見出し画像

Moliendo Café(コーヒールンバ)についての一考察(その1)

最近『コーヒールンバ』として知られる歌謡曲の原曲(スペイン語)の歌詞の意味をたまたま見かけたので、思ったことをちょっとここに記してみます。

『Moliendo Café』は1958年、ベネズエラの作曲家ホセ・マンソ・ペローニ(Jose Manzo Perroni)の作詞・作曲によるものということになっています。

まずネットでこの歌詞の意味を検索してみるといくつか出てきました。代表的なものとして一つ紹介します。
https://m-o-n.hatenablog.com/entry/2019/04/14/004442

スペイン語の文法についても解説されているのでとても参考になりますので、まずこの曲の概要についてこちらを先に読んでいただくとして、そこで紹介された歌詞と対訳を引用します。

Moliendo café(コーヒーを挽きながら)

Cuando la tarde languidece renacen las sombras
(夜が深まり 闇が再びせまり来る頃)
Y en la quietud de los cafetales vuelven a sentir
(コーヒー農園の静寂のなか 今夜も響いてくる)
El son tristón, canción de amor de la vieja molienda
(哀しげな音、古いコーヒーミルがうたう愛の歌)
Que en el letargo de la noche parece decir
(夜のまどろみの中で、訴えかけてくるような)
Una pena de amor, una tristeza
(愛の苦悩と哀しみ)
Lleva el zambo Manuel en su amargura
(サンボのマヌエルが胸に抱く悲嘆)
Pasa incansable la noche, moliendo café
(夜は疲れを知らず更けていく、コーヒーを挽きながら)

このブログの著者に限らず、この曲の解説者の共通した論調の中でボクが気になったのが次の3点。
①かつてのコーヒープランテーションにおけるzamboと呼ばれる人々の労働環境への言及
②そのサンボのマヌエルと言う名の労働者が(焙煎済みの)コーヒー豆を挽いていると言う設定
③そのコーヒー豆を挽く音が哀しい恋の歌に聞こえると言う解釈。

その上で「昔アラブの偉いお坊さんが」で始まる滑稽な日本語の歌詞と違い、哀しみや憂いに満ちた歌の世界だと言った主張がなされます。

さて、ここから自説を述べてみたいと思います。
順序は変わりますが、まず②マヌエルが「挽いて」いるのは焙煎済みのコーヒー豆ではありません。

きっと、この曲が日本に紹介された時に「コーヒーを挽きながら」と言う翻訳がなされたために、多くの人々が自動的に、焙煎したコーヒーを挽く光景を思い浮かべてしまったのだと思いますが、大半が輸出されるコーヒーの「生豆」の生産の場所cafetalesで、業務として焙煎済みのコーヒーを挽くと言う作業があるとは考えられません。コーヒー豆の焙煎とその粉砕はもっと消費地に近いところで行われるからです。

では彼が「挽いて(moler)」いるのは何か?それは生のコーヒー果実です。熟れたコーヒーの実は赤い果肉に包まれ、ひとつの実につき二つの種が入っています。その種がコーヒー豆となります。

収穫期のコーヒー農場では早朝から陽がある内には集約労働により手作業で熟れたコーヒーの実の採取に追われます。日中収穫されたコーヒーの実は農園内の施設に集められ、機械で粉砕され果肉と種とに分別されますが、麻袋などに詰められ運ばれた実は素早く粉砕の工程にかけないと傷んだり発酵を始めて製品の品質を低下させます。

夕闇が迫る頃にこの粉砕作業が始まり夜通し行われるのはそのためだと考えられます。あるいは粉砕作業は日中から始まっているのかもしれませんが、人々で活気のある昼間の農園と違い、静まり返った闇の中ではコーヒーを粉砕する音だけが響き渡ることになるのでしょう。

そこで、多くの解釈者が好んで採用したがる、①過酷な深夜労働という設定に疑問が生じます。「人権の世紀」を経た現代日本人は、コーヒープランテーションというと何か理不尽で非人間的なものであるかのようなバイアスがかかって、そのような観点でものを見る癖がついているように思えますが、マヌエルが夕方から作業を始めるのは先述のように、その時間にしなければならない業務であり、マヌエルは日中炎天下の収穫作業員ではなく、夜のシフト要員だったに過ぎないのではないかと思うのです。

そこで③とも関連があるので
Esta triste canción de amor de la vieja molienda,
のフレーズの意味を考えてみます。

多くの解釈者はla vieja moliendaを古いコーヒーミルとしていますが、コーヒーミルでないことは先述の通り。これを粉砕機として、夜のしじまに響き渡るのはその作業音とするのもどうも解せません。

triste canción de amor de la vieja molienda
は「古い粉砕機」ではなく、「年老いた粉砕人の歌う哀しい愛の歌」以外ありえません。なぜ多くの人がla moliendaをコーヒーミルまたは粉砕する道具と捉えてしまったのか。おそらく、それが(a)で終わる女性名詞だからではないでしょうか?あとで出て来るマヌエルという男性と性別が一致しないために、moliendaを粉砕人とする解釈を排除してしまったのではないか。

そこでボク自身スペイン語の素養がないのでちょっと調べてみたら、barista、dentista、policíaのように実際の性別に関わらず女性名詞で呼ばれる職種というのは存在することが分かりました。スペイン語一般ではどうか分かりませんが、半世紀前のベネズエラでは恐らくこのマヌエルのやっている作業の従事者をmoliendaと呼んのだろうと仮定すれば、この詩はとても分かりやすくなります。

つまり夜通し呻くように聞こえて来るのは、年老いたマヌエルの歌う古い演歌のようなものなのでしょう。

それが哀しい歌に聞こえるのは実際にそのような内容の歌詞だったのかも知れませんし、遠くで聴いている者の心理によるのかも知れません。マヌエルの胸に苦々しいものがあったとしてそれが実体験によるものか、歌詞がそのようにさせるのかも不明です。

ただ、マヌエルその人は
Pasa incansable la noche, moliendo café
疲れを知らず夜通しコーヒーを粉砕し続けているのです。

コーヒープランテーションの労働条件については無知ですが、人間が食って生きていくことは基本的に楽なことではありませんから、マヌエルは歌を歌いながらするべき業務を淡々とこなしていていたということだと思います。

ということでボクの解釈するこの歌の訳詞はこんな感じ。

コーヒーを砕きながら

夕闇が迫る頃、
今夜もまた静まり返ったコーヒー農園に聞こえてくる
夜の微睡みの中で呻くような、
歳老いたコーヒー粉砕人の哀しい愛の歌が
サンボのマヌエルが苦味とともに抱く愛の苦しみと悲しみ
疲れを知らず夜通しコーヒーを砕きながら

どうでしょう、とても自然で、ストレートな訳ではないでしょうか?1950年代のコーヒー粉砕機がどんなものだったかは分かりません。手動だったのか、モーターやエンジンを使ったものだったのか、作業はコーヒーの実をホッパーに投入し続けることか、ハンドルを回し続けることか、機械は金属製か木製か、それによって発生する音量や音質も随分変わることでしょうが、その作業音が「悲しい恋の歌に聞こえる」というのは聴衆に想像力を期待し過ぎではないかと思えます。

また先にも述べたように、聞こえてくる苦悩が、サンボという境涯に由来するものと短絡的に結びつけるのも如何なものでしょうか。
悲しい愛の歌は、フランスの白人でも歌います。マヌエルの長い生涯の中の苦い経験とあいまって、真に迫る説得力ある歌唱だったのかも知れませんし、その歌唱力により「サンボのマヌエル」と名が通っていたのかも知れません。

歌の成立した時代背景を知ることはその世界を味わう上で大切なことですが、人権というような観念が希薄な過去の世界とは違う「パラダイム」に生きる我々の感性を差し挟むと、本来の歌の心を見失ってしまう恐れがあると思うのです。きっと10年後には凡そ全ての過去の文芸作品が「ジェンダー」という物差しで再読されるであろうことを想像してみてください。

この作詞家にはもちろん「社会矛盾の告発」などという意図はなく、ありふれた日常の中に詩情を見出だしているにすぎず、ボクはその時代のパラダイムの中ではどうすることもできない境遇に目を奪われるのではなく、喜びも悲しみも歌にして前向きに生きる「命の輝き」に着目したいと思うのです。

そして、昔のプランテーションの労働者の境遇に心を寄せるなら、今自分の生活の中にある安価な製品の由来にも想像力を働かせたいものだと思います。

さて、蛇足ながら日本語で歌われた『コーヒールンバ』についても少し考察してみたいと思います。上述のような哀愁を湛えた歌詞と不可分に結びついたあの旋律に、なぜあの様な歌詞がつけられてしまったのか?
改めてその詩を紹介しましょう。

昔アラブの偉いお坊さんが
恋を忘れた あわれな男に
しびれるような香りいっぱいの
こはく色した飲みものを教えてあげました
やがて心うきうき
とっても不思議このムード
たちまち男は若い娘に恋をした
コンガ マラカス楽しいルンバのリズム
南の国の情熱のアロマ
それは素敵な飲みものコーヒー モカマタリ
みんな陽気に飲んで踊ろう
愛のコーヒー・ルンバ

まず考えられるのは、コーヒー業界の要請によってこの日本語版が生まれたのではないかという疑い。そのため明るくポジティブな歌詞になったのではないか。

もう一つはもちろん妄想にすぎませんが、こんなエピソードがあったかもしれません。

作詞家の中沢清二氏はレコード会社のプロデューサーから作詞の依頼を受ける際、スペイン語のMoliendo Caféを聴かされるわけですが、そのレコードが「世界名曲の旅⑥中南米」のようなコンピレーションアルバムで、オリジナルのレコーディングではなく、威勢の良いサルサバンドによる演奏だった。

正確な歌詞の翻訳はなく、タイトルだけは「コーヒーを挽きながら」 と訳されている。
そこで中沢氏は、なぜかベネズエラではなくブラジルのサンパウロの街の、中年にさしかかった男性が自宅でコーヒーを淹れようとしている場面を思い浮かべる。彼は小さなコーヒーミルを眺めながら昔別れた女性を思い出している。

そこで考えた歌詞が「恋を忘れたあわれな男」となる。ところが流れている音楽は元気のいいサルサ。「コンガ、マラカス楽しいリズム」。
中南米や中東で飲まれるコーヒーが琥珀色の液体ではなく真っ黒であることなど知るよしもない。

終わり。

いいなと思ったら応援しよう!

コメント

コメントするには、 ログイン または 会員登録 をお願いします。
Moliendo Café(コーヒールンバ)についての一考察(その1)|Zeukyau Shichida
word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word

mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1