国旗損壊罪成立はリベラルやフェミのせいではなく、山田太郎と自民党を支持したお前のせい
2026年7月17日、国旗損壊罪が成立した。『人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法により』国旗を損壊すると犯罪になるという意味不明な表現規制法が出来上がり、日本における表現弾圧は新たなフェーズに入ったと言えるだろう。
この悪法を成立させたのは、自民党を始めとする極右的な政治勢力である。……何を当たり前のことを、と思うかもしれないが、SNS上では既に歴史が修正され始め、この法案があろうことか「リベラル」や「フェミ」のせいで出来たという言説が幅を利かせ始めている。
あまりにも馬鹿らしいが、ここでは、その馬鹿をきちんと記録しておこうと思う。そうしなければ、馬鹿はすぐに自らの愚行を忘れるからだ。その忘却もまた、歴史修正の手段になってしまう。
なお、国旗損壊罪については以下の記事でも扱っているので是非読んで欲しい。
国旗損壊罪ファクト
国旗損壊罪に関する事実関係は極めて単純である。
・法案提出者は自民党、日本維新の会、国民民主党、参政党
・衆議院で賛成したのは主に自民党と維新の会
・参議院で賛成したのは自民党、日本維新の会、国民民主党、参政党、日本保守党
・山田太郎と赤松健は賛成した。退席もしていない
・参議院で反対したのは主に立憲民主党、公明党、共産党、れいわ新撰組、社民党など
以上のことから、国旗損壊罪の法案を作って通したのは一貫して自民党と、それに追従する極右的勢力である。リベラルの出番はどこにもない。こんなことは猿にでもわかる。
何としてでも責任を認めない人たち
国旗損壊罪は「表現への不寛容さ」のせいではない
ではなぜ、表現の自由戦士はこんな単純なファクトを認めることができないのだろうか。彼らはいったいどういう理屈で、自分の中にある妄想を正当化しているのだろうか。
特に目にする正当化は、国旗損壊罪を「表現への不寛容さ」という概念で理解しようとする屁理屈である。
要するに自由戦士たちのなかでは、国旗損壊罪の成立は「不快な表現」への寛容さや耐性を失った現代社会を背景とした現象だということになっている。彼らは「リベラル」や「フェミ」が「不快な表現を規制しようとしている」という従来の妄想を繰り返し、国旗損壊罪もその延長線上にあると印象操作を試みる。いや、それどころか、「リベラル」や「フェミ」こそが不快な表現を規制していいという風潮を拡大させてきたのだから、国旗損壊罪の成立も「リベラル」や「フェミ」に責任があるのだという、壮大な言い逃れをしてすらいる。
このような主張はあらゆる側面で間違っている。ここで最も強調したいのは、国旗損壊罪は不快な表現を規制したいという欲望によってなされたものではないということだ。
確かに、極右的な人々にとっては、国旗を燃やすような表現は不快だろう。しかし、彼らは不快な表現を見たくないから国旗損壊罪を作っているわけではない。国旗損壊罪はあくまで、自分の気に入れない意見や人物を弾圧し、自身に反抗する風潮を潰し、自分が権力を好き勝手に振り回すことができるようにするための手段の一環に過ぎない。今回はたまたま、国旗損壊罪の成立がその手段だったというだけだ。
自民党政権のこうした振る舞いは、オタク的文化の語彙を借りて「わからせ」と表現するとわかりやすい。彼らは、自身が「上級国民」であり、そうではない二級や三級の市民には許されないことを許されるのだという立場の確立のためにあらゆる手段を用いる。国旗損壊罪の成立はその一部分にすぎない。
このような試みは第二次安倍政権以降、ないしはそれ以前の自民党政権下で繰り返し行われてきた。森友学園問題に代表されるような身内への便宜と決定的な証拠を無視した権力への居座りは、単に経済的な利益が欲しいから行われただけではない。ルールを無視して私腹を肥やしてもいいのだという立場の象徴の一環として行われている。
こうした側面から同類の出来事は無数に行われてきた。例えば、安倍晋三と交友のあったジャーナリストの山口敬之の逮捕状が握りつぶされるなどの不可解な、司法を軽視した便宜もこれである。これは単に友達の罪を免じたいというだけではなく、権力の座にあれば法律を捻じ曲げてもいいという「わからせ」の一環である。
あるいは、安倍晋三が熱心に勧めた性教育への弾圧もこれにあたる。彼らは極右的な妄想によって性教育が害悪であると信じ込んでいたが、それとは別に、こうした教育への弾圧は権力者に都合を最優先してあらゆる領域に手を加えることができるという「わからせ」の一環である。
直近でいえば、辺野古での海難事故に騒ぐのも同じだ。彼らは在日米軍が沖縄県民を犯したり殺したりしたときにはダンマリだったが、本土の人間が死んだ途端に騒ぎ出した。これも、沖縄への差別意識の表れや基地への反対運動を潰したいという欲望の発露であると同時に、性教育弾圧と同様の教育への介入であり、物事の重要度を論理の埒外から決められるという権力者の特権を象徴させるための行為の一環だ。
こうした自民党政権の横暴は、全て地続きの問題である。個々の問題の特性はもちろんあるものの、それだけを取り上げて論じるのは本質を見誤る。ましてや、「表現への不寛容さ」という自分に都合のいい要素だけを抜き出して、「リベラル」に責任を擦り付けようとする態度では、一生かかっても問題の本質に辿り着くことはできない。
誰もそんなこと言ってないですね
国旗損壊罪の成立の原因を「表現への不寛容さ」に求める主張の誤りは、それだけではない。そもそも、「フェミ」や「リベラル」は彼らが批判する種々の表現について、不快だから規制しろと主張しているわけではない。
もちろん、オタクが興奮する類の表現は基本不快である。オタクが喜んでいる様自体がそもそも不快なのに、それが妄想的なエロの野放図な拡散であれば、まともな大人なら誰だって不快になる。だが、特定の表現に規制が必要であるという主張は、その表現が不快だから訴えられているわけではない。
例えば、児童ポルノの単純所持規制については、児童ポルノを所持するという行為自体が被写体となった被害者への加害になるため規制が訴えられた。あるいは、ポルノの野放図な流布は性犯罪の入り口になるなどの悪影響も懸念される (もちろん証拠はある)。規制という手段が有効かどうかは議論があるとしても、少なくとも、規制が不快感によってなされているわけではない。
ヘイトスピーチについてはより明確だ。ヘイトスピーチはそれ自体が加害行為である。快不快を越えて (もちろん不快だが)、特定の属性の人々に対する脅迫行為であり、加害の扇動行為である。表現の自由戦士のなかには何故か国旗損壊罪とヘイトスピーチ規制法を並列して不快な表現への規制だと論じる間抜けもいるが、ヘイトスピーチが加害行為であるとすら理解できない脳みそではこの先のステージには行けない。
問題は、彼らの脳みそがそこを理解できないことだ。自由戦士の理解力では、表現を快不快の水準でしか捉えることができない。だから、必然的に、彼らの仮想敵も同じ水準で捉えていると考えざるを得ない。自分が所持していない概念を相手が持っていると想定して議論を組み立てるのは不可能だ。実際にはそうではないのだが、自由戦士は延々と的外れなことを言い続けている。これでは、幽霊が見えないのに幽霊と戦おうとしているに等しい。
根性なしの自由戦士
腑抜けの中立仕草
今回の国旗損壊罪成立において、表現の自由戦士の罪は重い。彼らの罪は常に重いが。
今回特に問題が表面化したのは、彼らの著しい腑抜けぶりだ。彼らは国旗損壊罪を嫌がりながら、それを真正面から批判する胆力すら持たなかった。その行き着く先が、以下のような腑抜けの中立仕草だ。
彼らは国旗損壊罪に反対すると、大嫌いなリベラルと同じになってしまうと考えている。それを嫌がっている。
実際には保守派にも国旗損壊罪に反対する者もいたから、まずそこが間違っている。先に、表現の自由戦士が表現を快不快の水準でしか捉えられないと指摘したが、同じ問題がここでも起きている。彼らは抽象的な状況を理解する能力を欠くので、別の考え方を持つ人たちがある法案に同じ態度を示すということが理解できない。これはもう、表現の自由戦士の手に余る複雑さになったようだ。
そして、国旗損壊罪に反対するために大嫌いなリベラルと同じ側に立つという度胸を見せられないのが、彼らの最大の問題である。国家権力が大胆な弾圧を行おうとしているときに、自由戦士は自分の好き嫌いのことしか考えていない。彼らは政治を、仲のいいお友達とつるむというガキの遊びの水準でしか理解できていない。だから、国旗損壊罪に反対したいけどリベラルと同じになるからできないなどと言う寝ぼけたことを言い出す。
困難な目的を前にしたら、たとえ嫌いな存在であっても同じ側に立たなければいけない時がある。それが大人の仕事だ。少なくともリベラルの中には、公明党も国旗損壊罪に反対しているから反対できないなどと言いだす馬鹿はみられなかった。
受け皿はある、お前が飲み込むかどうかの問題
受け皿がない理論は、自民党を仕方なく支持していると嘯く自由戦士の中で人気のある言い訳だ。彼らは本当は自民党など支持したくないが、野党が情けないとか役に立たないとかいろいろな言い訳を並べ立てて、結局自民党を支持する。
だが、受け皿はあるのだ。例えば共産党は、国旗損壊罪に一貫して反対してきた。社民党やれいわ新撰組も同じだ。立憲民主党も同様で、怪しい雰囲気を醸し出しつつも、中道改革連合だって自民党に比べたら圧倒的に表現の自由を守る側の行動をしている。
もちろん、政党は表現の自由だけで選べるわけではない。表現の自由だけをとっても考え方にばらつきはある。しかし、表現の自由を重視するなら、自民党よりはるかに投票すべき政党は無数にある。受け皿はある。
表現の自由戦士がすべきなのは、表現の自由を守るためにほかのイデオロギーを度外視して野党に投票するか、表現の自由を諦めてほかのイデオロギーのために自民党に投票するか選ぶことだ。どちらにせよ、ちょっとした根性は見せる必要がある。まぁ、紙に政党名を書いて入れるだけだから根性など大していらないのだが、その僅かばかりの根性すら発揮できず、パソコンの前でぐだぐだと言い訳を並べ立てているのが自由戦士だ。
自民党に入れながら表現の自由を守るということはあり得ない。それは国旗損壊罪以前からすでに明らかである。表現の自由を守るためには、自民党ではないまともな野党に投票する必要がある。
受け皿は既にあるのだ。自由戦士がそれを認めるかどうかの問題でしかない。
赤松健の言い訳を添削しよう
有料部分のおまけとして、赤松健が長々と書いた言い訳を徹底的に添削するパートを設けた。自由戦士の言い訳はこれからも増え続けるだろうが、極力すべてを潰しにかかるのが重要である。
もっとも、結論としては私がTwitterで呟いた「国旗損壊罪に賛成と書くだけでこの長さ?」でオチているのだが。
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金のない犯罪学者にコーヒーを奢ろう!金がないので泣いて喜びます。



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