貴方だけが、幸せでありますように。
貴方だけが、幸せでありますように。/アメリカ民謡研究会
・くれあ=エクレール前提
・大捏造のド捏造。くれ→るる で付き合っている設定です
・るるかの思考が相当ヤバいです。各自、自衛、ブラウザバックをお願いします
・マシュタンは留守番、もしくは離れた場所から見守っています。本編中には登場しませんので、悪しからず
森亜・最初は受け身だったのに失う頃にはくれあさんにどハマりしていた・るるかさん
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「好きです」
ひどく真摯な琥珀の瞳が、まっすぐに私を貫いた。
くれあに敬語を使われたのは、実に一年と百八十日ぶりだった。畢竟、初対面の日。
そのあと、一言二言を交わし合った私達は、いま、指を絡めて事務所へと続く道を歩いている。
蒼穹のまんなかに、陽が高く昇っている。日傘は閉じていた。ふたりが入れる大きさではないから。それに手を繋いでいると何だか比翼連理みたいな心地になって、私だけ傘を差すことが、今さら憚られた。
どちらともなく、視線が交わる。
長い睫毛が瞳に庇を作って、ただでさえ緊張した彼女の顔貌に、一層暗い影を落としていた。
「本当に、わたしでいいの?」
握った指は私より僅かに温度が低く、少し震えている。その手の甲を指先でなぞりながら、口を開く。
「また言わせたいの」
「うん」
「不安だから?」
「……うん」
彼女は呼吸をして、それだけをして、沈黙が満ちた。言葉を続けようか逡巡した間なのだと、手に取るように分かった。
「だって、おかしいでしょう。さっきも言ったけれど、わたし達は女同士だもの」
大罪人みたいに青褪めるくれあに、心底鼻白む。
「さっきも言ったけど、そんなのどうでもいい」
「そんな言い方、横暴よ。人生に関わることなのに。たとえば素敵な男性が、あなたのことを見初めたら……その方が幸せになれるって、そう思わない?」
「思ったとして、そのときは大人しく素敵な男とやらに、私を明け渡してくれるの?」
眉根がぎゅっと寄った。想像に耐えかねたみたいに、瞳が伏せられる。
足が重くなるくれあに合わせて、歩調を落とした。そうすると、遂には立ち止まってしまった。
ふ、と息を吐き出す音が聞こえた。繋いでいた手が離れて、宙に浮いた片手を、両手で包み直される。
もう彼女の手は震えていなかった。
「いいえ」
ある種の覚悟と言うべき、熱っぽい執着を帯びて、琥珀がじっと私を見詰める。
「るるかにこの先、どんなに良い人が現れて、どんな幸せでも得られるようになるのだとしても、ごめんね、あなたを諦められない」
好きなの。くれあは切実に言った。
「あなたがわたしを、そういう目で見てはくれないとしても」
その偏執が、眩しく見えた。
くれあと出会うまでは、マシュタンのほかに友達もいなかった私だ。恋愛なんて分からないし、あなたにそういう気持ちを抱いたこともない。告白を受けて、私はまずそれを言った。
それでも良いとくれあは返した。わたしで試してみてほしいと。だから付き合った。自分を安売りの消耗品みたいに言うくれあに、少しの苛立ちと、やっぱり眩しさを覚えながら。
歩道の隅で頬を染めて手を握る女と、それを受け入れている女は、もし他人の目に触れたらどう見られるのだろうか。
仲のいい友人? 愛が行き過ぎた同級生?
もう少し観察眼が鋭ければ、女同士で異様な視線を送り合う精神病質者か。
くれあの言は、これから私達を苛み続ける世間の総意だ。女が女を好きになるというのは、そういうことだ。
きっと、だからこそ。
だからこそ、彼女のこのどうしようもない、無謀で無報酬の恋は、輝いているのだ。
他人がどうでもいいから、他人からもどう思われてもいい。だからくれあと付き合うことに不利益はない。今はまだ、そう思っている。
でも、もし、もっと能動的にくれあを選べるようになれたら。くれあが大切になって、繋ぎ止めたいと願ってしまうようになれたら。
そのとき、私は彼女と同じ日向へ行ける気がする。
くれあの両手に、もうひとつの手を重ねた。
「くれあが良い。不安なら、ひとつ確かなことを教えてあげる。少なくとも、私が今まで出会ったなかで一番綺麗なひとは、あなただよ」
私の不出来な愛の言葉に、それでもくれあは息を呑み、泣きそうに睫毛を震わせた。
しばらくの後、名残惜しそうに手が離れる。彼女は何か言おうとしては失敗し続けて、その度それがありありと分かる顔をして、ようやく「ありがとう」と、まるで神様にでも言うみたいに微笑んだ。
そうして、私の手を取って歩き出す。
性急に繋いだせいで、指が蜘蛛の足みたいに不格好になっている。一本一本絡め直してあげると、触れた手首がひくんと跳ねた。
あぁ、と彼女は呻いて、天を見上げた。髪が肩に流れて、頬の赤さが鮮明だった。
空に手を伸ばしてくれあは叫んだ。
「いまなら、太陽だって捕まえられちゃいそう!」
睫毛の下に嵌った水晶を見上げながら、今さら何を言っているのだろうと思った。瞳の中に、ふたつも飼っているくせに。
「天体は捕れない。あまり見ていると、目を痛めるよ」
「捕れるわ。太陽は絶対に掴める。だってもう、お月さまに触れているもの」
「月?」
「あなたのこと」
私に視線を戻して、はにかんで笑う。
「初めて会ったときに思ったの。月が人間になったなら、きっとあなたみたいな姿をしているんだろうなって」
唐突に、首筋のあたりがもぞりとして、耳朶に熱が溜まるのが分かった。くれあの手から抜け出しかけた私の指を、繋ぎ直される。
彼女は無垢じみて幸せそうに言った。
「ねぇるるか、わたしはこれから、きっと無敵だよ」
あなたがいれば、怖いものなんてないんだから。
馬鹿なこと言わないで。喉奥につかえて、そう言えなかった。
八つ当たりみたいにくれあから顔を逸らした。空いている手で耳にかけていた髪を降ろして、頬を隠す。
見せてよ。くすくす笑って、くれあの手が伸びてくる。
***
落下した。反射的に、そう確信した。
咄嗟に足元を見下ろすと、ローファーはちゃんとアスファルトを踏みしめていた。
生身で落下したのと同じくらいの恐怖が、扁桃体に誤作動を起こさせたのだ。そうと気付くまでには二秒もかからなかったけど、その時間すら惜しかった。
視線を上げる。
店先で、常連の男がくれあに花を差し出していた。
一輪の薔薇。気障な男だ。呆然とそれを受け取ったくれあは、やっぱり呆然と去っていく男を見送って、奥から出てきた店長を振り返って、ようやく眉を下げて微笑む。
そのまま何か会話をして、店に入ろうとして、ふと、足を止めた。
男とは反対の道に立ち尽くした私に気付いて、くれあは大きく手を振る。
花に群がる虫みたいに、ふらふらと引き寄せられていた。弾ける笑顔が目に眩しい。まるで、そう、まるで。
告白を受けたあの日みたいに。
「いらっしゃいませ、いつも来てくださる方ですよね。えへへ、なんだかお見かけすると嬉しくて、つい手なんて振ってしまって」
何も言えずにいると、彼女は、帆羽くれあと似て非なるものは、きょとんとして首を傾げた。
「それ」
私は薔薇を視線で指した。指しながら、棘の取り払われた薔薇の茎を持つ、彼女の指先ばかりを見ていた。
頭上から、困ったみたいに笑う声が聞こえる。
「お客さんから頂いたんです」
顔を見るのが怖かった。もしも、満更でもなさそうだったら。くれあの顔で、声で、私以外を慕うような言葉を吐いたらと思うと。
華奢な手首を見つめながら、手のひらを差し出す。
「よければ引き取るわ。園芸初心者には、扱いの難しい花だし」
本当は奪い取ってしまいたい。でも、「常連客」はそんなことをしない。
だから黙って答えを待った。くれあなら、ちゃんと素直に誠実に、あの人からの贈り物を受け取ってほしくないと言えるのだろうなと思いながら。
んん、と彼女が唸った。考え込むときに息を吸う癖は、変わらないままだった。
そして言った。
「ありがとうございます。でも、せっかくの頂き物ですから。せめて枯れるまでの間くらいは、わたしがお世話しようと思います」
頭蓋が、鉛みたいに重かった。
ゆっくりと顔を上げる。
彼女は優しく笑っていた。笑って、薔薇の花弁を陽に透かすみたいに傾けた。
──大丈夫。
大丈夫。私が、もうすぐあなたを起こしてあげる。
脚色されたグリム童話みたいに、キスでもしてあげようか。そうしたらきっとあなたは頬を林檎みたいに染めて、ううん、どうかな。案外悪戯に笑って仕返しをされるかも。あなたは強かで、触れられるより触れる方が好きで、私を組み敷いては逆光の下で生唾を飲み込んでいたから。
今の、あなたは、間違っている。間違っているの。
だって、そうでなければ。
『綺麗だよ』
『かわいい、かわいいね』
『顔みせて、…ん、いい子ね』
『大好きよ、るるか』
そうでなければ、あの日の私達はどうなるの?
「今日はどうされますか?」
「いらない」
「えっ?」
「アイス、やっぱりいらない」
踵を返して、歩き出す。一歩一歩踏みしめていた足はどんどん早くなって、やがて駆け出した。
遠くから、呼び止める声が聞こえた気がした。
亡霊が、後ろ髪を引いている。そう思った。確かに彼女は悪霊なのだ。
だって。
彼女は「くれあ」を侮辱した。
そこまで考えて、自分に吐き気を覚えた。
どこかの木陰に辿り着いて、しゃがみ込んで膝に額をうずめた。口内に血の味が滲む。酸欠で頭痛が止まらない。
何が、くれあを繋ぎ止めたいと願えたら、彼女と同じ日向へ行ける気がする、だ。
恥ずかしい女。こんなに醜くなってしまって、もうどんな顔をしてくれあと再会すればいいのかも分からないくせに。
くれあは、どれだけ私を大切に思ってくれていても、そのうえで私を失ったとしても、敵に下ったりなんてしないだろう。もっと何か、清浄な方法を閃くのだろう。彼女の善性と直感に従って。
私とは、私とは違う。最初から全部違っていたのに、あなたが私のこと、まるで白が日向が似合う女みたいに飾ってくれたのに。
今日も明日も、私達はふたりでいれば永久に大丈夫だったはずなのに、少なくともくれあは無敵だったはずなのに、どうしてこんなに無様になっているの?
何を痴れたことを? エクレールが飛び出して行くのを止められずに、あの子のおまじないを全部ぶち壊したのはお前だろうに、お前だろうに、お前だろうに、お前だろうに!
「くれ、あ……くれあ……ッ」
木の幹にもたれかかって、気付けば私は泣いていた。
くれあを、キュアエクレールを失った日みたいに、みっともなく泣きじゃくっていた。
私の首に回るしなやかな腕の感触を、頬から喉元から立ち上るミルクみたいな香りを、鎖骨に落ちる唇の柔らかさを忘れることなんて、絶対に絶対に絶対に出来ない。
ごめんなさい。今こそがあなたの幸せだと、そう認められない私を罵って。
あなたが私との全部を、何もかも全部を無かったみたいにして、知らない男と普遍的に幸せになることが許せない私を軽蔑して。思い出のためだけにあの屑に与する私を見限って。
私を思い出して。失望でも嫌悪でも何でもいいから、もう一度私のことを見て。名前を呼んで。できたら、できたら。
また愛して。