小樽
1907年7月15日(旧暦7月28日)サンクト・ペテルブルグ市においてロシア帝国A.P.イズヴォリスキー外務大臣と本野一郎在ロシア日本公使との間で調印されたプロトコールに従い日本政府は小樽市にロシア領事館開設の認許を与えました。しかし、開設が実現されたのはその20年過ぎでした。
1925年(大正14年)1月にソビエト連邦と日本との間で日ソ基本条約が締結され、両国間の外交領事関係も樹立し、1926年4月に小樽市にソ連領事館が開設されました。初代の領事にA.V.バシリエフが任命されました。1927年8月に在日ソ連邦大使館は小樽領事館を副領事館に改変する旨日本外務省へ通報しました。領事管轄区域は石狩、北見、手塩及び樺太(南サハリン)が含まれました。副領事館の主な業務はソ連邦極東沿岸地域で漁業に従事している漁労者及びサハリン北部の石油・石炭開発地域で働く日本企業の従業員へのビザ等の領事文書の発給でした。副領事館は市役所と調整した上で、小樽市の外れにある株式会社「北海製罐」所有の建物(住所:奥沢町4丁目28番地)を借家しました。賃貸料は年間960円でした。一階は事務所で、二階には職員及びその家族が住んでいました。副領事館の職員は二人以内でした。又、通訳及び役務職員として小樽市民が雇われました。
ビザの申請手続きの減少に伴い、1933年からは5月から9月までの季節限定の業務に変更されました。
1936年にG.I.パビリチェフ氏が在小樽ソ連邦副領事に任命されました。しかし、日本側がビザの発給を送らせたために副領事が小樽市に到着したのは1937年6月でした。そして9月には東京へ移動しました。
1938年4月にソ連側は在小樽ソ連邦副領事館の閉鎖を公式に日本政府に通報しました。
在小樽ソ連邦副領事館のあった建物は現在保存されていません。