第116話 西代桃のストレス


「誰か、お金を貸してください」


 俺はパンツ1枚で土下座していた。


 山岳と平地の間に位置する丘陵の洋館。その中では赤みがかったウッドテイストの内装が安心感を与えてくれ、近くで聞こえる川のせせらぎは癒しを提供している。


 そんな優美な客室に彼女たちが通された瞬間、俺は部屋中央で土下座したのだ。


「用意したイカサマは全部見抜かれて金品はおろか着てる服まで剥ぎ取られました。改めてお願いしますが、この旅行中に使うお金を貸してください」

「……馬鹿だよね。君って」


 西代が呆れて肩をすくめる。


「基本的にどうしようもない奴よな、お主」


 次点、安瀬が軽く額を押さえた。安瀬と西代はクズを見る目で俺を見下ろしている。


「まず何でお爺様と賭け事しているのかは置いておくとしさ……何かが憑いてないかぎり君があのお爺様に勝てるわけないだろう?」

「返す言葉もございません」


 あのジジイはマジで怪物だった。


 種目はポーカーだったが、こっちがカードのすり替えをして勝負すれば何故かそれ以上の手を返され、特殊溶液でガン付けしてカードを丸裸にしようとすれば、いつの間にか使うデッキそのものが入れ替わっていた。


 なお最も怪物性を感じたのは良心がマヒしている所だ。


 この洋館の庭で、服と必死にバイトして貯めた金を焚火に放り捨て『ぐぎゃはははははは!! 老い先短い身で若者の時間の結晶を砕くとはこうも甘美か!! ほらもっとむせび泣け時給1028円!! お前の40時間ほどが消し炭になる所をな!!』と笑っていやがった。


 悔しすぎて血涙がでるかと思った。俺たちでも敗者にそこまでやらねぇ……。


(……お、俺の4まんぇぇん。ば、バイクの改造がまた遅れちまう…………なんで俺は、なんで俺はあんな無謀なギャンブルを……)

「もぉー、しょうがないなぁー陣内はー……!!」


 傷心真っ只中の俺を生暖かい猫なで声が包む。


「仕方ないからー、私が貸してあげるよー!! 感謝してよねー、陣内!!」


 優しい猫屋は、嫌な顔一つせずに財布を懐から取り出そうとした。


「え、いや、その……」


 ダラダラと大量の冷や汗が流れ落ちた。


 猫屋が居る場で金の無心なんてするんじゃなかったと遅れて後悔する。4万を失ったショックで失念していた。猫屋は優しいのだから本当に困っている時は助け舟を出してくれるに決まっている。


(で、でも猫屋だけからは借りたくない……!!)


 本当に嫌だ。前にも思ったが金の出所が俺にとって最悪すぎる。


「はぁ……ほれ、陣内」


 安瀬がため息をつきながら、猫屋よりも早く財布から金を引き出す。


「2万じゃ。しっかり働いて返すのじゃぞ?」

「あ、安瀬様ぁ!! いいんですかぁ!?」


 俺がどうにもできずにいると、思わぬところから救いの手が伸びる。


「よいよい。じゃが貸し1つ、であるぞ陣内?」

「はぃい!! 全身全霊でお返しさせていただきまぁす!!」


 俺はもう一度頭を床にこすりつけた。俺、最近金の無心をしすぎではないだろうか? 1年の頃は大抵貸す側だったはずなのに……。


「ふふ、まったく大袈裟なやつめ」

「むぅー……」

「ふふっ、なんじゃ猫屋。不服かの? 誰が貸そうと変わりは無かろう?」

「べっつにー」

「ありがとう、ありがとうございます安瀬様ぁ……」

「……………」


 パンイチで正座している俺の肩にポンっと西代の手が置かれる。


「陣内君、将来ホストにだけはならないように」

「はい? いや、ならないけど。ていうか俺の顔じゃあ無理だろ」

「いいや。僕はかなりいい線行きそうで怖くなったよ」

「?」

「とにかく、次からは僕だけに言おうね。僕が、ちゃんと貸してあげるから」


 耳元に顔を寄せ、西代が俺にだけ聞こえる声量でそう囁く。


「は? 冗談よせよ。お前、いつも金欠じゃんか」

「い、い、か、ら」


 急に西代の肩を掴む力が強くなる。


「今度からは僕だけに言おうね? ね?」

「お、おう」


 ……なんでコイツちょっとイライラしてるんだ?


************************************************************


 燃やされた服は今着ていた物だけだった。なのでキャリーケースに入っていた着替えは無事。それに着替えた後で俺たちは荷物を置いて遊びに出かけた。


 仁淀によど観光エリアの1つである安居渓谷やすいけいこく は、洋館から車で15分程度の所にあった。


 駐車場に車を止め先に水着に着替えた俺は女性陣よりも先にビーチパラソルや椅子を持って川のほとりへと下り、川遊びの準備を始めていた。


「晴れて良かった」


 仁淀ブルーと言われる青い川を目の前にして、快晴に恵まれた景観を爽やかな気持ちで見渡す。緑生い茂る山中で開けた川辺は碧と蒼のコントラストが映えており傍観しているだけで気分がスカッとする。


 ただ西代が言うには『にこ淵の方が綺麗だけど遊ぶならやっぱりここだね』とのこと。これで一番景色が良いという訳ではないのだから、高知の水質は凄まじい。


 2段に連なる砂防ダムが水流を横に長い滝として作り、その下にある人口の滝つぼの川底は7メートルにもなる深さを有するらしい。


 なんとも壮大な大自然。体を全部浸しても足がつかない川なんて初めてだ。正直、早く飛び込みたくって仕方がなかった。


「や、やっほー」


 設営が終わってキャンプ用の椅子に腰かけた所で、車内で着替えていた猫屋がひょいっと顔を出す。


 フリルを重ねた肩紐のないチューブトップの胸元に、深いスリットが入ったミニスカート風の真っ白な水着。流麗な金髪と白い水着が、燦燦と降り注ぐ夏の日光を弾き返していると錯覚するほど光り輝いている。


 相変わらずとんでもなく可愛い奴……。撮影会とか開くだけで金が取れるわ。


「ど、どーう? 陣内」

「どうって」


 彼女は右腕を後ろにやり、真っすぐに姿勢を正す。肘の手術痕を隠し、水着をこちらに見せてくれてるのだと分かった瞬間、罪悪感がチクりと胸をさした。


(…………こういう時、なんて褒めそやすのが正しいのかいつも悩むな)


 彼女は誰がどう見ても美人に分類される。容姿に関する称賛なんて浴び飽きているだろうし、マジでなんて言うのが正解なのか分からない。


「似合ってんなぁ……しみじみと、感慨深く、そう思うわぁ」

「あははっ、なにそのジジ臭い感想ー? も、もしかして恥ずかしがってるー?」


 まずいミスった。変な言い回しをしたせいで猫屋が困った顔をしている。馬鹿の考え休みに似たりだ……こうなれば本音を曝け出してしまおう。


「は、恥ずかしいって言うか、俺ってそもそも白色が好きでさ」

「!!」

「まぁ……そう言った訳だから…………見てていつもより綺麗に感じました。……悪い、これ以上は恥ずかしいから、マジ勘弁……」

「だよねだよねー!! いつも白い靴履いてるから、そうだと思ったんだー!!」


 本音を曝け出して悶えてしまいそうな俺の姿に満足してくれたのか、猫屋は上機嫌そうに隣の椅子に座る。


「えへへ、超ラッキー……」


 彼女は器用に椅子の上で体育座りをして、笑みを抑えるように両手で頬をムニムニと揉む。もう日に焼けたのか、その頬はほんのりと赤い。


「…………」


 思わず生唾を飲み込む。つくづく思うが俺には勿体ない光景だ。ノンアルが入ってなかったら一発KOだわ。


「そ、それで安瀬と西代は? まだ着替えに時間かかりそうか?」


 俺は追加で川で冷やしたノンアルをぐびぐび呷りながら、未だ姿を見せない2人について問いかけた。


「あー……実は安瀬ちゃんはすっごい恥ずかしがっててさー。今は西代ちゃんに背を押されてるって感じなんだよねー」

「はぁ? 恥ずかしい?? あいつコスプレとか割と好きじゃんか。罰ゲームでとんでもない格好で大学行ったりもしてるってのに?」

「……それとこれとはまるで別次元の話なのー」

「へぇ、そういうもんなのか」

「ほらっ、安瀬!! いい加減覚悟を決めてスタスタ歩く!!」


 まぁ水着だからそんな物かと自分を納得させた時、背後から西代の鋭い声が聞こえてくる。


「お、おい!! 押すでないでござる!! わ、我にも心の準備という物がな──!!」


 後ろの木陰から安瀬が急に飛び出てきて、俺が座る椅子の右前へポンと躍り出る。


「…………」

「…………」


 安瀬と俺はぴったり目が合ったまま、1秒ほど静止する。その後で、俺は飲みかけの缶を口元にゆっくりと運んだ。


 胸元で結ぶタイプの花柄ビキニ。派手な露出を恥ずかしがったのか、彼女はそこに薄いショートブラウスを合わせていた。下のビキニも胸元同様に小さな布面積を隠すため絹のようなロングスカートを纏わせている。


 買った水着が思ったより派手で上下ともに色々と工夫を凝らしたようだが、併せた隠れ蓑は両方ともシースルーなので透けている。男にとっては完璧に逆効果だった。布生地のもやの奥にあるせいでスタイルの良さがより感じられる。


 俺は誰にもバレないようにノンアルコールビールを胃に垂れ流し続けた。ただでさえノンアルではブレーキの効きが悪いのだ。量をやらないと気色悪い目で彼女を見てしまいそうで嫌だった。


「ど、どうじゃ陣内。お、おかしくは……ないか? 変ではないか?」


 沈黙を破ったのは安瀬の方からだった。顔を真っ赤にしながら、それでも彼女は俺に正対を向けようとする。普段は元気溌剌な彼女だが、今日に限っては自信がないのか何故かしおらしい。


 その可憐な佇まいに俺は内心、戦々恐々としていた。


(どいつもこいつも俺に感想を求めるんじゃねぇ……!! どこをどう切り取っても可愛いんだよお前らは!! 鏡を見てから物を言え!! いい加減キレるぞ!! せめて間を置け、間を!!)


 胸からミシミシというひび割れ音が響き続けている。男の俺の意見が欲しいんだろうが、生憎とこっちはもう限界ギリギリ。2人連続は心臓に悪すぎる!!


「……かわ、いいと思う。超かわいい」


 何とか絞りだした言葉は、自分でも全く気が利いていない頭が悪い物になってしまった。


「お、お前を見ると他の観光客は自信失くすぜ? マジでよ」

「そーだよねー。私もちょっと……うん、失くしちゃうかもー……」

「……ふへ……ふへへ…………そうかの? う、うむ、そうであろうな!! この我より美貌に優れた女子おなごなぞそうはおるまいて!!」


 猫屋の追撃もあったおかげか、安瀬は頬を緩ませながらみるみると平常運転に戻っていく。


「ん? 安瀬、顔が赤くないかい?」

「う、五月蠅い!! 茶化すな西代!!」

「ふふっ、ごめんごめん。でも3人で悩んだ甲斐があったね、水着。僕から見てもよく似合ってるよ」

「そ、そうか、似合ってるか…………ふ、ふふふ…………あ、いや、基本的に悩んでたのは猫屋であったがの!! これは猫屋の手柄でありんす!!」

「うーん……似合うの選びすぎちゃったかなぁー……でも、あれが一番可愛かったしなぁー…………はぁー、花梨かりんにまた怒られそー……」


 褒められてご満悦な安瀬が調子に乗り、その様を見て西代がクスクスと笑い、隣に座る猫屋は体育座りのままブツブツと何か小言を漏らしていた。


 安瀬のプロポーションの良さに打ちのめされているのだろうか? ……全然気にしないでいいのに。俺からすれば2人とも傾国の美女だ。


(……ん?)


 無心でノンアルの二缶目に手を伸ばした所で、西代が顔をこちらに向けているのに気づく。


「…………」


 俺と目が合った瞬間、彼女は自然に体を半身の状態から斜に晒した。


 ワンピース型のシンプルな黒い水着。2人の物とは違って落ち着いており、彼女のクールな性格が相まって大人の妖艶さを醸し出している。


(コイツもまた似合ってんな)


 猫屋の見立てがばっちりと決まっていた。西代は普段は服装に無頓着なので、余計にそのギャップが際立っている。


「…………」


 見つめていると、西代は恥ずかしそうに水着の裾を握った。


 その反応を見て今更ではあるが、あまり女性の水着姿を凝視するのは良くないと思い、俺は急いでノンアルを流し込んで椅子から立ち上がる。


「うし、4人揃ったしそろそろ行くとするか」

「────ぇ?」

「そ、そーだねー!! やってしまった事は振り返らなーい!! もう普通に泳ぎまくってやろーっと!!」

「ふむ、随分張り切っているではないか猫屋。よし、では元水泳部である我と泳ぎ比べでもするか?」

「んー? まぁやってもいいけどさー、絶対私が勝つよそれー? 運動系で安瀬ちゃんに負けた事ないしー」

「吐いたな小娘!! 良い機会じゃ!! お主にも届かない領域がある事をその身に分からせてやるでありんす!!」

「おーおー、いーじゃん。やってやろーじゃーん!!」


 川遊びが始まってすらいないのに2人は何故か喧嘩腰になっている。相変わらず何でも勝負ごとにしたがる奴らだ。


「あの……陣内君」

「ん? なんだ西代?」


 先行して歩き出した2人を追おうとした所で、背後から西代に声をかけられる。


「ぁ、いや、その……ぼ、僕には、何も言って──」

「なにしてんの2人ともー!! 早く来なよー!! ダムよじ登ってさぁー、全員で飛び込み勝負しよー!!」

「深さが7メートルもあるらしいからの!! 特別に拙者の華麗なる飛び込みフォームを披露してしんぜよう!!」

「はぁ!? お前らほろ酔いの癖に潜ろうとしてんの!?」


 少量とは言えアルコールが体内に残ってるとは思えない発言に俺は自分の耳を疑った。


 常識的に考えて酒飲んでるなら浅瀬で遊べよ!! せめて腰が浸かる程度がギリギリのラインだろうが!!


「行くぞ西代!! 絶対死守だ!! てか猫屋は右手使えないの自覚してくれ!! 頼むから!!」

「…………うん。随分と過保護になっちゃったよね。君も、僕も」


 西代は呆れと嘲りを交えた小言を呟き、先を歩く2人をぼんやりと見つめていた。


「当たり前だろ!! 最悪、水着を剥いででも連れ戻せ!!」

「ははっ、後で僕が半殺しにされちゃうよ、それ」

「……?」


 緊急事態だというのにいまいち覇気が感じられない彼女を見て、俺は首を傾げた。


************************************************************


「ふぅ、ふぅ……あぁ、泳いだ泳いだ!! こんなに泳いだのは久しぶりだわ」


 深い川底にずっと潜水していた俺は休憩のためビーチパラソルの下へと戻ってきた。


「……楽しそうだね、陣内君」


 パラソル下の椅子には、いつの間にか西代が先に戻っていた。彼女は煙草に低度数の缶チューハイ、それに防水カバーに巻かれた本を持って川辺を満喫している。


「あぁそっか。水着の美女2人に追い回されて楽しくない訳がないよね?」

「嫌味か西代。お前、俺がその美女2人に追われて滝つぼに避難した経緯をちゃんと見てたろうが」


 健全な男女なら水の掛け合いでキャッキャウフフとなるのだろうが、あいにく俺たちは全然健全ではない。基本的にバイオレンスだ。


 安瀬は市販の物を魔改造した水鉄砲、猫屋は川底が砂利であることを加味した上での恐るべき投げ技。両者は笑顔で水遊びとは名ばかりの水上戦争ごっこを開催し、未だに戦いを繰り広げている。


 なんの武器もスキルもない俺は、早々に滝つぼの方へ潜って逃げる羽目になったという訳だ。


「というかお前も蹂躙されそうになったから逃げて来たんだろ? 勝ち目がない戦いってのはお前だって性に合わないだろうし」

「……まぁね」

「安瀬も猫屋も、他の観光客もいるってのに人目を気にせず暴れやがって……旅行とはいえ目に見えてテンション高いよなアイツら」

「…………だね」

「?」


 面白くなさそうに、西代はそっけない返事を返す。俺が見てない所で安瀬たちによっぽどひどい目に合されたのだろうか?


「しっかし、身を隠すために深い所まで潜ってみたけど、川ってまぁまぁヤバいな。全然浮上できないから一瞬焦ったわ」

「…………海と違って川は浮力が少ないからね。酒飲んでる2人には潜らせないようにしなよ?」

「分かってるって。アイツらには腰が浸かる程度の所で自重させてる。てか西代はもう泳がないのか?」

「うん。僕、ちょっと疲れちゃった。元々あんまり泳げるほうじゃないしね」

「そうなのか」


 防砂ダムがあるおかげか、水量が多いのに川の流れは緩やかだ。深くなければ海よりも疲れなさそうなものだが……。


「ねぇ知ってる? 香川の小中学校って水不足でプールの授業が休止になったりするんだよ? それで水泳の授業が何度潰れた事やら……」

「そ、それはやべぇな。低学年は大泣きするだろ」


 香川は地理的に水不足に陥りやすいと聞いたがそこまでか。高知から水をもらってうどんを茹でていると言うだけの事はある。


「元より小さい頃は体が弱くて体育は休みがちでね。僕、大抵の運動は不得意なんだよ」

「まぁ、うん、知ってる。でもよ、浮き輪とアームリングもあるから浮かぶくらいは問題ないだろ? せっかくだし、それ付けてもう一回行こうぜ」

「…………ダサいからヤダ」


 そう言って、西代は水着のしわになっている部分を伸ばす。


 一度水に濡れて濃さを増した黒色の水着は、より彼女の魅力を引き出しているように思えた。


「んだよ、その理由。なぁ2人で手を組んで復讐しようぜ? 具体的にはお前が囮になってる隙に俺が安瀬から水鉄砲を奪取するからさ」

「うるさいな。放っておいてくれ」


 本に集中したいのか、彼女は羽虫を払うように手を振って俺に1人で戻れと催促してくる。


(……珍しいな)


 いいや、どちらかと言えば久しぶりに見たというのが正しいか。


 入学して半年ぐらいの頃までは、彼女は俺たちが遊びに誘っても『本が良い所だから』と言って混ざらない事が多々あった。だけどここ最近は文句を言いながら栞を挟むのが常。やれやれと口にしながら、ノリノリで馬鹿に付き合ってくれるのが彼女の良い所だ。


 まぁでも、西代は基本的にギャンブルと読書の申し子。旅行中とはいえ、個人的な楽しみを奪おうとするのは流石に悪い気もする。


「……そっか。水着、大人ぽくて超似合ってんのにちょっと勿体ねぇな」

「っ!!」


 撥水性のブックカバーが水滴で滑ったのか、読んでいる本が少しだけ下にずれる。


「本のきりが良くなったら来いよ。心配しなくても、足攣ったりするのが怖いなら溺れないよう俺が手でも握っといてやるからさ」


 俺がそう煽ると、西代はずれ落ちた本を顔が隠れるくらいに近づける。


 ここまで言えば、区切りの良い所で彼女も参加するだろう。ちょっと煽りすぎたかなと思わなくはないが、やっぱり俺たちは4人で遊んでないとどうにも締りが悪い。


「じゃ、後でな」


 それだけ言い残して、俺は再びほろ酔いの蛮族が暴れているバトルフィールドへ戻ろうとする。


「…………いじわる」


 背後から何か聞こえたような気がして振り向いたが、西代は相変わらず本で顔を隠したままだった。


 暫くした後、俺の予想通りに西代は浮き輪を持って俺たちとのじゃれあいに参戦した。


************************************************************


 時間は進み、完全に暗くなった時間帯。


 俺は風呂上りで温まった体を冷ましながら、宿泊部屋までの廊下をゆっくりと歩いていた。 


 陽が沈むまで川で遊んだ俺たちは川遊びでついた砂や泥を落とすために晩飯の前に風呂に入る事にしたのだ。


「あぁ~、デカい1人風呂はやっぱり気分が良いぜ」


(いつもは気を遣ってシャワーしか浴びてないから、体が喜んでる気がする)


 今日はもう運転しなくてよいので、調子に乗って風呂場にこっそりビールを持ち込んじまった。ほろ酔いで頭がふわふわとしている。


 しかも今日の晩飯は風見さんが高知で獲れた魚を捌いて提供してくれるらしい。安瀬もお酌してくれるって言うし、今日の晩酌は過去最高の物になりそうだな。


 ────ふ゛ふ゛


 晩飯への期待に胸を膨らませていると、尻ポケットに入れていたスマホが震える。


「ん?」


 あの3人が早くも風呂から出たのかと思ってスマホを開く。だがそこに表示されていたのは非通知からの不審なショートメッセージだった。


『燃やした金を補填してやるから今すぐ別館の地下室に来い』


「………………は? 別館? 地下??」


 宛先も何も記載されていない謎のメール。


 だが、文脈から察するにメッセンジャーの見当はすぐについた。


(垣蔵さん、だよな。これ)


 俺の人生において金を燃やされた経験というのは今日という日をもって他になく、該当する人物は東城垣蔵を置いて他にいない。


 でもあの爺さん、いつの間に俺の連絡先を……西代から聞き出したのか?


「んん……」


 不躾な招待を受けて俺はその場で逡巡する。


 俺を悩ませているのは、金を補填するという一文だった。


 唐突すぎる甘いお誘いだが、バイクの改造費の事を考えるなら行く一択だ。だが、誘い主はあの怪物ジジイ。絶対にろくでもない賭け事が待ち受けているのは行く前から確定している。


「金を返してくれるって言うなら行くしかないけどさ」


 これから晩酌を楽しむ予定だったため、気分が勝負師モードに切り替わらない。それに今朝の惨めな敗北が未だに尾を引いている。こんな状態であの爺さんに関わっても大丈夫だろうか……。


「……まぁ、考えても埒が明かないか」


 それに女性陣が風呂から出てくるのはまだまだ先だろう。猫屋の右腕も症状が落ち着いたので、今日の3人はきっと長風呂になる。


 暇つぶしには重すぎるイベントだが、とりあえず足を運んでみよう。


************************************************************


 一旦、洋館から外へ出て庭を横切り、森と敷地内の区切り目にあるサンルームのような小屋へと入る。


 地下に来いと言われていたが部屋内に階段は見つからなかったので不思議に思い周囲を探索してみると、部屋の隅のカーペットが大きく捲られており、そこには鉄製の大きなハッチがあった。


 な、なんだこれ? 地下防空壕の名残? と内心訝しみながらも、俺は昇降梯子を下っていき、続く廊下の先にある重そうな鉄扉を開いた。


「おぉ。よく来てくれたな、梅治」


 金柑頭に仰々しい袴。ぎぎぃっと錆びた音がする扉を開いてすぐ、椅子に座った垣蔵さんが労いの言葉をかけてくれた。一見するとマフィアのボスにしか見えない。


「あ、あの、なんですか、ここ? 裏取引専用の部屋か何かですか??」

「くくっ、いい趣向だろう?」

「まぁ個人的にはイケてるとは思いますけど……」


 ここ絶対に住宅設計書とかに記載されてないですよねという言葉を飲み込み、俺は部屋の内部に注意を向け───改めて驚いた。


 八畳程度の部屋の中に、俺と垣蔵さん以外の人物が複数いたからだ。


 中央の四角いテーブルに垣蔵さんと見知らぬ2人が腰掛け、もう1人は俺が入ってきた扉のすぐ傍で佇立していた。


 扉のすぐ横。つまり扉から入ってきた俺の一番近くに居た奴には覚えがあった。


「お前」


 嫌悪感を隠すことなく、そいつを睨みつける。


「東城リク、だったよな」

「…………」


 名前を口にした途端、自分の心中が一気にささくれ立ったのが分かった。


 以前、公衆の面前で西代を虚仮にしやがったゴミクソ野郎。たしか西代とは従姉妹にあたる存在で、垣蔵さんの遺産が西代に渡る事を快く思っていない正真正銘の外敵。


 錠前の隙間から冷たい風が吹き荒れる。血が一気に凍り、スイッチが切り替わった。


「おうおう。久方ぶりだな、お坊ちゃん」


 俺は呼び出し主である垣蔵さんを置いて、一目散に目の前のクソ野郎に食って掛かった。


「相変わらず辛気臭いツラしてんな、おい。お誕生日会でもそんな顔してたな、お前。将来に不安があるならハゲる前に悩みでも聞いてやろうか?」

「黙れチンピラ。気安く話しかけてくるな」

「おぉ、こわ。軽く挨拶してやってるのにそれか。上流階級のお坊ちゃまは下々の人間とは挨拶もしたくありませんってか?」

「黙れと言っている」


 軽い挑発を入れると、東城リクは不愉快そうに俺を睨みつけた。


「貴様と桃が、俺のレセプションパーティーをぶち壊したのをよもや忘れてはいないだろうな」

「テメェこそ忘れてんじゃねぇよ」


 睨みを利かしているクソ野郎を恐れず、俺は挑発的に顔面を近づけた。部屋の誰にも聞かせないように低い声音を保つ事を意識する。


「垣蔵さんの手前だから今は見逃してやるが、俺はテメェが西代に吐いた暴言忘れてねぇからな。いつか絶対に後悔させてやるから覚悟しとけ」

「……チッ」


 向こうの方が背丈は上。そのほかルックス、学力、社会的な地位は全部負けている。だが、東城リクは何も言わず苦々しそうに舌打ちだけを返した。


 コイツからすれば、俺は不法侵入や放火未遂を平然とする異常者。マジで何の自慢にもならないが、背景がイカレているという点はこういう所では役に立つようだ。


 宣戦布告したおかげか、少しは溜飲が下がる。


「……で、垣蔵さん。なんでコイツがいるんですか?」


 クソ野郎への牽制が済んだところで、俺は何でもないように振る舞いながら再び爺さんの方へと向き直った。


 東城リクは怖くないが、垣蔵さんに関しては未だ底が知れなくて少し恐ろしい。そして垣蔵さんが2人の孫を贔屓せずに愛しているのを俺は前回のやり取りで知っている。あからさまな威圧行為を指摘される前に本題に移ってしまおうという我ながら情けない魂胆がそこにはあった。


「まさかコイツも偶々この別荘に遊びに来てたとは言いませんよね?」

「勿論違う」


 俺の心配は杞憂に終わったようで、垣蔵さんはどこか上機嫌そうに答える。


 ……そう言えば、この人の教育方針は『人はストレスがあった方が成長する』だったな。焦って損した。


「まぁ端的に言えば

「立会人? なんのですか?」

「くくっ……」


 それ以上何も言うつもりがないのか、垣蔵さんはニヤリと笑ったまま黙秘する。


「……ではそちらの2人は? 東城の家の人ですか?」


 呼ばれた理由も分からず焦れた俺は、別の方面から質問を投げかける。垣蔵さんと同席している2人についてだ。


「それも違うぞ梅治。こいつらは東城ではなく西代にししろの方だ」

「────え?」

ももの両親だと言っているのだ」


 2人の正体が露見したその瞬間、値踏みするような2つの視線が俺を貫いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る