【アーカイブ】皇室と女性 対談 作家・林真理子さん、明治学院大教授・原武史さん
【2009年5月6日朝刊オピニオン面】
天皇、皇后両陛下は4月にご結婚50周年を迎え、お二人の半世紀に関心が集まった。男性原理が支配するかにみえる天皇制だが、国民のふだんの注目は女性たちに向かう。その女性たちの役割も、宮中祭祀(さいし)を通せば違って見える。作家の林真理子さんと政治学者の原武史さんが語り合った。
林 ご成婚50周年を迎えられて、美智子皇后さまの存在感がますます感じられるようになりました。
原 そうですね。4月10日にNHKが放送した「象徴天皇 素顔の記録」という番組で宮中祭祀の模様が映し出されていましたが、天皇はもちろん、きちんと「おすべらかし」(お垂髪=祭祀の際の女性の髪形)をした皇后も、見事な拝礼でした。皇后の所作は形だけではない、本当に神に対する信仰がなければできないという気がしました。
林 私も、天皇ご夫妻が俗を超えた非常に高い段階まで行かれたという思いで拝見しました。美智子さまはミッション系の女子大をお出になって、西欧式の教養を身につけていらっしゃる。そういう方が50年間で変わられたのでしょうか。
原 (皇后の実家の)正田家の家風の根底にはキリスト教的なものがあったと思います。そうした宗教的な素地があったから、皇室神道や宮中祭祀も受け入れやすかったのではないでしょうか。今では、皇后のカリスマ性は天皇と比べても増しつつあると思うんです。
林 そうですね。「歌会始の儀」でのお歌も皇后さまは素晴らしいです。初めて民間から皇室に入られた方ですが、今や皇室を非常に深く理解して、強いカリスマ性を身につけていらっしゃる。皇室の不思議さというかすごさですよね。
原 そこに行き着くまでの苦労は大変だったでしょう。代々皇后は苦労している。例えば(大正天皇の后〈きさき〉の)貞明皇后は、大正天皇の病気は神への祈りをおろそかにしたからではと恐れて、厳しい修行を積んだ。そして大正末期以降、苦労を昇華させる形で天照大神(あまてらすおおみかみ)に近づこうとする。貞明皇后の写真のいくつかには、神と人の間を取り持つシャーマンのようなただならぬ気配が漂っています。
林 昭和天皇はお母様の貞明皇后を恐れて、呪縛から逃れられなかったとか。
原 昭和初期は、天皇と皇太后(貞明皇后)に皇室の勢力が二分され、関係はぎくしゃくしていたようです。大日本帝国憲法や皇室典範だけを見れば、明治から戦前の天皇制は天皇が統治権の総攬(そうらん)者で、天皇は男系男子ですから明らかに男性中心です。でも、こうした法律だけでは説明できない、ある種のダイナミズムが皇室にはある。1908年にできた皇室祭祀令に、大祭も小祭も「天皇皇族及官僚ヲ率ヰテ」とあり、女性皇族の出席が前提にされている。大正期になると実際に、天皇が出なくても皇后が出ることがあった。さらに昭和初期になると、皇太后が出てくる。そういう形で、旧憲法や皇室典範の男性中心の構造をひっくり返す場面が生まれる。象徴天皇制下でも、祭祀の根本は変わっていません。
林 祭祀では平等と言えないまでも、女性が活躍するということですね。
原 皇后が祭祀を天皇に代わって行うことはできないが、皇后の方が祈りの深さで上回ることはあり得ます。女性の力については、こんなエピソードもあります。昭和天皇の侍従長だった入江相政の日記に、彼が「魔女」と呼んでいた神がかり的な女官が出てきますが、入江が昭和天皇の高齢を考慮して、1960年代後半から天皇が出るべき祭祀を減らそうとすると、「魔女」が抵抗する。それが(昭和天皇の后の)香淳皇后に伝染し、それなら私がやろうかと言い出す。「魔女」はもともと貞明皇后に仕えていたのですが、戦後も70年代まで宮中にいて、香淳皇后も感化されたらしい。
林 美智子さまには近代の知性というものがおありですが。
原 近代の合理的な知性だけでは、あれほど敬虔(けいけん)な祈りはささげられないと僕は思うんです。
林 近代的合理性の塊のような雅子皇太子妃はどうでしょうか。皇太子ご夫妻のご結婚当初、雅子さまによって皇室は変わるとみんな言ってましたが、私はそれほど皇室はやわなものじゃないと書きました。将来、雅子さまのような二重まぶたのぱっちりした目のお子さまは生まれないはず。多分切れ長の目をしたお顔立ちのお子さんが生まれると思う、それだけ皇室の血ってすごいんだと予想していました。
原 今の天皇、皇后は昭和ひとけた生まれ。雅子妃とは時代が違います。1960年代の高度成長以前の日本は基本的に農村社会で、村の神社では宮中と似た祭りが行われていた。しかし、皇太子夫妻が物心ついたときには、猛烈に開発が進んで農業人口が減り、GNPは世界第2位になる。雅子妃は東京・山の手の高級住宅街で育ち、外務省のキャリア官僚となった。そういう人が宮中に入っていきなり祭祀を担えと言われても、できるだろうかという気がします。
林 ご結婚のときは祝賀ムードばかりで、そのことを言う人はあまりいませんでしたよね。
原 4月8日の天皇夫妻の結婚50周年会見で、天皇が新嘗祭(にいなめさい)のような古くからの伝統の一方で、例えば田植えのように昭和になって始まった行事もあると発言したのに驚きました。新嘗祭は江戸時代後半に復活しますが、明治になって新たにつくられた祭祀や、昭和末期に形が変わった祭祀も多い。それを踏まえた発言でしょう。皇后も、型のみが残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統の名で古い慣習が人々を苦しめたりするのは好ましくないと発言した。心の面もあわせて伝統だとも言っている。祭祀を継承するのは大変なんだという思いでしょう。
林 次の代は大丈夫かなと不安が出てきます。
原 天皇だけでなく皇后や皇太子、皇太子妃が宮中三殿に上がらなければならない祭祀は結構多いんです。雅子妃は1月7日、昭和天皇の20年式年祭の皇霊殿の儀に出席しました。5年3カ月ぶりの宮中祭祀です。昭和天皇の墓所である武蔵野陵に行っていた天皇夫妻の代わりに皇太子夫妻が出席したのですが、その後は再び雅子妃の欠席が続いている。あれだけ見事な拝礼をする皇后の前で同じことをするのは、プレッシャーでしょう。
林 拝殿の下で両陛下を見つめているだけというわけにはいかないのですね。女性週刊誌では、明らかに雅子さまの露出が減り、そのぶん美智子さまがまた多くなっていますが、微妙なずれを国民も感じているんじゃないでしょうか。
原 皇太子夫妻はまだ、天皇夫妻に匹敵するメッセージを発していないと思います。たとえば天皇は皇太子時代、結婚翌年の60年9月に東京郊外のひばりが丘団地を夫妻で訪問しました。2DK主体の核家族用で、ぴかぴかの流し台や水洗トイレを完備した団地を見にいったのは、彼らが新しい時代の家庭の見本であり、核家族のモデルだったから。普通の人々が暮らしている場所に行き、その生活感覚も共有できたと思う。天皇夫妻には今も多分、最も恵まれない人たちや生活に困っている人たちはどこにいるかを察知するアンテナがある気がします。
林 雲仙普賢岳などの被災地にもお見舞いに行かれましたね。
原 皇室は一番恵まれない人たちを手厚く保護すべきだという考えは以前からあります。今の皇太子夫妻はそうした実践が少ない気がします。
林 そうですね。皇太子さまが愛子さまを背負子(しょいこ)のようなもので背負って山登りをしたことがありました。普通のパパがするみたいに。何をお思いになって、ここまで庶民の側に降りていらしたのかなと、私は違和感を覚えました。それにしても、皇室について世間は、嫁しゅうとめとか雅子さまの健康問題とか、非常に世俗的な話題ばかりですね。
原 国民は宮中祭祀などの側面をまったく知らないから、皇室を嫁しゅうとめといった橋田寿賀子さんが描くホームドラマ的なものに置き換えて論じてきた。しかし、お濠(ほり)の内側には祭祀の世界があり、すさまじいほどのしきたりに従わなきゃいけない。林さんは以前、週刊誌の連載で、内掌典(ないしょうてん)(宮中の祭祀に奉仕する女性)を57年間も務めた髙谷朝子さんの「宮中賢所物語」という本に触れていましたね。内掌典の生活があそこまでつぶさに描かれたのは初めてだと思いますが、出版されたのはほんの3年前です。
林 読んでびっくりしましたよ。
原 内掌典の生活には今なお厳しいしきたりがあって、生理の時には1週間、衣服や食器を全部変えるわけでしょう。
林 明治の頃そのままですよね。天皇が地方にいらしたときに地面を清める役職の方もいらっしゃるそうです。そういうミステリアスな部分がなくなると、皇室の意義も薄れてしまうのではという気もしますけど。
原 でも、そうした面が国民に知らされないから、きちんとした情報に基づいて議論ができなくなっていると思うんです。大学の授業で「皇居がどこにあるか知っていますか」と聞いたら、「知らない」という学生が多かった。秋篠宮が皇太子の弟だということも知らないし、皇居前広場にも行ったことがない。
林 まあ、本当ですか。それこそ皇室の危機なのかもしれません。
原 ひところ、皇位継承は男系男子を維持せよとか、皇室典範を変える変えないといった議論が盛んでしたが、10代や20代前半の若者は全然関心を持たない。
林 私は女系や女性の天皇はどうかなと思うんです。せっかくこれだけ男系が守られてきたんだから死守すべきだと思っています。悠仁親王のご誕生にはびっくりしました。皇室には底力がある。それがある限り、皇室は大丈夫だと。人知の及ばぬ底力がなくなり、男系が続けられなくなったときは、もう京都かどこかにお移りいただいて、茶道や華道のお家元のような形で皇室を続けていただくしかないかなと思っています。
原 悠仁親王の誕生で、とりあえず男系男子は保たれることになりました。ただ、皇室に無関心な世代は今後どんどん増えていく。その意味で皇室は相当危ない。宮中祭祀の公開に踏み切ったのも、このままではお濠の外側から内側に入ったときのギャップは想像を絶するものになるという危機意識の表れでしょう。いずれ悠仁親王も結婚して女性を皇室に入れなきゃいけないわけだから。
林 あこがれて皇室に入る女性は、これから先もいるかも知れませんよ。でも、女性天皇の配偶者を求めるほうがずっと難しいでしょうね。
原 皇室という制度を担うのは生身の人間であり、そういう環境に適応できる人とできない人がいると思うんです。天皇家では神武から昭和まで124代の天皇がいて、2千数百年続いてきたことになっている。このため、毎年のように「○○天皇△年式年祭」があるわけです。すべてに出席しなければならず、神武天皇祭には神武天皇の実在を信じて拝礼しなければならない。一般の感覚からは、恐ろしいほどのギャップがある。だから、シャーマン的な体質であることが大事じゃないかと思います。今でも祈りは欠かせないし、神をありありと感じることができるかも重要。誰もが美智子妃のようになれるわけではない。
林 若い友人たちと話すと、皇族は税金で暮らしているのに公務を十分果たしていないのでは、という声さえ出てくるんです。皇室には、たとえば麻生首相に会ってもあまり喜ばない海外の賓客も、皇居に招待されると非常に感動するというような優れた機能がありますが、世間にアピールされていない。祭祀を時代にあうよう整理するのは、皇室のご判断に任せたいと思います。ただ、両陛下が記者会見で「皇室の伝統行事のあり方は次世代の考えに譲りたい」とおっしゃったのは、次世代につなげていくものだからこそ、様々な行事の意味をちゃんと理解し把握したうえで、もう一回検討してほしいと、特に皇太子ご夫妻に望まれているのではないでしょうか。
原 宮中祭祀のほとんどは戦後も変わらなかったし、宮中三殿も基本的に明治中期に建てられたままです。敗戦で憲法が変わり、天皇は象徴とされるなど大きな変化があったように見えますが、それは半面であって、連続している面がかなりある。それが21世紀になって、お濠の内と外との大きなギャップを生み出してしまった。だとするならば、宮中祭祀を見直すということは、明治以降の天皇制の歩みを検証し直すということでもある。皇室が存続するには、時代にあうよう、思い切って変えるべきところを変えるしかないのではないでしょうか。(構成・今田幸伸、池田洋一郎)
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はやしまりこ 54年、山梨県生まれ。「最終便に間に合えば」「京都まで」で直木賞。著書に、明治の宮廷を描いた「ミカドの淑女(おんな)」、「みんなの秘密」など。
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はらたけし 62年、東京生まれ。専門は日本政治思想史。日本経済新聞記者として昭和天皇の闘病を取材した経験も。著書に「大正天皇」「昭和天皇」など。
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〈宮中祭祀〉 天皇が執り行う祭祀。皇居の中の宮中三殿(神殿、賢所、皇霊殿)で行われる。新嘗祭を除くほとんどが明治以降につくられ、1908(明治41)年の皇室祭祀令で明文化された。戦前は公務とされたが、戦後、皇室祭祀令は廃止され、新憲法下では天皇家の私事として行われている。
〈皇位継承順位〉 皇室に関する基本原則を定めた法律「皇室典範」は、皇位継承権者を「皇統に属する男系の男子」に限っている。継承順位は直系(天皇からその子へ)、長系(兄弟では年長者から)、近親(天皇から血縁の近い者から)をそれぞれ優先する。現時点では、皇太子さま、秋篠宮さま、悠仁さまの順。