第47話 表は福祉。裏は回収

 深山教授が、玄関に立っていた。


「やぁ。今日は例の生成建築物の状況確認に誘ってくれてありがとう。早速向かいたいのだが、いいかな?」


「ええ、そうですね」


 話を切り出すにしても、コアちゃんの中のほうが都合がいい。

 とりあえず俺は、教授をコアちゃんの中へ招き入れることにした。


 コアちゃんの中では、すでに鐘々と暦が待機していた。

 コアちゃんは、例の研究棟の壁をぺたぺたと触っている。

 自分の身体の内側に生えたものだから、何か気になるところでもあるのだろうか。


「どうだ、コアちゃん。変な感じはするか?」


「うむ。変ではあるが、痛くはないのう」


 とりあえず、問題はないらしい。

 俺がその感覚を想像しながら研究棟へ目を向けると――教授も、いつの間にか壁にへばりついていた。


 荒い息を吐きながら。

 もちろん、上半身には何も着ていない。


 いやいやいやいや、いつ脱いだんだよ。

 マジで、さっきまでちゃんと服を着ていただろ。


 時空でも歪んだのか?


「ふむ。とりあえず、建物の状態に変化はありませんな。どうやら数日程度なら、製作者がいなくとも問題なく維持されるようです」


「それは分かったんで、早く服を着てください」


「ですが、素肌のほうがダンジョンの空気をよりよく感じることが……」


「それは分かったんで、早く服を着てください」


「ですが」


「それは分かったんで、早く服を着てください」


 教授は、心底残念そうに服を着た。

 なんかちょっと涙を浮かべている。


 そんなに服を着たくないのだろうか。

 無理やり服を着せられているペットか何かか?


 その後、建物の中の点検を終えた俺たちは、研究棟の机を囲むことになった。

 教授は椅子に座り、点検結果をレポートにまとめている。


 当たり前だが、服は着ている。

 着ているのだが、油断はできない。

 点検中、教授は何度も服を脱ごうとした。

 気づくとネクタイがほどけていたり、シャツのボタンが外れていたり、袖をまくるついでにシャツそのものを脱ごうとしていたり、本当に厄介なのだ。


 なぜ、そんなにも脱ごうとするのだろうか。

 これから、俺たちはシリアスな話をしなければならない。


 祖父のこと。

 ダンジョン教のこと。

 そして、コアちゃんの過去かもしれない記録のこと。


 その相手が全裸では、さすがに話が頭に入ってこない。


 だから俺たちは、三人がかりで文明を守った。

 服とは、人類がシリアスを維持するために発明した偉大な防具なのかもしれない。


「教授。いくつか、聞きたいことがあります」


「ふむ、何かな? ダンジョンのことなら、何でも喜んで答えよう」


 暦が、持参した論文の束を机に置いた。


『迷宮核を中心とした閉鎖生態系の擬似生命性について』

『迷宮構造変化における人間欲求反応仮説』

『異形化現象と高魔力環境適応の相関に関する予備的考察』

『終息迷宮は死んだ迷宮なのか――低活動型迷宮の再評価』

『探索者集団における異形化発生率の偏りと迷宮曝露時間の関係』


 教授が、わずかに眉をひそめた。


「……これらを、すべて読まれたのですか?」


「プレプリントサーバーで見つけました……」


 急に変わった空気に戸惑いながら、暦が答えた。


「深山教授。あんたは、コアちゃんについてどこまで知っていたんだ?」


「ここまで読まれては、隠し通すのも難しそうですな……。いいでしょう」


 教授は俺たちへ向き直り、ネクタイに手をかけ――鐘々に止められた。

 シームレスに脱衣へ移行するのは、本当にやめてもらいたい。

 毎回、こいつの脱衣で地の文を増やされるのは困る。


「まず、網代君。君が最も聞きたいのは、こちらについてではありませんかな?」


 教授が手に取ったのは、『探索者集団における異形化発生率の偏りと迷宮曝露時間の関係』だった。


 足を組み、妙に決まったポーズを取る。

 そして、再びネクタイへ手を――だから、それはもうやめろと言っているだろ。


「もう脱がしてしまったほうが楽なんじゃないかのう?」


 コアちゃん、諦めないでほしい。


「まず、網代重蔵氏についてですが――私にとって、彼は先生でした」


「探索者としての先生、ということですか?」


「ええ。危険な魔物と遭遇した際の対処法、ダンジョン内での立ち回り、野営や撤退の判断。探索者として必要な基礎は、すべて彼から教わりました」


 教授は、今度は『迷宮核を中心とした閉鎖生態系の擬似生命性について』を手に取った。


「ダンジョンが一種の生命体ではないかという着想も、元を辿れば彼から教えられたものです。実際、そのように考えたほうが説明のつく現象は多かった。私がダンジョンへ抱いていた興味を、決定的なものにしたのも彼でした」


 この人が脱ぐようになったのも、祖父の影響なのだろうか。

 いや、そこまで爺さんのせいにするのは酷だ。


 たぶん天然だ。


「コアさんについてお話しした内容も、論文で立てた仮説の答え合わせを口にしていたにすぎません。最初からすべてを知っていたわけではないのです。黙っていたことは謝罪します」


 教授は、わずかに苦笑した。


「お恥ずかしいことに、これらの仮説は学界ではほとんど相手にされませんでしたのでね」


 プレプリントサーバーに論文があった時点で、その辺りは何となく察していた。


「探索者として最も難しいのは、魔物を倒すことではありません。生きて帰ることです。重蔵氏は、その判断において、私が知る中で最も優れた人物でした」


 その点は、よく理解できる。


 コアちゃんの中で死にかけた実績のある俺だ。

 生きて帰ることは、何よりも優先されるべきことだった。


「彼が変わったのは、エルフに転じてから……でしょうな」


「エルフに変わってから?」


「最初の頃、彼は自分の変化を面白がっていました。耳の感度、魔力の流れ、睡眠時間の変化まで記録していた。ですが、いつからか、彼は異形化を個人の変化ではなく、人類の次の段階として語るようになったのです」


 研究者というより、自分の身体まで探索対象にしていたのか。


「そうですな……何と言えばよいのか。私はダンジョンを知りたい。先生は、ダンジョンによって世界を変えようとしていた。似ているようで、そこには大きな隔たりがあったように思います」


 ずいぶんと仰々しい物言いだ。


 世界を変えようとしていた?


 爺さんは、いったい何をしようとしていたのだろう。


「それと、先生は昔から、ダンジョンは人間の欲望に反応して宝物を与えているのではないか、と推察されていました」


 教授は、『迷宮構造変化における人間欲求反応仮説』を指しながら話す。


「コアちゃんの機能について、気づいていた……?」


 教授の背後で、鐘々が小さく頷いた。

 あのノートの記述とも一致している、ということなのだろう。


 やはり、爺さんはコアちゃんの能力について知っていたのだろうか。

 コアちゃんは、祖父の欲望の味を覚えていた。

 だが、祖父と会話したことについては記憶していない。


 家に残されていた、ノートの切れ端。

 鐘々によれば、それは部屋に落ちていたという。

 なぜ、あれほど重要な記録が無造作に落ちていたのだろう。

 そもそも、爺さんにとってダンジョンとは何だったのか?


 疑問は解消するどころか、増えている気がする。


「私は、先生の話を半ば疑っていました。いえ、先生を疑っていたのではありません。信じたいと思いながら、それを証明する手段を持てずにいたのです」


 教授は、静かにコアちゃんへ目を向けた。


「コアさんを見たとき、ようやく二十年越しに答えを得たのです」


 とりあえず、教授がコアちゃんの正体へ異様な速さで近づけた理由は分かった。


「そういえば、迷宮の住居化計画について、事前に注意しておきたいことがあります」


「注意?」


「皆さんは、折枝村おりえだむらという場所をご存じでしょうか?」


 聞き覚えはなかった。


 俺だけではないらしい。鐘々も暦も、首を横に振っている。


「三十年ほど前まで、北陸に存在していた小さな自治体です。人口は二百人に届かず、住民の半数以上が六十五歳を超えていた。商店は一軒。診療所は週に二日のみ。路線バスも廃止寸前という、典型的な限界集落でした」


「存在していた、ということは……今はないんですか?」


 暦の問いに、教授は頷いた。


「現在は市町村合併によって、折枝地区という名前だけが残っています。ですが、合併以前から、かつての折枝村とはまったく別の共同体へ変わっていました」


 始まりは、一組の移住者だったという。


 都会から来た若い夫婦。

 空き家を買い取り、農業を始め、村の祭りや清掃活動にも積極的に参加した。

 人当たりもよく、高齢者の買い物を手伝い、雪かきにも加わった。


「その夫婦が、ある宗教団体の信者だったのですか?」


「ええ。ただし、その時点では誰も問題視しませんでした。信仰を持っているだけで、違法行為をしていたわけではありませんからな」


 翌年、さらに三世帯が移住した。


 その翌年には、十世帯。


 いずれも同じ宗教団体の関係者だったが、表向きは農業従事者、介護職員、医療関係者、地域振興の専門家だった。


「彼らは、村が必要としていたものを持ってきました」


 無料の送迎車。

 高齢者向けの配食サービス。

 簡易診療所。

 壊れかけた家屋の補修。

 閉店寸前だった商店への出資。


 子どものいる世帯も移住してきたため、廃校寸前だった学校も存続した。


「それだけ聞けば、村を救ったようにも思えますね……」


「実際、最初の数年間は救ったのでしょう」


 教授は、それを否定しなかった。


「問題は、彼らの支援が村の生活に欠かせないものになったあとです」


 送迎車を使わなければ、病院へ行けない。

 教団の商店がなければ、食料を買えない。

 教団系の介護職員がいなければ、高齢者は生活できない。

 村が必要とするサービスのほとんどを、宗教団体の関係者が担うようになった。


 そして、移住者は増え続けた。


「村長選挙に、教団の関係者が立候補しました。村を救った人物として、当然のように当選した。村議会も、数年後には過半数が関係者になりました」


「それって、違法なんですか?」


「いいえ」


 教授は即答した。


「住民票を移し、土地を買い、選挙へ立候補し、票を得た。形式上、何一つ違法ではありません」


 だからこそ、止められなかった。


 村の共同施設は、宗教団体の集会にも使われるようになった。

 祭りには教団の儀礼が混ざった。

 村の補助金は、教団関係者の運営する施設へ優先的に回された。


 宗教活動へ参加しない住民は、露骨に排除されたわけではない。


 ただ、送迎の予約が取りにくくなった。

 修繕の順番が後回しになった。

 商店での取り置きを断られた。

 地域の会合で、意見を聞かれなくなった。


「誰も『信者になれ』とは言わなかったそうです。ただ、信者にならずに生活することが、少しずつ難しくなっていった」


 それは支配だった。


 暴力も、脅迫も、武器も使わない。

 生活そのものを握ることで、住民に選択肢を残さない。


「最終的に、元から住んでいた住民の多くは村を離れました。残った者も、教団へ加入するか、共同体の意思決定に関わらないことを選んだ」


 村は残った。

 家も、畑も、道路も残った。


 けれど、その村を村として作っていた人間関係と意思決定の仕組みは、まるごと入れ替わった。


 果たして、それを元の折枝村と呼べるのだろうか。


 テセウスの船。

 そんな単語が脳裏をよぎった。

 もっとも、この場合は船を構成する部品だけではなく、乗組員までほとんど入れ替わっているのだが。


「これが、俗にいう折枝村事件です。事件とは呼ばれていますが、刑事事件ではありません。誰も逮捕されていない。裁判で明確な違法性を認められたわけでもない」


「だから、事件なのに止められなかった……」


「その通りです、浅葱氏」


 教授は、机の上で指を組んだ。


「そして網代君。君が作ろうとしているものは、小さな村よりも、さらに危うい」


「ダンジョンの中に、村を作るからですか?」


「それだけではありません」


 教授は、コアちゃんへ目を向けた。


「この場所には、土地を管理する行政も、住民票も、警察も、選挙もありません」


 入口を管理する者。

 物資を運ぶ者。

 居住者を選ぶ者。

 内部の規則を決める者。


 そのすべてが、事実上の統治者になる。


「仮に、特定の宗教組織が異形の居住支援を申し出たとしましょう」


 無料の食料支援。

 医療スタッフの派遣。

 生活相談。

 建築物の維持管理。

 外部との連絡役。

 居住者の紹介。


「最初は、善意に見えるでしょう。実際、本気で善意から活動する信者もいるはずです」


 だが、一人。

 また一人と、教団に関係する異形が入居する。

 入居者が増えれば、食料も医療も警備も必要になる。


 俺たちだけでは手が回らなくなる。


 そこで、さらに教団の支援を受け入れる。


「気づいたときには、この迷宮で暮らす者の大半が、彼らの関係者になっているでしょう」


 新しい入居者は、教団が選ぶ。

 内部の規則も、教団が作る。

 コアちゃんが生み出した物品の流通も、教団が管理する。

 入口には安全管理の名目で、教団の警備員が立つ。


「ですが、土地もダンジョンも、お兄さんのものですよね?」


「所有権があることと、自由に管理できることは同じではありません」


 教授は、静かに答えた。


「百人の生活を支えている組織に、明日から出ていけと言えますかな?」


 言えるわけがない。

 追い出せば、その百人の食事や医療や住居が失われる。

 教団は、それを盾にすることができる。


「先ほどは仮に、と申し上げましたが、コアさんに対して接触を図りそうな宗教団体には心当たりがあります」


 教授は、一度言葉を切った。


「その名は、迷宮奉献会。通称、ダンジョン教」


 ダンジョン教。

 教授が関係者ではないかと、俺たちが疑っていた宗教団体である。

 まさか、教授のほうから名前を出してくるとは思わなかった。


「彼らは、コアさんを傷つけたりはしないでしょう」


 教授の声が、一段低くなった。


「むしろ、丁重に扱う。祈り、飾り、守り、誰にも触れさせず、神として崇める」


 それの何が問題なのか。

 一瞬だけ、そう思いかけた。


「ただし、コアさん自身が何を望んでいるのかは、誰も聞かなくなる」


 コアちゃんは、神になる。

 神として大切にされる。

 その代わり、一人の意思を持つ存在ではなくなる。


 教団が語る『神の意思』が、コアちゃん本人の言葉よりも優先される。

 俺は、あのパンフレットに書かれていた言葉を思い出した。



「彼らは、このダンジョンを奪いません」


 教授は言った。


「君たちが、自分から管理を任せざるを得ない状況を作るのです」

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