「ベンチ入りできない選手」に、前向きな意味などない。
滋賀県で開催中の国民スポーツ大会の特別競技、高校野球の準決勝を観戦した。7回制で行われる公式戦は初めてで、どんな感じになるのか観に行ったのだ。皇子山球場は、独立リーグ滋賀ユナイテッドの開幕戦以来だから、8年ぶりだった。
見どころが多かったが
2試合とも打撃戦だったので、7回制でも2時間近くかかった。少し前まで甲子園の高校野球は「9回2時間」が至上命題になっていて、とにかく審判が急かすのが特徴だったが、酷暑の夏になって以降、審判はそれほど急かさなくなった。
単純に「時間」と言う点では、それほど圧縮にならない可能性はあるだろう。
まだ最高気温は30度前後、日差しは強かったが、風が冷たかったので、それほど厳しい観戦ではなかった。
もちろん有望選手揃いだったが、第2試合、高川学園対仙台育英、仙台育英の高田庵冬の存在感は強烈だった。本塁打性のファウルを打った後で122mのさく越えの一発を打った。プロ志望届を出したが、雰囲気はもうプロだった。2試合目はグランドスラムも含め3発もホームランが出た。
いろいろ見どころは多かったのだが、気になったのは応援席だった。
甲子園や選手権地方大会とは異なり、国民スポーツ大会では学校の応援団は動員されない。
県岐阜商と高川学園では、ベンチに入れなかった選手が父母などとともに応援団になって「アゲアゲほいほい」「幸せなら手をたたこ」などお決まりの応援をしていた。
ただ、それほど真剣みはなく、ときどき笑い声が聞こえるなど、緩い空気だった。
山梨学院と仙台育英は、選手は数人しかおらず、父母やOBなどが応援をしていた。
今日は平日だ。国民スポーツ大会に出場する選手は学校の授業は「欠席」の扱いにはならないはずだ。ベンチを外れて応援席に回った選手もその扱いになるのかもしれないが、ただ単に応援させるために授業を休ませる意味があるのだろうか?と思ってしまう。
「部活」は「教育の一環」と言いながら
セルジオ越後は、サッカーや野球など日本の部活の「補欠制度」について
「部活は教育の一環とされているのに、補欠の選手を試合に出さなかったり、レギュラークラスの練習に参加させないのはおかしい。勉強に例えるなら、できない子だけ教室の外から授業を受けさせたり、テストを受けささなかったりするようなものだ」
と厳しく批判している。
日本の「部活」は「教育の一環」と言いながら、勝利至上主義が横行したために、試合に出られない選手を大量に入学させてきた。
多くの選手に競争させて力のある選手をより抜いてきたのだ。
競争に敗れた選手はどうなるのか?
昭和の昔、監督はそういう選手を退部や転校に追い込んだ。それはそれでひどいことだとは思うが、野球をあきらめたり、学校を変わることで、残りの高校生活を有意義にすることは可能だった。
しかし、今の高校は試合に出られない選手でもやめさせることはない。彼らは「生徒数」「学費」を維持するためのお客さんなのだから。
そして、レギュラー選手のサポートや応援などの役割を適当に与える。そういう選手のために2軍、3軍を作って練習試合に出したりはするが、結局、彼らはレギュラー選手のための「捨て石」にするわけだ。
そういう形で、日本の高校野球は試合に出ない「高校野球選手」を大量に作ってきたわけだ。
多くの私学では、選手を「野球部寮」に入学させ、共同生活を送らせる。寮内では上級生が下級生を従わせるヒエラルキーができているが、一方で野球は実力主義だから、下級生が試合に出て上級生が補欠、応援と言うケースも出てくる。そうしたストレスが「暴力事件」を生む温床となっている。
仕方なく面倒を見ている
「いや、試合に出なくても、選手たちはチームの勝利のために、一生懸命頑張ってくれている。私はそういう選手もしっかり見ている。彼らもチームの一員だ」
こういうことを言う指導者もいるが、歯の浮くようなことを抜け抜けというものだと思う。
本当のところを言えば、指導者だって多すぎる選手を持て余している。本当は3学年40人くらいしか面倒見切れないのだ。しかし学校側が大量に選手を入学させるから、仕方なく面倒を見ているわけだ。
多くの選手は2年生になれば「自分は公式戦に出られそうにない」とうすうす気づく。しかし今さら退部も転校もできない。野球部にとどまるしかない。
全国の私学の野球部寮では、こういう悲惨な境遇になった野球部員が鬱々とした高校生活を送ることになる。
「高校時代、試合に出られなくてもチームに貢献した経験は、必ずその後の人生に役立つ」
こういうのを「おためごかし」という。この手のことを言う大人を信用してはいけない。
試合に出ない子は勉強しなさい
「『国民スポーツ大会』は、大きな大会ではあるけど甲子園につながらないし、重要な大会じゃないから、試合に出ない子は学校に残って授業に出て、勉強しなさい」
という指導者が「まとも」なのではないか。
惰性で試合に出ない選手を連れてくる指導者は、何も考えていないのではないか。
私は高校野球の最大の問題は、一部私学が試合に出られない選手を大量に入学させることにあると思っている。
公立高校や強豪でない私学に入学すれば公式戦に出場できるような選手を、「塩漬け」にすることが、高校野球を衰退させている。
有力私学は、入学させる選手数を制限することに強硬に反対するが、それは「教育機関」の本分を逸脱している。
「ベンチ入りできない選手」に前向きの意味などない。



部員数1学年10人~15人の公立で3年の春季大会で3年生で唯一のベンチ外部員として公式戦に帯同しましたが(秋もベンチ外)、制服のままで試合前のダッシュをやらされた屈辱的な思い出があります。雨が降ってたので制服も運動靴もグチャグチャ泥々です。 その当時はベンチ外メンバーがスタンドでユニフォ…
そういう目に逢った人、いっぱいいたんですね。
どの部活にもあるのでしょうが、『ベンチにも入れない選手たち』については、部員を多く抱えたいことでより多くの部費を確保し遠征費などに充てたい、そしてベンチにも入れない選手が増えても他の学校に流出させないことで競争力を保ちたいといった学校側の意図が見え見えですね。 学校側からすれば、…
コメントありがとうございます。NCAAは近年、急速にビジネス化が進んでいるので、それはそれで問題がありそうですね。 ただ日本は「アマチュアリズム」「教育の一環」を標榜しながら「私学の商法」は規制しない、おかしな状況になっています。
私はアメリカの高校野球コーチをしていますが、こちらでは部員数を制限します。各校が1軍から3軍までチームを作り、ひとつのチームには最大でも15~20人程度。そして2軍、3軍もそれぞれのレベルでリーグ戦をやります。だから野球部員すべてがそれなりの試合経験を積むことができます。それですべて良し…
コメントありがとうございます。アメリカで野球経験がある人から話を聞いたことがあります。リーグ戦主体で、全国大会がない分、出場機会はありそうですが、トラックマンなどの計測が一般的になっているので、高校でMLBスカウトの目に留まることもあるそうで、結構厳しいようですね。 でも飼い殺しが…