★★★【ゲーム評】Assassin’s Creed Shadows 弥助騒動に思うこと 前編

公式のトレーラーはつまんなくて、むしろアンオフィシャルのこの歌の出来がすばらしいので、ぜひこっちをBGMに流しながら読んでほしい。

怒ってます。めちゃ怒ってます。本当は他に紹介したいすばらしい作品や、自分でもよく書けたと思う記事は山のように溜まってるのに、これはどうしても言わずにいられなかった。怒ってるので(対象に日本人も含めた)罵詈雑言を吐いてますので、そういうのが苦手な方はご注意下さい

しかしちょっとしたブームになっちゃったので、いろんな論客(や野次馬)がいろんなところでいろんなこと言ってるけど、時代劇好きでなおかつゲーマーの私が何も言わないわけにはいかないだろうなあ。
なんかこれだけ(悪い意味で)ブームになっちゃうと、人の尻馬に乗るみたいでいやなんだけど、そもそも映画『アサシン クリード』を大絶賛しちゃったし。これじゃアサクリ・ファンだと思われそうだから。それにこういう時事テーマはいろんな意味でまだ燃えてる間にアップしなくちゃと思って。

ちなみにタイトルに【ゲーム評】と付いてますが、これは単なる分類のための記号で、評価も何もまだ未発売のゲームなので、もちろんゲームの内容については語ってません。

先にいつもの表記についての文句

2024年11月15日発売予定のUBIソフトの『アサシンズ・クリード・シャドウズ』(Assassin’s Creed Shadows)をめぐる大炎上騒ぎはご存じの人もいるでしょう。

もちろん日本での正式名称は『アサシン クリード シャドウズ』だが、気持ち悪すぎて吐きそうになるので私は絶対に使わない。しょうがないので本記事ではACまたはACSと省略する

映画のほうのリビューでアポストロフィs(’s)を落とすことについて文句を言ったが、あれはそもそも意味が変わってしまうからだ。なんで一言「ズ」を入れるのを嫌うのだ?
さらにいつから中黒(・)を使わなくなったのだろう? 今は教科書でもそうなってるのか?と、ChatGPTに聞いたら次のような答が返ってきた。

中黒の使用が減少し始めたのは、昭和時代後半から平成時代にかけてのことです。中黒は、特に外来語や複合語を区切る際に使われていましたが、次第にその使用が減少してきました。これは、外来語や複合語が日本語として定着し、区切りを必要としなくなったことが一因とされています。また、デジタル化の進展に伴い、文字数を節約するためや、ビジュアル的な理由からも中黒が省略される傾向が強まりました。
現在の教科書では、中黒の使用はかなり限定的です。特に外来語の表記において、必ずしも中黒が用いられなくなってきています。文部科学省が定める「学習指導要領」や教科書会社のガイドラインに基づき、外来語や複合語が自然に読めるように工夫されています。たとえば、以前は「コンピュータ・ウイルス」と表記されていたものが、現在では「コンピュータウイルス」と中黒なしで表記されることが多くなっています。(以下略)

そりゃもちろん言語は時代とともに変化するが、日本語はあまりに節操がなさ過ぎて、ほんの数十年前の言葉がたちまち死語になってしまうから困る。私が(大学院でプロとして書くための)日本語を学んだときは中黒必須だったが、今は私も外来語として定着したものについてはなるべく中黒を落として書いている。
でもこういう表記はニュージーランドをニュージー・ランド(正しくはニュー・ジーランド)と勘違いするような混乱を招くし、英語学習の上では非常に迷惑だ。
おかげでこの事件でもトマス・ロックリー(Thomas Lockley)をロック・リーと思い込んで中国人と決めつけるバカがいた。(ちなみにLeeもイギリスではよくある伝統的な姓である)

それでも単にくっつけるだけならまだいい。『アサシン クリード シャドウズ』のような分かち書きというのは日本語には本来なかった書き方なのである。これを読もうとすると、どうしても『アサシン(間)クリード(間)シャドウズ』みたいな読み上げアプリのような読み方になってしまう。いや、むしろ読み上げアプリ向けの書き方なのかも。

例外的に外国人がひらがなカタカナの読み書きを習うときは、スペースがなくすべてつながった日本語は難解すぎるので、外国人向け初級日本語教本ではすべての単語にスペースが入っている。だから分かち書きの日本語を見ると、私にはすべて外国人がしゃべっているように見えてなんか気持ち悪い。(たとえて言うなら、昔の漫画の中国人が「ワタシ、なんとかアルよ」としゃべるような口調)
日本の文化や伝統を破壊するな!」と騒いでいる連中がそういうことをまったく気にしないから笑える。まあこの炎上騒ぎで騒いでるような連中は、私から見ると全員外国人どころか異星人同然だから当然か。

こういうことを言うと、「また年寄りが重箱の隅を‥‥」と思う人もいるだろうが、私が問題にしているのは日本語の将来だ。

昔は子供にずっとテレビを見せておく手抜き育児が問題とされたが、今の子供はYouTubeであのヘンテコなアクセントの、誤読だらけの読み上げ音声を聞きながら育ち、外国のニュースは機械翻訳の珍訳を読んで育つ
どっちも昔と較べると信じられないほど進歩したし十分実用レベルだと思うけど、それでも人間なら絶対やらないような変なミスが残る。その結果、あやしい日本語話す日本人がますます増えるわけ。
そういや、ゲーム系YouTuberの実況を聞いていると、読み上げを使わない人でも簡単な日本語を誤読したり、ゲーマーならしょっちゅう目にしているはずの簡単な英単語(なんだったか忘れたんだが、restartみたいな)を、「英語わかんないから読めないや」と言ってるのをよく目にする。

そういう連中の書く大学のレポート(英語ならまだ許すが日本語でも)は、私は2、3本読むと発狂して奇声を上げながら頭をガンガン壁に打ち付けないと正気を保てないようなレベルなのだ。(私が採点にものすごく時間がかかるのはそのせい。それが年々ひどくなる)

AC(Assassin’s Creed)って何?

いちおうゲームをしない人のために説明しておくか。

ACは謎のメカニズムでプレイヤーが歴史上のいろんな時代に飛んで当時の人物に憑依し、アサシン(暗殺者)として悪(このゲームの場合はなぜかテンプル騎士団)と戦うという設定の、非常に人気のある歴史アクション・アドベンチャーゲーム。アサシン教団は今はこのブログのモットーになっているニザール派あたりがモデルになっているらしい。

制作はフランスのゲーム会社UBIソフト。フランスを代表するゲームだが、フランスだけでなく世界史で有名ないろいろな時代や場所を舞台にするのが特徴で、すでにメインのシリーズだけでも13作がリリースされている。そして今年出る『シャドウズ』は14作目にして初めて日本の戦国時代が舞台というので、ちょうど日本ブームの真っ最中でもあり、前々から話題になっていた。

私とAC

ジャスティン・カーゼルの映画『アサシン クリード』は大絶賛したが、あの映画は基本設定だけ頂いた完全なオリジナル脚本。正直言ってゲームのほうはわりとどうでもいい。

このシリーズで私が唯一評価していたのはコスチュームのかっこよさと、背景となる過去の世界の作り込みだ。
というのも私はもともとアサシンが大好きで、それも政治・宗教とはまったく関係なく、単に服装がかっこいいから。いつも言うように、私はあらゆる国を美的センスのレベルで判断するので、イスラム世界はデザインセンスの良さだけでもひいきにしているのだ。(あと美しい馬もね)

ゲームのほうは私は『アサシン クリード シンジケート』だけしか持ってなくて、それもこれがヴィクトリア朝ロンドンを舞台にしているからだし、ただでもらえたから(笑)。しかし期待して始めたわりには結局途中で中断している。
理由としては

  • もともとアクションゲームに興味がない。
  • そのアクションが単純すぎてつまらなかった。
  • 主人公の二人が好みでない。
  • コスチュームもいつもの中東風じゃなくてかっこ悪い。
  • ストーリーがヘボい。
  • フランス人と好みが合わない。
  • MODが使えないので気に入らないところが何も直せない。

といった理由から。

つまりゲームとしてはもともと高く評価はしてないってことね。それでも日本の戦国時代が舞台と聞いて、ACSにはいやでも期待していた。というのも私は時代劇とお侍さんが大好きなのに加え、忍者こそ日本が誇るアサシンだから。
この時点ではどうせ忍者映画みたいなトンデモ忍者になることは想定済み

それから主人公は織田信長の従者だったとされる黒人の弥助だという話が伝わってきた。これもちょっと驚いたが、「まあいいんじゃない?」というのが率直な感想。
それじゃあ、信長の天下統一から本能寺までの「正史には書かれなかった影の歴史」みたいになるんだろうなと思っていた。シャドウズだからして。なんかそれもかっこいい。

たぶんこの時点ではおおかたの日本人ファンは私みたいに感じて楽しみにしてたと思うんだよね。それがなんと、最初のトレーラーがYouTubeで公開されるや否や、日本中(と言っても最初は洋ゲーファン・コミュニティという非常に狭い世界だが)で非難の声が湧き上がり、とんだ炎上騒ぎになった

弥助騒動とはなんだったのか?

短期間にいろんなことが起きて、関わった人間も千差万別なので一言で言うのがむずかしい。

この人の動画がいちばん公正だしわかりやすいと思ったので張っておく。
Ryuuku Sensei(リューク先生)は日本のゲームや文化について発信している日本在住のイギリス人YouTuber。ちなみにサムネはロックリーでリューク先生じゃないよ。
英語だが、字幕設定をオンにして「英語(自動生成)→ 翻訳(日本語)」にすると日本語字幕で見られます。もちろん完全なものじゃないけど。この問題に関係したリンクもすべてこのビデオの概要欄に張ってある。

What Japan ACTUALLY Thinks about Assassin’s Creed Shadows, Yasuke and Thomas Lockley by Ryuuku Sensei「日本人がACSと弥助とトマス・ロックリーに関して本当に思っていること」

上の動画は詳しすぎて弥助やゲームに関心ない人には退屈だろうし、日本語の方がいいという方はこちらを。たまたまこの騒動の中心人物に祭り上げられてしまったゲームYouTuberの「キャベツの人」の動画だが、このあとも次々新事実が明らかになるたびにビデオを上げているのでこれは氷山のほんの一角。

これ見てて気づいたが、この配信者、柴犬をシバケン、秋田犬をアキタケンと発音してるがこれが普通だよね? なぜか今はシバイヌ、アキタイヌが正式名称になってるみたいで、私はYouTube見るたびにものすごい違和感覚えるんだけど。これまでの人生ずっとシバケン、アキタケン、シコクケン、カイケンと呼んできたので。土佐犬だけはトサイヌとも読んだけど。
もしかしてこれは海外だけ?(基本的に海外のビデオしか見ないので) でも外国人にいぬという単語は発音できないし(イニューになってしまう)ケンなら誰でも読めるのに謎だ。

とにかくこういう短いトレーラーを見て憤慨した日本人がUBIのチャンネルに殺到して抗議したのが発端。
いやそれともUBIのインタビューが先だっけ? 忘れちゃった。とにかくすべてのビデオや顛末をフォローしてるわけじゃないので、時間順とかは前後してるかも。

ACSが炎上したわけ

それで反対派・賛成派双方の槍玉に挙がったのが気の毒なことに主人公の弥助。
というのも、これまでのACシリーズはすべて架空の人物を主人公にしてきたのに、日本だけが(いちおう)実在の人物。しかも弥助。しかもUBIは弥助が実在の人物だと言うことを強調し、今まで以上に史実を忠実に再現したと断言したのだ。

というので、誰もが最初に抱く素朴な疑問は、なんで日本なのに黒人主人公?というもの。これまでどこの国の話でも主人公は現地人だったし、中国を舞台にしたときも主人公は中国人だった。(実際は主人公は男女ふたりいて、好きな方を選べる)

そこで当然のようにポリコレ要員?という疑念が浮かぶ。でもなんで日本で黒人??

これはしごくまっとうな問題提起だったのだが、まずUBIの説明がまずかった。UBIは「私たちのサムライ、私たちの目になれる主人公」として弥助を抜擢したというのだが、これまでは一度もそんなことはしなかったのになぜ日本だけ? それはつまり「日本人が主人公のゲームなんかやってらんねーよ」ということなので、日本人は怒っていい。この文言はすぐにウェブから削除された。

しかし日本人側もバカだった。苦情を言うとそれは「黒人主人公やめろと反対する日本人は黒人差別主義者」と言われるものだから、「いやそうじゃなくて、史実と違う。黒人の侍なんていなかった。弥助は侍じゃなかった」と反論したものだから、なぜかここから歴史論争にすり替わってしまった。
この時代、侍の定義なんかわりと曖昧なものだったんだから、こんなのいくらでも言い逃れができちゃうんだよね。

そもそもなんでこんなことを外人が言い出すかというと、古くは古代ギリシア・ローマ時代から移民にしろ奴隷にしろ黒人はヨーロッパにはたくさんいたから、「黒人のいない国」なんてものが存在するってことがピンとこないんだろうね。
だから「日本の漫画やアニメにはなんで黒人キャラが少ないのか」とか文句言うわけ。もちろんそういうトンチンカンはヨーロッパ人でも教養のない人たちだけだけどね。ところが今回は日本も海外もバカ同士の対決になってるんで。

しかし「なんで白人が侍で主人公の映画『ラスト・サムライ』や『仁王』(ウィリアム・アダムズがモデルの侍が主人公だが、ゲーム自体はモンスターが跳梁するファンタジー)には文句言わずに、黒人の弥助にだけ文句言うんだ?」と言うのももっとも。
「日本なんて信長だろうがヒットラーだろうが女体化したりおもちゃにして楽しんでるんだから、これぐらいでガタガタ言うな!」というのは私も最初に思った。
「日本の農民が英語しゃべってる」と笑ってるやつもいたが、おまえら吹き替え洋画平気で見てるじゃないか!(私は平気でいられないので絶対吹き替え版は見ない)

これに関しては日本も海外を舞台にした漫画などでまったく同じことをしているのに、外国を知らないから誰も気づかない。私は漫画は日本のしか読まないが、その私が外国を舞台にした漫画は絶対読まないのはなんでだと思う? 特に時代物がひどい。中国あたりは私はぜんぜん知らないので気にせず読むが、ヨーロッパを舞台にしたものはどうしてもだめ。
最近続刊が出て騒がれた『ヒストリエ』だって、確かにおもしろいのは認めるが、時代考証以前にまったく古代人らしくも外国人らしくもないあのキャラとかセリフってギャグだよね? あれはおそらく作者が意識してやってるんだと思うが、ストーリーはめちゃくちゃシリアスなのに、なんでああなの?

一方、初期の頃はまじめに日本人側の言い分を英語で書き込んでいた日本人もいたんだが、そういう人たちには「おまえ、日本人のふりした白人だろう」というコメントが付くんだそうだ。私もよく外人扱いされるからわかるけど、それは頭にくるのもわかる。

しかしそれとまったく同様に、ACSを擁護する日本語コメントが「こいつ日本語明らかにおかしいし、外人のなりすましだ!」と言われてさらし上げを食ってるのを見て笑った。いや、あんたらみんなしばしば日本語おかしいし、それ言ったら誰も日本人いなくなっちゃうじゃん(笑)。

さすがバカ同士のディベートはすごい。というわけで、あとはもうグッチャグチャ。

ACSは本当は何が悪かったのか? もちろん馬だよね、私の場合(笑)

いや、違うんだなあ。私なんか『47 Ronin』ですら感動しちゃったぐらいトンデモ日本には慣れっこ(というか『犬ヶ島』あたりに書いたがむしろ大好物)なのに、その私でさえ感じるモヤモヤと気持ち悪さがちゃんと伝わってない。

とにかくあのトレーラーの冒頭、侍大将みたいなフルアーマーに身を固めた弥助が馬に乗って走っていくから戦場へ向かうのかと思ったら、着いたところはいかにも平和そうな農村。

この馬鎧がひどい。(もちろん私が最初にケチを付けるのは馬です) いつから日本人は角の生えた兜を馬にかぶせるようになったんだ?(笑) こういう形の兜があるから、それをそのまま馬にかぶせちゃったんだろうか。
房飾りみたいなのは付けてたみたいだが、馬に兜かぶせるなんて聞いたことない‥‥と思って調べたら、なんとあったことはあったらしい。

海外の美術館の収蔵品だが、麒麟を模したお面(ツノ付き)みたいな馬鎧が本当にあったわ。おそらくUBIの人も私と同じくJapanese horse armourで検索したらこういうのが出てきたんだろうが、少なくともこれは儀式用かなんかで、実戦じゃ使わないし、まして普段使いはしないよなあ。
まず馬が嫌がるし、ツノが刺さりそうで危なくて乗ってられない。

でも馬に関しては上記のキャベツさんのビデオを見てたら、もっとすごい間違いを発見したわ。一瞬しか出ないので最初は気づかなかったが、ポーズかけてみたら爆笑した。何かというと主人公の弥助と奈緒江が馬をギャロップで走らせている場面。(トップの「弥助やないかい」の3:44あたり)

戦国時代にモンキー乗り しかも鐙(あぶみ)がないんだが、どこに立ってるんだ。それでいて上体が起きてるし、しかもこの手はなんなんだ! どう見てもバランス失って転げ落ちる寸前だよね。
特に弥助は人間離れした巨人に設定しちゃったうえ、馬は明らかに小柄な奈緒江が乗ってるのと同じ馬の使い回しだから、ゴリラがポニーに乗ってるようにしか見えない。重心もおかしいし、これじゃたちまち落馬するし、(あの体重+フルアーマーだから)馬にとってはひどい虐待だ。

馬もおかしい。なんだこの赤べこみたいな馬は?? 馬の頭が小さすぎ首が細すぎるのはいつものことだが、走る馬の首はこんな動きしないし、そもそも胴体とちゃんとつながってないみたいに見える。
ちなみに当時の馬とほぼ同じ体格だと思われる木曽馬に武者装束の騎手が乗ってギャロップをした場合はこうなる。

本題と関係ない、なおかつ時代劇では不可欠だが造形がむずかしい馬の作りを見れば、そのゲームがどれだけ心を込めて作ってあるかわかる。そう言えば『ツシマ』は馬も完璧だったっけ。

同じく『ゴースト・オブ・ツシマ』のギャロップシーンだが、こちらは馬勒も和鞍もそれっぽいし、鐙はちゃんと昔の日本の鐙の形をしている。乗馬姿勢も正しいし、馬もバランスが良く美しいし、『ツシマ』については「ギャロップで走りながら普通に会話できるのが変」(息が切れるのと風切り音で怒鳴らないと何も聞こえないから)なんていちゃもんを付けてたが、そんなのさっ引いてもこれまでの馬が出てくるゲームではいちばんすばらしいとしか思えない。(まだ買ってなくてプレイしてないので、プレイすればまた不満が出てくるだろうが)
あとこうやって見比べると一目でわかるが、『ツシマ』は色調や空気感が本当に美しいのに、ACSはぜんぜんでモロに手抜きっぽいね。上の張り子の馬と較べてみてくれー!

まだある(笑)。弥助が馬から下りるとき、ママチャリみたいに右足を前から回して降りている!

止まっている馬から落馬する弥助、にしか見えない下馬シーン。ていうかこれじゃ次の瞬間に確実に落馬する。特にこんな鎧を着ていては。

もちろん現実にはこんな下り方はできない。馬の頭を蹴っ飛ばすことになる(あんな兜かぶせてたらよけい引っかかる)し、前向きに飛び降りたりしたら確実につんのめって転ぶ。馬は左足で鐙の上に立って、お尻の上にぐるっと右足を回して、鞍の上に腹ばいになるようにして後ろ向きに降りるものだ。
実は前に黒澤映画で馬に右から乗り降りしているのを見て、変だと思って調べたら、昔の日本じゃそうだったことを発見したが、少なくともこの下り方はどの時代のどの国でもありえない。弥助は馬に乗るのが初めてだったと見える。
本当にこういうののデザイナーって馬を知らない人が描いてるんだなあ。お手本になる画像や動画なんか山のようにネットにあるのに。

《追記 馬のムーンウォークについて》

また新しく公表されたプレイ動画で、馬がムーンウォークしているとかドリフトしているとかいうのが槍玉に挙がっているが、あんなのは単にアニメーションがヘボいだけで問題にはならない。
そもそも高等馬術ではまるで馬が宙に浮いて足が地面に付いていないように見えるような技は実際にあるし。

もちろんだめなのは馬だけではない

それはともかく、この村の入口には赤い鳥居が鎮座していて、田植えの最中なのに桜が咲いていて鶴が舞っている(笑)。とにかく「日本の象徴」だと外人が感じるものをすべて突っ込んだだけみたい。でもこれぐらいなら『47 Ronin』のトンデモ美術よりまだぜんぜんましだし、怒るようなことじゃない。

私が「はあ?」と思ったのは、村の道を弥助が歩いて行くと、村人がみんな彼にペコペコお辞儀をするところ。お辞儀どころかあんなのが村にやってきたら、みんなすべて投げ出して悲鳴を上げて逃げ出すか、あるいは珍しいもの見たさで押しかけるに違いないのに、まるで日常風景みたいにしてるのが変。

そんな弥助が村の婆さんに重い年貢を課す悪い殿様をやっつけてくれと頼まれて引き受けるってのもありえなすぎる! あんな偉そうな侍に命令するって、何者なんだあの婆さん!
それとも『七人の侍』のつもりなのか? でも七人の侍が退治したのは野武士の群れであって城主じゃねーよ! なんか何も知らない西洋人のガキが考えたマンガみたいだな。

弥助の戦闘シーンもひどい。格好は侍だが、使う武器は棍棒(笑)。それもトゲトゲ付きの巨大な棍棒で出会う奴らの脳天を叩き潰していく。日本人はゾンビかよ。不必要な残酷描写もひどくて、これじゃ侍じゃなくてどう見ても鬼か悪魔だよ。こっちのほうがよっぽど黒人差別的表現だと思うが、いいのか?

日本人がそういうことを指摘すると、UBIの反応もひどかった。「これが史実なんだからお前らも学べ(意訳)」みたいなことを言って火に油を注いだ。UBIはこのゲームのために日本の専門家や日本人の協力も得て綿密な時代考証を行ったそうで、ところがその専門家とかがまるで関係ないフェミニスト活動家?(これはYouTubeで見ただけで裏が取れてないので嘘かも) とにかくろくに調べてもいないのはあのトレーラーだけでも間違いない。

しかもその御用学者だかなんだかが、「中世の日本は非常に残酷な社会で、斬首が日常だった」とか抜かしたものだから、「それはフランスだろ!」と外国人にも総突っ込みを受けていた。たぶん映画の切腹シーンの介錯人とかだけ見てしゃべってるな。

これに先行したサッカーパンチの『ゴースト・オブ・ツシマ』の時代考証や日本の描写が日本のどんなゲームより正確(かどうかまでは知らないが本物らしくて)で、日本人にも非常に大好評だったのも災いした。いやでもツシマと較べてしまうからね。(ちなみにサッカーパンチは変な名前だしアメリカに本社を構えているが、元々はイギリスの会社。また差を付けてしまったよ)

こちらが『ゴースト・オブ・ツシマ』

というか、キャベツさんも言ってたが、もちろんUBIがシャドウズを出そうと決めたのはツシマが大ヒットしたのを見たからで、それで「ああいうのを作れ」と命じられた担当者がほとんどやる気なく適当に作ったのが見え見えだね。
史実を基にしたアクションゲームってところはいっしょなのだが、あちらは「侍のありかた」みたいなのをストーリーのメインに据えて、主人公は日本人だけどりりしい侍だし、そりゃもちろん黒鬼が日本人をミンチにしてまわるゲームとはくらべものにならない。要するにUBIは金のために「誉れを捨てた」のね

ポリコレの話

UBIに向かった憎悪はポリコレへも。確かにポリコレの欧米ゲームに対する影響の話は聞いていて、ヒロインがブスにされたとかいう悲鳴が上がってるのは知ってたが、「整形した人形みたいな日本や中国のゲームの女キャラだってキモいじゃん」と思っている私はべつに気にしてなかった。それにゲームみたいに基本的にファンタジーの世界にはいろんな人種やキャラがいたほうが楽しいと思ってたし。でも「歴史の世界をリアルに再現」をうたうACは別だ

今回の騒動で初めて知ったこともある。なんでもSweet Baby Incというコンサルタント会社があって、そこがUBIを初め、大手のゲーム会社に食い込んでいるんだそうだ。

ちなみに何をする会社かというと、DEI(Diversity, Equity, and Inclusion 多様性、公平性、包括性)に関わるゲーム業界専門の会社で、製作段階からキャラクターだのセリフだのストーリーにまで口を出すらしい。ああ、映画業界にもポリコレ基準に合ってるかどうか監視するコンサルがいるとは聞いていたが、あれのゲーム版か。しかし、映画ならまだしもゲームなんか誰が気にする?と思っていたが甘かった。

「社会から疎外された人々の声がゲームに反映されるようにすることに重点を置く」とか言ってるが。存在しない黒人の声がなんでACSに反映されてんねん!

と怒るとつい関西弁になってしまうが(嘘。「キャベツの人」が関西人なので、彼の動画を見すぎたせい。ちなみにこういう風にすぐに訛りがうつるのは語学屋の職業病)、ポリコレでもDEIでもWoke(目覚めた人って意味で、ポリコレ支持者の意味)でも呼び名はコロコロ変わるのでなんでもいいが、そいつが最初にアメリカに現れたときから、私は不倶戴天の敵として戦ってきたので、こうなったらもうあとには引けない。

ポリコレによる言葉狩り

私が最初に触れたのは(フェミニズムに起因する)言葉狩りだった。これは私の専門なのでいやでも関わらざるを得ない。
つまり、policeman(おまわりさん)とかpostman(郵便配達員)とか、stewardess(スチュワーデス)とかwaitress(ウェイトレス)のような、「性別を特定する職業名」は使ってはならない。それは女性差別だからと言うのである。

もちろん、当時の意識ある知識人は全力で反論した。
そもそも英語のmanは男女を問わず人間すべてを指す意味もある。そう言うと、「男」という意味もあるmanが人類を代表するのは女性差別であると来るのだ。
stewardessには男性を指すsteward(こっちが語源)、waitressにはwaiter(こっちが語源)があるのだが、それもだめ。なぜならこれらの言葉は男性だけがその仕事をしていた時代の名残りで、女性の社会進出を認めていないから。いや、進出したから新語が生まれたんだろうが

よって、policemanはpolice officer、stewardessはflight attendantといった、舌を噛みそうな変な名前に変えろと主張する。これなら男女どちらにも使えるから。

つまりこいつらにとっては性別というもの自体がこの世にあってはならない悪なのね。しかしこの連中は歴史(history)という単語さえ、これはhis storyで男の物語だからなくせと主張するようなキチガイなのでまともに耳を貸してはならない。(もちろんhistoryの語源はそんなんじゃない)

それでもかつてのフェミニズム連中みたいにそれを身内でやっていて周辺の一部の人に迷惑をかけているぐらいならまだ言論の自由として許容するが、結果としてこれが世界の主流、しかも認めない者は許さない圧力団体になるとは誰も思っていなかった

考えてみてほしい。policemanもstewardもイギリスの長い歴史的文化的背景から生まれてきた言葉。それを一部のキチガイの気に障るからといって滅ぼす権利が誰にある? 言葉は立派な文化であり、ひとつの言葉を滅ぼすということは文化を滅ぼすことである
しかもそれを英語の産みの親であるイギリス人がやるならともかく、なんで外国人が他国の文化に口を出すのか。当然自国の文化に誇りを持つイギリス人は反発し、その後も普通にそういう言葉を使っていたのだが、アメリカの経済的文化的影響力はすさまじく、おまけに関係ない非英語国まで尻馬に乗った結果、事実上敗北した。

私がこのブログでキチガイとかブスとかバカとかデブとかいうタブー語を意図的に使うのも、こういう奴らに対するせめての抵抗である。ときどき抗議も受けるが、私みたいな力もない一個人にできるのは、そういう奴らに不快感を与えてやることぐらいだから。

そもそも差別語をなくしたからと言って、過去の恐ろしい所業が抹消できるはずがない。いくら不快でも負の記憶は負の記憶として残さなくちゃだめなのだ。
こんなどうでもいいゲームで黒人をヒーローに祭り上げたところで、白人が長年にわたって黒人にしてきた行為がチャラになるわけがないのに、それが可能だと信じてるぐらい狂った人々なので、絶対に耳を貸してはならない。明日血祭りに上がるのはあなたや私、日本人かもしれないんだから

だから「たかがゲームじゃん」という反論に対して、「今このゲームを許容したら、今後もずっと奴らに都合のいい『偽りの日本史』を押しつけられる」と危惧した人々の懸念はわかるし、抗議は大変けっこうなことだと思う。だから私も最初は(野次馬だけど)「がんばれー!」と思って見ていたのだが、しかし事態は変な方向へ向かっていく。

後篇につづく