社会保障国民会議で与野党が合意した「給付付き税額控除」(中間とりまとめ案)に批判が殺到している。
なぜなら、「現役世代の手取りを増やす」というスローガンから始まった新たな制度が、ふたを開けてみたら単なる「低所得層へのバラマキ」に変貌する可能性が出てきたからだ。
「中」ですらない、「低所得層」へのバラマキ
もともと「給付付き税額控除」は、税負担を軽減する「控除」と現金を支給する「給付」を組み合わせる仕組みであったが、事務手続きの煩雑さを理由に、当面は減税を含めない「給付だけ(所得連動給付)」に一本化して2029年度に導入する方針に変わった。
当初案から「控除(減税)」の要素が消え去り、中低所得層の働く人に配るという部分が残った形になっている。現時点では、対象となる年収水準は未定のままとはいえ、すでに約250万円前後になる可能性を指摘する声が様々な方面から飛び出している。「中」ですらない、「低所得層」である。
先の国民会議で、住民税の控除額をインフレなどに連動させる恒久的な「現役世代減税」を提案している国民民主党代表の玉木雄一郎氏は7月16日、Xに【給付付き税額控除の対象は年収540万円未満?240万円未満?】というタイトルで投稿した。
玉木氏は、年収ごとの実質負担率を可視化したグラフである「翁カーブ」の考え方を踏まえ、年収540万円未満の日本人の税・社会保険料負担が諸外国(G3)と比べて重いことから、「給付付き税額控除」は構想されたと経緯を説明。
しかし、国民会議の資料では、「給付が消失する水準は、諸外国では概ね平均年収の50%前後」と明記されているとした上で、「これを当てはめると、日本の平均年収480万円の50%は240万円となり、給付消失水準は240万円となる」と述べた。
「仮に給付消失水準が240万円程度なら、2029年4月に飲食料品の消費税率が1%から8%に戻る際、年収240万円以上の人は給付付き税額控除の対象外になるので、実質的に『増税』となる」と懸念を表明している。
同様の主張は、日本共産党書記局長の小池晃氏からも出ている。Xの投稿で「支援の上限は、国際比較をもとに、平均年収(478万円~540万円)の50%前後とされているので、年収250万円程度を超えると対象外になる?」と疑問を呈した。
中間層の「相対的剥奪感」による不満
もしこの「低所得層へのバラマキ」が「給付付き税額控除」の正体であるとするなら、あまりにも国民をバカにした愚策である。これは実質的に、「給付付き税額控除」という看板を下ろし、「特定の層を対象にした選別的現金給付」にスケールダウンしたことを意味するからだ。
「税を納めているからこそ、控除として恩恵が受けられる」という建前すらなくなり、「国が定めた低所得基準を満たす人だけにお金を配る」という見慣れた構図の復活である。税や社会保険料の負担ばかりがのしかかる中間層の「自分は不当に扱われている」という「相対的剥奪感」は、この露骨な選別によってさらに増幅されることになるだろう。
その際、国民会議の資料にある「所得に連動したきめ細かな給付」は裏目に出る可能性が否めない。これは「バラマキとの批判を受けやすい一律給付との違い」を強調したものであり、所得が伸びるほど徐々に給付を減らし、手取りの逆転(手取り額が急減する所得の崖)を防ぐという設計自体は、経済学の教科書的には正しいアプローチといえる。
だが、ここでも人々の心理的な影響が度外視されている。個人の所得に連動して細かく給付額が変わることは、「国民の間に無数の微細な損得のグラデーション(境界線)を引く」ということだ。例えば、「年収300万円の同僚は満額もらえるが、残業を頑張って年収320万円になった自分は少し減額される」といった微細な格差が可視化されることになる。
また、「働いて所得が少し上がると給付が削られる」という制度設計そのものに、真面目に働いている中間層は、「働く者が損をして、働かない(あるいは就業調整する)者が得をする不条理な社会だ」という道徳的な怒りを抱くことが否定できない。
さらに、国民会議の資料には、子育て世帯には、18歳以下のこどもの人数に応じた加算を行うと書かれている。このような所得とは異なった「損得のグラデーション(境界線)」が加わることによって、「自分と似たような境遇なのに、なぜあの家庭だけ給付をフルにもらえているのか」という、極めて狭い範囲での疑心暗鬼が最大化する恐れがある。
このように、現場レベルでの「働き損という被害者意識」や「隣人への嫉妬」がいちいち強烈に刺激され、社会の分断が決定的なものになるリスクを孕んでいる。そもそも、資産や世帯全体の購買力を完全に捕捉しないまま個人単位で給付を行えば、「本当に困窮している層」と「世帯としては裕福だが個人としては低所得の層」が混在することになることは明らかだ。
そうして、中間層の「相対的剥奪感」による不満は、制度を作った政府だけでなく、直接の給付対象者(弱者)へと向けられることになる。すでに「相対的剥奪感」の温床になっている年金制度と生活保護の構造的な矛盾と同様、互いを監視し、引きずり下ろし合う「相互排除」の世界を招来することになるのだ。それと同時に、近年勢いが増している生存主義(サバイバリズム)の潮流に拍車をかけることになる。
「サバイバー」と「取り残された層」へ二極化していく
経済学者のアルバート・O・ハーシュマンは、組織や国家のサービスが低下した際、メンバーは2つの手段のどちらかをとると論じた。「告発・抗議」=投票、デモ、あるいは世論形成によって、システムを内側から変えようと行動することと、「退出・離脱」=そのシステムに見切りをつけ、別の代替案へと立ち去ることだ(『離脱・発言・忠誠 企業・組織・国家における衰退への反応』矢野修一訳、ミネルヴァ書房)。
今の日本で起きていることにスライドすると、「静かな退出・離脱」とでも呼ぶべき傾向が加速することになるだろう。中間層は、止まらない物価高や、不公平で複雑な給付付き税額控除の顛末を見て、「政治に期待したところで、どうせ何も変わらない」という思いをより強くし、NISAや副業という「自分の管理可能な私的領域」へとリソースを集中させることになる。
これは、国家というプラットフォームに対する実質的な不信任投票にほかならない。そこで問題になるのは、前述の「相互排除」と「嫉妬」をデフォルトとする背景を強化する新たな階層化である。NISAをフル活用するだけの余剰資金があり、副業に活かせるITスキルや人脈などがある「強者中間層」は、自己防衛に成功するだろう。
その一方で、日々の物価高で投資に回す1万円すらなく、肉体労働などで副業の余力もない「弱者中間層」は、防衛すらできずに沈んでいく可能性が高い。早々に「退出・離脱」ゾーンに移行した「サバイバー」と、どっちつかずのまま「取り残された層」への二極化していくのだ。
自己防衛に成功した「強者中間層」は、多かれ少なかれこう考えるようになるだろう。「自分はリスクを取ってNISAや副業で努力して生き残った。なぜ努力も投資もしなかった人間を、自分の高い税金で救わなければならないのか?」と。
こうして、本来であれば「同じ現役・中間層」として連帯し、政府の増税や社会保障の不備にノーを突きつけるべき人々が、「努力して自己防衛できた強者」と「防衛できなかった弱者」に分裂し、反目し合うようになるのだ。
財政制約などの現実的な要請を優先した結果、現状において人間の持つ「相対的剥奪感」などの基本的な心理傾向を軽視したとみられる謎の新制度は、日本に「新たな火種」を作り出すことになるかもしれない。それはきっと自己責任論を正当化する「新たな理由」にもなることだろう。