さて、本日は戦前から戦後数十年に渡る、中国とアメリカ左派、そして、日本との繋がりを2人の男女の視点から見ていきたいと思います。


まず1人目、陳香梅(ちん・こうばい)(1925~2018)さんという女性。

英語名はアンナ・シェンノート。

中華民国の元記者で、戦後はホワイトハウスのチャイナ・ロビイストでした。

夫はクレア・リー・シェンノート。

フライング・タイガースの航空隊長を務めていました。

フライング・タイガースとは、日中戦争時に中国国民党を支援したアメリカの義勇軍で、アメリカの対日戦争部隊でもありました。



さて、このアンナ・シェンノートこと陳香梅さんは2015年の8月と9月、台湾の馬英九総統と中国の習近平国家主席のそれぞれから、抗日戦争勝利70周年の式典で表彰されました。

さらに、その1年後、91歳の誕生日をニューヨークの国連本部で祝いました。

このエピソードだけでも、彼女がすごい人物であることが分かります。



1947年にシェンノート隊長と結婚した陳香梅さんは娘が2人生まれます。

しかし、わずか11年後、夫は死去してしまうのです。

北京生まれの香港育ちだった陳香梅さんは英語はとても堪能でした。

戦前には、中華民国の女性初の記者として、国民党の中央社通信に勤めていました。

夫の死後は、ラジオパーソナリティー、海外特派員(台湾側)などを務め、プロパガンダ工作部員として活動。

1963年のケネディ大統領の時代から、ホワイトハウスに出入りするロビイストとなり、なんと8代、クリントン大統領の時代までアメリカ中枢に務めます。




彼女が特に大きく注目されたのは、ニクソンショックの頃でした。

1971年のニクソン大統領訪中。

さて、ここで、もう1人の今回のキーパーソンが登場。

ヘンリー・キッシンジャー(1923~)さんです。

ニクソン、フォード両政権で、大統領補佐官、国務長官を歴任したユダヤ系ドイツ人。

特使、密使として暗躍、今も絶大な影響力を持っているアメリカ政治・外交の中心です。



さて、中国に目を移すと1945年に国共内戦、1949年に毛沢東が中華人民共和国を建国し、蒋介石は台湾に逃れました。

1971年、それまで台湾側だったニクソン大統領の訪中を耳にし、怒った蒋介石は台湾の国連脱退を決めました。

そんな蒋介石を「国連残留していた方がいいよ」と説得に行った日本の大物がいます…。

岸信介元総理です。
安倍総理の祖父ですね。

しかし、結果は変わらず、台湾は国連を脱退しました。



ここで、今度は日本と中国の関係を繋いだ代表的な人物を紹介します。

蓼承志(りょう・しょうし)(1908~1983)さん。

日本生まれ、日本育ちで、中国共産党の対外活動の責任者。

1963年には、中日友好協会の初代トップに就任。

実はこの蓼承志さん…先程の陳香梅さんの母方の叔父なのです。



つまり、日本と中国、アメリカと中国の関係は「1つの一族」によって行われていた…ということです。

トウ小平の意味深な言葉…「アメリカに議員は100人いるが、世界に陳香梅は1人しかいない。彼女は半分我々に属している」

ホワイトハウスで働きながら、アメリカに向いているのか、中国に向いているのか…分からない状況…。

トウ小平が1979年に経済発展のために行った外貨導入政策も陳香梅さんの影響が大きかったと言われています。



さて、アメリカのキッシンジャーさんに話を移します。

彼は歴代の中国主席と会談してきて、ニクソン会談の前には周恩来と密談をしました。

そこで、彼が言ってしまった言葉。
「台湾の独立は認めない。中国と統一が望ましい」と…。

この言葉が以後半世紀、米中外交の足枷となった「キッシンジャーの呪縛」です。



しかし、2016年、アメリカ大統領に就任することが決まったトランプ氏は「1つの中国の原則に何故我々が縛られなければならないのか」と発言したのです。

私は「この人…いろいろやってくれるかも」と期待が膨らみました。

その言葉通り、トランプ大統領は中国に厳しい態度を、台湾は守る姿勢を取り続けています。

コロナ対応や経済問題で、今年の大統領選、厳しい戦いになりそうですが、是非、再選してほしいと思っています。






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