短い言葉が反響して無限に増幅する。


(俺が…………俺が、安瀬の涙を止める)


 新たな決意を、決して曲げないよう、決して忘れてしまわないように、心に深く刻みつけた。


 当然、やり方は見当もつかない。


 だが、責務を果たさなければならない。


 複数あるのなら両方ともだ。


 傷つけてしまった猫屋安瀬。俺は2つの罪を清算しなければならない。


(でも、まぁ…………特段、深刻に捉える必要はねぇよな!! 俺、そういう重たくてジメジメしてんの大嫌いだし!!)


 今までの生活や考え方を大きく変えるつもりはない。ただ決意を新たにして、友人との日常を送るだけ。


 こういうのは時間を掛けて、焦らずゆっくりやらなくてはいけない。今まで通り、騒がしく酒と煙草に溺れ、ギャンブルで散財し、どうしようもないダメ大学生生活を満喫して、楽しくやればいい。


(だから……)


 4人で、昔を忘れられるくらい楽しい日々を過ごす。


(だ、だからぁ……)


 これまで以上に、楽しい時間を一緒に歩んでいくから。


(な、泣かないで……た、頼むから、泣かないでくれ…………)


 どうかいつものように、俺の事を馬鹿だと言って笑ってください。

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