序章 目覚め

第一話 時を超えた運び屋

   1


 彼女にとっての夜明けとは、ただ太陽が登るだけの現象ではなかった。

 重要なのは、運んでつなぐこと。

 つながりというもので、この混迷の時代の闇を振り払おうとしていた。それがウルスラ・〝レイサー〟・メルヴェにとっての夜明けである。


 そんなウルスラは駅逓ギルド所属のレンジャー――フェルケールとなって、かれこれ二年。今年でもう三年目だ。

 新人とはいえないし、むろん、駆け出しでも通らないだろう。

 そろそろ、一端のプロフェッショナルとして自覚しなくてはならない。


 彼女は緑の深い土地で、配達業務に勤しんでいた。

 急峻な上り坂を登る。足腰に来るが、先人の苦労を思えば、こんなもので音を上げている場合ではない。

「ふぅ。そうは言い聞かせても、峠越えはきついなあ」

 山自体はこぢんまりとしている。高さだけならせいぜい百七十メートルもないが、越えるにはちときつい急峻な登りがある。

 ほとんど崖と言っていい。


 倍力補助装具アシストリグという、外付けの強化骨格がなければかなりの重労働である。

 昔の人はこういう山さえ、己の身一つで超えていたのだと思えば、――元来負けん気の強い二十二歳ウルスラ、俄然燃えてくる。

 山の尾根までが、かつての運び屋の背中のように思えた。


「まだまだ」

 登りはあと少し。

 背負っている荷物はだいたい十キロほどある、浄水用のろ過装置だ。プロの運び屋なら、傷つけず運ぶ。

 駅逓からの評価が良ければ基礎報酬に加えた評価手当ボーナスもつくし、駅逓レンジャーフェルケールとしての箔もつく。

 それだけではない。

 相手もきれいな荷物をもらったほうが気分がいいし、なにより、ウルスラの沽券に――矜持に関わる。


 さっきからほとんど崖と言っていい勾配となっているが、道は他にない。指を岩のくぼみにかけて、倍力補助装具アシストリグの補助を借りて体をぐいと持ち上げる。

 岩棚の上に這い上がって、荷物を一度背負い直すと、また進む。

 いよいよ峠の頂点だ。

 朝日が、己の背後から登っているのがわかる。

 尾根の上に立つ。振り返り、ウルスラはほうとため息をついた。


 グリンウッド・エリア。

 今、そう呼ばれているここは、緑が深く茂り、

 そんな、美しく残酷な光景。


 コーン、ゴォー、と怪鳥が奇妙な声を上げて飛んでいく。

 空が高い。だが、負けじと旧時代のビルが天をついていた。それは魔法と呼ばれる失われた古代技術と、科学との混成たる「魔導科学」のすいだ。

 けれども、更に巨大な、まさに天険といえる巨木がそれを巻き込みながら生えている。絞め殺しの木のようにも見える。

 スケール感が狂いそうだ。なんだか巨人の世界に迷い込んだ気持ちにさえさせられた。


「っと、見とれてる場合じゃない。急がないと」

 ウルスラは独り言を漏らして、歩き出した。

 下りは緩やかであるが、あまり急ぐと足がもつれる。

 倍力補助装具アシストリグに用いている〈コーパル・バッテリー〉も無限には使えない。あまり過剰な負荷をかけると、すぐにへばってしまう。


 下り坂の途中、少しなだらかなところで、ウルスラは脇に空いているほら穴を見つけた。

 そこで少しだけ休憩することにした。

 無理は禁物。自分にそう言い聞かせる。


 中に入り、電気ランタンを置く。

 左腕のウェアラブルデバイスを起動し、立体投影した3Dマップを睨んだ。完全な独立したローカル・コンピュータである。

「あと一時間くらいかな。道中、無法者デスペラードの拠点はないし。問題は魔物か……あるいは暴走ドローンかな」


 暴走ドローンはまだいい。長い間稼働した弊害が多いから、比較的逃げ切りやすく倒しやすい。

 ガードドローンも、軍用ドローンも大抵の場合機銃は弾切れしているし、錆びたりなどの経年劣化で動きも鈍い。

 かつては人類の友として奉仕した彼らは、今や亡霊のように徘徊し、命令を失って暴走してしまったのだ。


 ウルスラたちにしてやれるのはさっさと機能を停止させて、安らかに眠らせてやることだけである。


 ウルスラはデバイスを閉じた。

「朝ご飯にしないとな」

 レーションというやつだ。

 昔に比べてそれなりに美味いらしいが、基本的に、手料理にまさるものはないとウルスラは思っていた。

 過酷な駅逓業務を補助するためカロリーと脂質が高い。そのままでは淡白で味も素っ気もないから、味付けは甘辛く煮てあったり、しょっぱかったり、あるいは甘いソースが付属している。


 一つ紙の包装をはがして、チョコレートバーをかじった。

 砕いたナッツと硬いキャラメル、高温でも解けない硬いチョコが、ガリガリとした食感で――これは意外と美味い。お菓子感覚でパクつける。

 レンジャーズバーとも言われるもので、凄まじいカロリーである。


「美味しいけど、控えないと……」

 こんなものをおやつのように食べていたら、すぐにまるく肥える。筋肉質にガッチリ大きくなる分にはいいが、体さばきが悪くなる肥り方は、よくない。


 と、ウルスラは壁面の亀裂に気づいた。

「げ、崩れるのかな」

 生き埋めという恐ろしい言葉が己の脳裏にかすめた。

 ゆっくりとランタンを回収し、下がる。

 最悪なのは生き埋めもそうだし、もう一つは、魔物や盗賊――無法者デスペラードがトンネルを掘っていることだ。


 右手が腰のホルスターを探った。すぐに拳銃を掴む。

 メーザーガンである。といっても、浴びた相手が沸騰することはない。非殺傷の、コーパル式ビームスタンガンである。いわばテーザー銃を「」感じだろうか。


 やがて亀裂が広がった。

 現れたのは一機の無人機である。暴走ドローン――だろうか。

「生存者を確認」

 ウルスラは、ドローンの声に狂気や暴走がないことに眉をゆがめた。

 そのドローンは、見た目、かなり大柄なモグラのようなデザインである。腹に誰かを乗せている有人機にも思えた。

 旧時代の失われた超技術金属ロステックメタルで作られているが、それさえも、膨大な年月で赤錆びて凹んでいる。


「お願いします。ポッドを、お願いします」

 ドローンは懇願し、アイセンサーを明滅させる。

「待って、どうしたの? ごめんね、銃を撃つ気はなかったんだ。お願い、何があったの?」

「私、は――ちゅ。オ――じゅ、ツ……お坊ちゃま、おげんき、デ――」

 限界……であった。

 ドローンは最後に胸の保管箱を開けた。冷気が溢れ出し、ウルスラは少し後ろに下がる。急冷されると、人体には良くないみたいな話を聞いたことがあったのだ。

 白煙が晴れた。

 そこには筒状のポッドが入っていた。


「なにこれ……まさか、コールドポッド?」

 旧時代、死んだ政府要人を冷凍保存し、未来の技術で生き返らせる……そんな間抜けな話があったらしい。

 それに用いるのが、冷凍睡眠用のポッドであると。


「まさか、ミイラでも入ってるんじゃ」

 やめてくれ、と思った。

 しかもあのモグラドローンは、「お坊ちゃま」といっていた。

 こんな時代だ。少年兵など珍しくないが、それでも子どもの死体なんかみたくない。


「どうしよう」

 そんなふうに慌てていると、突然、ポッドが電子音を上げた。

「ピーッピーッ」というビープ音。

 それからまた音声がした。

「外気温、気圧の正常実数値を検知。海抜ゼロメートル地帯を大きく上昇、明度、ニオイ成分から推定――山中と判断。護衛ガードドローンの機能停止を確認。緊急解凍シークエンスを開始」


 一体何が始まるというのだ……。

 ウルスラは、マントのようにまとっているボロのラグマントを握りしめた。

 正直興味が尽きず、すでに逃げるという選択肢はなかった。

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