そろそろ真剣に次の打つ手を考えよう。
ザクロ荘にnote外からも人を引っ張ってきたいな、と考えている。
いや、前から考えてたんだけど、そろそろ実際に動こうかなって。
ただこれいきなり表現者Aと出会って、入ってもらっても、あんまり機能しないと思うんだよね。
今少しでも話せているのは、やはり「note」という共通のバックボーンがあるからで。
じゃないと話のキッカケが無かったりして。
なんとなく機能しない未来が見える。
となるといきなり俺と無関係なところからは、引っ張ってこれない。
ある程度俺が同じステージに立ってる人じゃないと。
ってなるとZINEか、、、
現実問題次に引っ張り込むとしたら、ZINE界隈だろうな。
といっても自分で作ってるだけじゃ、そもそもそんな人らと知り合うチャンスも無い。
まぁ有効なのはZINEフェス的な場に行って、そこで繋がることかなぁ。
ちょっと面倒いけど刺激にはなるかもだしな。
正直俺的には、あんまり今のZINE界隈の仲間入りをしたいとは思えないんだが、個人でこちらに引っ張ってくる分には問題無い。
思ってもみなかった見方があるかもだしね。
引っ張ってくるかぁ。
もちろんnoteをやってる皆さんで、ZINE作ってるみたいな人も大歓迎です。
そもそもZINE関係ない人も引き続き大歓迎です。
───
自分の頭の整理のためにも、ザクロ荘の運営で俺が考えてることをちょっくら書き出しとくか。
大前提俺は現代において、作品「だけで」インパクトを生むことは難しいんじゃないかと考えてる。
いや、正確にはインパクトが単発のコンテンツとしてしか、存在出来ないとでも言おうか。
既に世の中には魅力的・刺激的なコンテンツが溢れてるし、AIによって更に凄いことになっていく。
そんな時代に足場から揺らすような、面白いことをやろうとしたらそれはもう「運動体」の中にしか無いんじゃないだろうか。
勿論それでも作品の強度は欠かせない。
けどもう個人は「動き」のなかにしか存在出来ないような、そんな感覚がある。
文学者と起業家(あるいは活動家?)の境目は、ずっと小さくなっていく。
俺の目的は金儲けじゃないけど、それでも動き方としてはたぶんそれなりに後者に近づいていくんだろう。
サロンを作るにあたり、まず俺が思ったのは、「社会人って人間関係固まりすぎじゃね?」ってことだ。
予定調和、予定調和、予定調和。
まずそれを崩したかった。
だからその時やっていたnoteを利用して、
文学サロンという、色んな立場や年齢を横断する集まりをつくった。
別にこれ自体は何ら真新しいものじゃない。
サークルのようなものはそこら中に溢れてる。
一個あるとすれば、先に述べた通りnoteという共通のバックボーンから始まってるから、一歩目が普通より深めにイケるってのはあるかも知れない。
創作物っていうある種「恥部」ともなり得るものを、互いに同じ場所に晒して始まってるから。
文芸サークルだとまず互いの作品を晒して、それに対する講評みたいなものがメインになると思うんだけど。
良くも悪くもそういう側面は強くない。
もちろんザクロ荘でも各自の作品について言及したりはある。
けど、どっちかというと作品の良し悪しよりも、どういう背景でその創作をしたかとか、そういう前提のほうに重きを置くところがあるかな?と思う。
そして俺はそれで良いと思っている。
作品の良し悪しを講評するような文芸サークルは、俺も試しに身を置いたことはあるが、なんていうか「ツマンねぇな」と感じた。
結局広がりがないというか、俳句の添削のようにゴールがあってそこに向かってくかのような。
俺はそもそもコンテスト文化自体を唾棄すべきものと感じているくらい、「正解」というものには懐疑的だ。
良し悪しがテメェなんかに分かんのかよ、という意識は常に誰に対しても(それは自分に対しても)ある。
とはいえ良く見える作品とそうじゃない作品があることも事実で、だから正解を押し付ける態度じゃなく、個々人の好みでアレコレ言うくらいで良いんじゃないかと思う。
正解を押し付けると潰れる才能が沢山あるからね。
話がずいぶん脱線したが、俺にとってはサロン作りも実験のひとつだ。
「AとBを掛け合わせたらどうなるんだろう?」
そういう好奇心が、創作もその他活動にも、全てに共通して流れてる。
本来出会うはずが無かったものがそこで会い、化学反応が起きる。
そういうものをもっと沢山見たい。
あ、ちなみに上記のサロン観・文学観は俺が勝手に思ってるだけで、メンバーと共有されたものじゃないです。
思想集団じゃないんでね。
皆んなが同じことを思う必要なんてどこにもない。
ってかそんなの気持ち悪い。
自分の創作に役立つかもだから覗いてみよ。
皆んなそんな感じですよ。



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