薬の備蓄、してますか?
備蓄、と聞いて何を思い浮かべるか
「備蓄」「非常時に備えろ」と言われて、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは食料だろう。米、水、缶詰、レトルト、カップ麺。棚に積み上がっていく食べ物を見ると、なんとなく安心する。
それは間違いではない。食べ物がなければ人は生きていけない。備蓄の土台が食料であることは、疑いようがない。
だが、食料さえあればいいのか、と問われれば、答えは否である。人はパンのみにて生きるにあらず、という有名な言葉を持ち出すまでもなく、飲み食いするものさえあれば生き延びられる、というのは危機を甘く見た発想だ。食料は「最低限度」の一部でしかない。そして厄介なことに、この「最低限度」というやつは、たいていの場合、我々が漠然と思い描いているものよりずっと広い。
実際の最低限度とは、水・食料やその調理器具に加えてこういうものだ。雨露をしのげるまともな家がある。季節ごとに外に着ていける衣服が一揃いある。クーラー・暖房など暑さ寒さをしのげる方策がある。そして、病になっても治せる薬が十分にある。
このうち、食料の次に来るべきなのに、なぜかいつも後回しにされるものがある。薬だ。薬の備蓄については以前のエントリーでも何度か取り上げているが、今回は薬だけに内容を絞ってその備蓄の重要性を改めてお伝えするためのエントリーである。
なぜ薬は後回しにされるのか
備蓄というと、人は食料ばかり集めがちである。衛生用品や薬は、どうしても二の次になる。理由はいくつかある。
一つには、飢えは想像しやすいが、病は想像しにくい。腹が減る感覚は誰でも知っているが、危機のさなかに持病が悪化する自分の姿は、なかなかリアルに描けない。
もう一つ、これが決定的なのだが、薬は食料のように一気に買い込めないのである。
市販薬ならまだいい。解熱鎮痛薬も、胃腸薬も、下痢止めも、消毒薬も、咳止めも、一部制限がかかっているものをのぞきドラッグストアで好きなだけ買って積んでおける。食料と同じ要領で、日常的に使いながら少しずつ補充する「ローリングストック」が効く。
問題は処方薬だ。病院で医師に処方してもらう薬は、保険診療では原則として、必要な期間分しか出してもらえない。「災害に備えて一年分ください」と言っても、そう簡単には通らない。医師に頼み込み、事情を汲んでもらっても、せいぜい九十日分が限度、という薬が多い。依存性のある薬や向精神薬に至っては、法令で処方日数の上限が厳格に定められていて、備蓄目的の大量処方は制度上そもそも不可能だ。
つまり処方薬は、備蓄しようにも「量の壁」が立ちはだかる。しかも、この壁が最も高くそびえるのが、絶たれると命に関わる薬だったりするのである。
供給の途絶が、命の途絶になる
想像してみてほしい。深刻な持病を抱え、毎日欠かさず飲まねばならない薬がある人にとって、危機とは何を意味するか。
物流が止まる。薬局の棚が空になる。かかりつけの病院が機能を停止する。健康な人にとっては「不便」で済むこの状況が、持病を持つ人にとっては、そのまま死へのカウントダウンになりうる。
食料の途絶なら、人は数日や数週間は耐えられる。だが薬の途絶は、種類によってはほんの何日かで致命的になる。
私は、備蓄という営みの中で、この「薬の途絶」こそが最も過小評価されている危機だと考えている。誰もが食料を積む。だが、自分や家族の命が実は一枚の処方箋にぶら下がっている、という事実に、どれだけの人が備えているだろうか。
どんな薬が、特にまずいのか
では、具体的にどんな薬が「手に入らなくなったら特にまずい」のか。これを考えるとき、二つの軸で分けると分かりやすい。
一つは「広く浅い」薬。降圧薬(血圧の薬)、糖尿病薬、脂質異常症の薬のように、何百万人・何千万人もが日常的に飲んでいるものだ。一人あたりの緊急性はそこまで劇的でないこともあるが、途絶すれば影響を受ける人数が桁違いに多く、社会全体としての打撃は甚大になる。
もう一つは「深く狭い」薬。患者が全国で数百人、時に数十人という超希少疾患の治療薬である。特定のがんの分子標的薬、血友病の凝固因子製剤、代謝異常症の酵素補充療法など。国内在庫が薄く、代替品が存在せず、多くを輸入に頼っているため、物流が止まれば真っ先に、そして完全に途絶する。患者数が少ないぶん、危機下で優先的に供給を確保してもらえる望みも薄い、という二重の脆弱性を抱える。
だが、備蓄の緊急性を本当に決めるのは、この二軸よりも、もう一つの物差しだ。「絶たれてから、命に関わるまでの速さ」である。
最も危険なのは、絶たれて数時間から数日で命に関わる薬だ。代表格がインスリンで、これがなければ数日で命の危険がある。抗てんかん薬も、急にやめると命に関わる発作を招きうる。長期に服用しているステロイドの急な中断、心臓の弁を換えた人などが飲む抗凝固薬の途絶、甲状腺の薬、重症の心臓の薬。そして精神科領域の一部の薬。すなわち睡眠薬や抗不安薬、抗精神病薬も、急な断薬が離脱症状や病状の急激な悪化を招く。これらに共通するのは、患者数の多い少ないにかかわらず、途絶が速やかに致命的になるという点である。
次に、即死はしないが、途絶が長引けば確実に寿命を削る、あるいは病を不可逆に進める薬。降圧薬や糖尿病の経口薬、脂質異常症の薬がここに入る。飲まなくても翌日どうにかなるわけではないが、放置すれば脳卒中や心筋梗塞へと静かに近づいていく。臓器移植を受けた人の免疫抑制剤や、自己免疫疾患(リウマチなど)の薬も、代替がききにくく、途絶が続けば病状の進行や、移植した臓器の喪失を招く。
そして、日本という国には、この危険をいっそう深刻にする構造的な弱点がある。原料の海外依存だ。日本で製造されている薬でも、その有効成分の大元の原料の多くは、中国やインドから輸入されている。だから海上輸送が断たれれば、国内の工場が無事でも原料が入らず、やがて国産の薬すら作れなくなる。「国内で作っているから安心」とは言えないのが実情である。事実、近年は平時ですら、特定の薬が繰り返し供給不安に陥っている。日本の医薬品供給網は、我々が思うよりずっと脆いのだ。ここに現在のホルムズ海峡危機やら、近い将来起こるかもしれない台湾有事のリスクが乗るわけである。この状況下で何もしないのは自分や家族の命を野ざらしにするに等しいのではないか。
まとめれば、特にまずいのは絶たれてから命に関わるまでが速く、代替がきかず、そして原料や製品を輸入に依存している薬、ということになる。この三つが重なるほど、途絶リスクは跳ね上がる。自分や家族の薬がここに当てはまるなら、備えの優先順位は最上位だと考えていい。
それでも、打つ手はある
では、処方薬の「量の壁」を前に、我々は手をこまねいているしかないのか。そうではない。取れる手は、いくつかある。
まず、正攻法。かかりつけ医に、正直に相談することだ。「災害や物流の途絶で薬が切れるのが不安だ」と。大きな地震がどこかで起きた後など防災意識が高まったときを狙って言えば理解を得やすく、要求が通る可能性が高くなるかもしれない。薬の種類によっては、医師の判断で処方日数を少し延ばしてもらえることもある。同時に、常に手元の残量を最大化しておくこと。多くの人は薬が残りわずかになってから受診するが、早めに受診して「次回までの分+バッファ」を常に厚く持つよう運用するだけで、突然の途絶に対する耐久日数は目に見えて変わる。なお余談だが、かつては複数の医者を回る(ドクターショッピング)という方法も合ったが保険証がマイナンバーカードに統合され普及した現在でそれと同じことはできるのだろうか?
そしてもう一つ、あまり知られていないが、病を得た人にとって心強い味方になりうる制度がある。医薬品の個人輸入だ。
日本では、自分自身が使う目的に限って、医薬品を海外から個人輸入することが認められている。一度に買える量には制限があり(概ね一ヶ月分程度が目安)、保険が効かないので割高にもなる。だが、回数を分けて継続すれば、正規処方の「九十日の壁」を越えて、数年分の備蓄を自分の判断で積み上げることも不可能ではない。国内で認可されていない薬や、主治医の方針により十分に処方してもらえない薬についても、合法な範囲・数量を守れば入手の道が開ける。慢性疾患を抱え、薬が絶たれれば生活が立ち行かなくなる人にとって、これは唯一の救いの手になりうる。
ただし、個人輸入には注意も要る。それは信頼できる代行業者を選ぶことだ。供給元や物流の実態が明確で、正規の管理下にあるルートを使うこと。そして何より、これはあくまで「いざというときの備蓄」であって、平時の医療の代わりではない、という一線を守ることだ。普段は主治医の判断に従い、処方された薬を指示通りに飲む。備蓄した薬に手をつけるのは、危機のさなかに供給が途絶え、他に手立てがなくなったとき。それだけである。医療との接点を保ったまま、その外側に非常用の緩衝在庫を積む。この組み合わせが、最も堅実だ。
積んだ薬を、無駄にしないために
薬を備蓄すると決めたら、積み方にも知っておくべきことがある。
まず剤形。錠剤とカプセルは、医薬品の中で最も安定性が高い。水分を含まず、温度・湿度・光の安定した場所、たとえば桐箪笥のような場所に保管すれば、表示された使用期限を過ぎても、かなりの期間、実用に耐える可能性が高い。かつて米軍が備蓄医薬品を調べた研究では、期限を数年、時には十年以上過ぎた薬の多くが、なお規定の効力を保っていたという(ただし、低温保存)。このあたりは缶詰と同じである。「期限が切れた瞬間に薬が無価値になる」というのは、正確ではないのだ。
一方で、液剤、点眼薬、インスリンのような注射薬、一部の生物学的製剤は劣化が早く、要冷蔵のものも多い。危機で電力が失われれば保冷できず、効力を失う。もし自分や家族の常用薬にこうした薬があるなら、非常用電源での保冷まで含めて備えを設計する必要がある。まずは自分の薬がどの剤形かを確認することだ。錠剤・カプセルばかりなら、保管の心配はぐっと軽くなる。
そして最後に、最も見落とされがちな一点。それは「いつから、どのペースで備蓄薬を使い始めるか」である。供給が細り始めたとき、手元の在庫をどう配分すれば最も長く持たせられるか。特に、急にやめると危険な薬は、尽きる前に計画的に減らしていく必要がある場合すらある。薬は、ただ持っているだけでは足りない。危機のさなかに「どう使い延ばすか」まで考えて、はじめて備えは完成する。この判断は素人の独断では危ういので、平時のうちに一度、薬剤師や主治医に一般論として相談しておけると理想的だ。
衛生用品——薬に準ずる、もう一つの命綱
薬の話をしたなら、それに準ずるものとして、衛生用品にも触れておかねばならない。
長期の危機で人の命を奪うのは、実は飢えそのものよりも、不衛生による感染症であることが多い。断水し、トイレが流せず、手も満足に洗えない環境では、下痢や脱水、傷口からの感染が、静かに、しかし確実に人を弱らせていく。飢えは目に見えるが、衛生の崩壊はじわじわと忍び寄る。だからこそ、備えが薄くなりがちなのだ。
消毒用アルコール、ウェットティッシュ、マスク、使い捨て手袋、包帯やガーゼといった外傷手当ての用品。そして断水を想定するなら、簡易トイレとその処理袋、体を拭くための清拭シート。下痢と脱水は不衛生下の大きな死因なので、下痢止めと、経口補水のための材料(塩と糖の備蓄でも代用できる)は、優先度が高い。これらはいずれも市販品で、食料と同じようにローリングストックで厚く積める。薬ほどの「量の壁」がない分、やろうと思えばすぐに始められる領域である。
おわりに——あなたの命は、何本の糸で吊られているか
食料の備蓄は、大切だ。だがそれは、生き延びるための必要条件の一つにすぎない。
雨露をしのぐ家。寒さを防ぐ衣服。冷暖房。そして、病を治す薬と、体を清潔に保つ衛生用品。これらが欠ければ、いくら食料庫がいっぱいでも、人は倒れる。
とりわけ薬は、食料のように一気に買い込めず、しかも絶たれれば命に直結しうる、備蓄の中でも最も難しく、最も見落とされやすい項目だ。だからこそ、平時の今、考えておく価値がある。
自分の、あるいは家族の命は、いったい何本の糸で吊られているのか。その糸の中に、たった一枚の処方箋、たった一種類の薬があるのなら——その糸が切れたときにどうするかを、まだ切れていない今のうちに、一度考えてみてほしい。
備蓄とは、食料を積むことではない。自分の命を吊っている糸を、一本ずつ確かめて、太くしていく営みのことなのである。


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