ここ数年、意識の高い人たちから一般層に波及して、「キャリアアップはいいよね」「良いキャリアを築かなきゃね」みたいな風潮だ。ネットはキャリアアップ、スタートアップという言葉が氾濫していて息苦しい。あっぷあっぷだ。キャリアアップとは技術・能力・専門性を高めて己の市場価値を高めること。そこから良い条件、待遇、異性からのモテ、社会的地位や立場を得るのである。高級車に乗ったり、ギャルと遊んだり、天下りできたり、キャリアアップは良いことばかりだ。しかしながら、大きな欠点もある。その根幹になる技術・能力・専門性の向上に労力と時間がかかることである。すなわち面倒くさいのである。
僕のような仕事を生活のための手段と割り切っている意識が低空飛行している人間にとって「時間と労力がかかる」「面倒くさい」は克服するのが不可能な極めて大きな問題である。一方で、良い暮らしがしたい、モテたい、ちやほやされたい、といった煩悩は、人並以上にあるのだから困りものである。では、特別な才能がなく、努力もしたくない者はどうすればいいのか。秘匿性の高いメッセージアプリを使って闇のバイトに身を投じるしかないのか。
いくつか手段が考えられるが、おすすめしたいのはキャリアダウンである。数あるキャリアダウンのなかでも、大企業から中小企業への転職のような、グレードを下げる転職を推奨したい。キャリアダウンの最大のメリットはライフワークバランスの取れた生活ができることであり、デメリットは待遇や給与が下がることとされているが、うまくやればキャリアアップと同じような効果、良い待遇を得ることができる。事実、僕は30年間の職業人生においてキャリアダウンを繰り返して良い条件や待遇をゲットしてきている。
30年前、新卒で入社したのは運輸系の会社。グループ全体で売上が3000億以上あった。現在も同じくらいの売上しかないのが哀しい。30歳で給食業界へ転職した。給食会社の売上は当時200億円くらい。3000億から200億の会社、15分の1のキャリアダウンだ。そこで10年ちょっと働いて現在の給食会社に転職した。売上は本体だけだと30億円前後。キャリアダウンだ。最初の会社との比較では百分の一の規模になる。しかしながら、一連のキャリアダウンのなかでさまざまなメリットを享受した。まず、ライフワークバランス。最初の大企業に比べるとゆるーい雰囲気で仕事ができている。もちろん営業職なのでノルマはあるが、同職のライバルや競争相手が少ないので穏やかな雰囲気のなかで働けている。変人もいるが一桁数が少ない。ノーストレス。
それからキャリアダウンのたびに良い条件で雇われてきた。僕自身は多少経験を重ねただけで特別な努力はしていない。勤める会社の規模が小さくなったので、僕自身は変わらなくても存在感がマシマシになったのだ。会社の規模が小さくなれば社員は少なくなり、競争相手も少ない。自然と存在感は大きくなる。まして僕は別の業界の大手からやってきた謎の営業マン。給食業界のことが分からずに静かにしているだけで、「なんか凄いんじゃないかあいつ」的な扱いをされて存在感が増していった。当たり前だが仕事が相応にできた=ノルマを達成し続けたのはいうまでもない。給食業界のやり方ではなく、前の業界のやり方で数字をあげたので、周りから一目置かれたのだ。僕自身は同じでも大きな入れものより、小さな入れものに入れたほうが相対的に大きく見える。目立つということ。同じサイズの鮭の切り身でも大きなおにぎりより小さなおにぎりに入れた方が存在感があるのと同じである。
キャリアダウンは給与や待遇が下がるけれどもワークバランスの取れた生活が出来るようになるみたいな文脈で語られがちだけれども、要はやり方と作戦次第なのだ。僕は運に恵まれて結果的にうまくいった。何もやらなかったわけではない。意図的に、あえて周囲と打ち解けようとしなかった。何を考えているのかわからない異物、ブラックボックス的な存在であろうとしたのだ。異業界からやってきた営業マンが、ノルマを達成し続けて、そのうえ周りと打ち解けないブラックボックス人間で、しかも不気味な笑みをたたえていたら、こいつはただ者ではないと恐れられて、中小企業で存在感マシマシになったのだ。要はハッタリをかましたのである。
最初に勤めた大企業で頑張っていたら、今よりもはるかに良い待遇をゲットしていたかもしれない。だが、そのために数多くいるライバルとの戦いに勝たなければならない。面倒だ。負ける可能性のほうが高い。僕のキャリアダウンは競争を避けるのが主目的だった。だからこれまでの選択とそれで得られたものには満足している。後悔はない。スタートアップや起業は考えなかった。仕事は生活のための手段にすぎないと考えている僕のような人間には向いていない。起業って根本的に仕事が好きな人のものだ。無理。
新卒で入った大企業には、優秀な先輩や同僚が大勢いたけれども、その多くが競争に負けてしまったと聞いている。悲惨なことになっている者もいた。驚いたのは僕の同期で頭の回転も遅くてパッとしない奴が高い役職についていたことだ。かなり凡庸な人物だったけれど…だから売上が30年前と変わらないのでは…まあ僕にはもう関係のない話である。彼がショッカーに改造されて能力がアップしたと信じることにしよう。
キャリアアップが王道なのは間違いない。だが、キャリアダウンして、自分の存在感を最大化させる方法もある。つまり、人によってはキャリアダウンがキャリアアップになりうるのだ。大事なのは、自分自身で、自分にあった職業人生を選択していくこと。自分をプロデュースできるのは自分だけなのだからね。(所要時間30分)