心理療法士でありメタバースの研究者でもあるニナ・ジェーン・パテルは、ある日、メタバースに入ってたったの60秒で性的暴行を受けたという。
「男性アバターが集団で私を取り囲み、自撮りしながら私のアバターをまさぐり始めました。その場を離れようとしましたが、彼らは笑ったり叫んだりしながら追いかけてきました。執拗だったんです」
そうしてパテルは、すぐにヘッドセットを外した。 「逃げているとき、彼らはこう叫んできました。『嫌なふりをするな。こうされたくて来たんだろ』 」と。
メタバースとは何かを説明するというのは、1950年代にグーグルとは何かを説明するのに似ている。しばしば「体感型のオンライン世界」と表現されるメタバースは、いわばインターネットを3D世界として拡張したものだ。一連の仮想空間で構成されるこの世界では、VRヘッドセットやARメガネを装着することで現実と同じように移動したり、コミュニケーションをとったり、モノやコトを消費したりできる。
しかし、いまのところ相互運用可能な、いわば完成形のメタバースと言えるものは存在しない。とはいえ、私たちを没入型の「すばらしい新世界」へと近づけてくれる仮想環境は数多くある。2021年にメタ社(旧Facebook)が発表した「Horizon Worlds」と「Horizon Venues」もそうした空間のひとつで、パテルは後者で性的暴行を受けたという。
Facebookのアカウントと299ポンド(日本での定価は3万7180円)のヘッドセットがあれば、メタ傘下のOculusが開発した「Horizon」アプリで膨大な種類の仮想アクティビティを楽しめる。そこには、ライブから脱出ゲーム、さらには"銀河鉄道" (その意味はともかく)まで揃っているのだ。腰から上だけのアバター(足はまだない)を作成したら、ユーザーはメタバース空間をリアルタイムで移動し、ヘッドセットを装着したほかの人たちと交流できる。いまバーチャル映画館に座るあなたの隣で感動の涙を流している人は、現実の世界では地球の反対側にあるリビングルームのソファに座っているかもしれない。
仮想空間における性暴力は、現実のそれと違わない
こうした技術の潜在的なメリットは計り知れないだろう。しかし、次第に明らかになりつつあるように、その危険性も同様に予想がつかないのだ。2021年12月にCenter for Countering Digital Hate(デジタルヘイト対策センター。略してCCDH)が実施した調査によると、バーチャルリアリティに関するメタ社の規約に違反する可能性のある行為は、11時間30分の間に100件見つかったという。この報告書では、セクシュアルハラスメントや暴力的な行為に加え、人種差別やいじめ、暴力を示唆する脅迫、「9・11のテロ攻撃を嘲笑するコンテンツ」といった行為が取り上げられていた。CCDHの調査責任者であるカラム・フッドは話す。
「メタバースでは過激な性的コンテンツが氾濫しており、それが性暴力としても表れていることは調査の初期から明らかでした。多くのユーザーがほかのユーザーに対してバーチャルなセクシュアルハラスメントをしている様子を何度も目撃しましたし、ユーザーがレイプの脅迫を受けている証拠も記録しています」
没入型メディアの専門家であるキャサリン・アレンも、そうした被害を受けたひとりだ。彼女はHorizon Venuesのロビーでどのイベントに行こうか迷っていたところ、別の女性アバターに声をかけられたという。Horizonアプリはどちらも13歳以上という年齢制限が設けられているが、アレンによると、その女性アバターは「7歳だと言っていた」という(アバターはすべて大人の外見をしている)。話し始めて数分後、ふたりは男性アバターのグループに声をかけられた。アレンはこう振り返る。
「彼らは私たちを取り囲んで、集団レイプができるといった冗談を言い始めたのです」
アレンがその場に子どもがいることを告げると、彼らは「ふざけていただけだ」と言い張った。
シャネル・シギンスも同じようにHorizon Venuesのロビーで被害を受けた。シギンスの加害者も自由放任主義で、シギンスに近づくと彼女のアバターを触ったり射精するマネをしてきたという。シギンスは当時の体験について、『ニューヨーク・タイムズ』にこう語っている。
「彼は肩をすくめました。まるで『何も言うことはない。ここはメタバースだから、自分がしたいことをするんだ』と言うかのように」
メタバースでの性被害を訴えているのは女性だけではない。ジャーナリストのヒューゴ・リフキンドは2021年12月の『タイムズ』に、Horizon Worlds を2度目に訪れた際に痴漢に遭ったことについて書いている。いわく、彼は友人のジェレミーと一緒にビリー・アイリッシュのバーチャルライブに向かう途中、「かなり不気味な外見をした禿げ頭の男がこちらに駆け寄ってきて、前かがみになり、彼のアニメーション化された手を自分たちのアニメーション化された股間に押し付け始めた」というのだ。
こうしたケースは、明らかに憂慮すべきものだ。しかし、メタバースの研究者たちが最も頭を悩ませているのは、それがどうほかの人々に受け止められたか、という点かもしれない。
パテルが自分の経験について初めてFacebookのグループに書き込んだ際には、非難の嵐にあったという。そこには「女性アバターを選ぶな」「おかしなことを言うな。現実じゃないんだから」といった反論が並んでいたそうだ。
メタバースでの性暴力被害を訴える声がソーシャルメディア上に上がると、往々にして、笑いの絵文字やジョークといった反応が返ってくる。こうした事件はバーチャル空間で起きたことであり、仮に何か影響があったとしても大したものではない、という見方が一般的なようだ。つまり、「冷静になれよ」と。しかし、この話は当然のことながら、そんなに簡単なものではない。パテルは言う。
「この出来事を完全にのみ込むまでに、数日はかかりました。オンラインで受けたほかのハラスメントと同じように、『インターネットにいる変人たち』として片づけてしまいたいと思う自分もいたんです。でも、これはほかとは違う経験でした」
メタバースの成功の根本には「本物らしさ」がある。肝心なのは、できる限り現実に近く、完全に機能するバーチャル環境をつくることだと研究者らは言う。CCDHのフッドはこう話す。
「メタ社はユーザー同士の交流にほとんど制限を設けず、Horizonアプリを意図的に設計しました。そうすることで、まるで街で誰かに近づくときのようにユーザー同士がやりとりをできるようになると考えたのです」
心理学的視点から見ると、その影響はしっかり表れていると言える。特に性暴力に関してはそれが顕著だ。コンサルティング心理士のヘザー・セキエラはこう話す。
「VRの目的は突き詰めて考えると、人間の神経系を“騙し”、現実とは異なる3D空間の中で知覚的・身体的反応を経験させることにあります。それゆえ、“バーチャルな性的暴行”においては人の身体が直接傷つけられることはなくても、そのときの心理的、神経的、感情的な経験は、現実での暴行に酷似している可能性があります。神経系がその違いを認識できないからです」
性的暴行が起きたとき、司法の場と世論の双方で、加害者ではなく被害者を責める現在の風潮を踏まえてセキエラの指摘を考えると、大きな、そして恐ろしい問題が浮かび上がってくる。このままでは、女性に対する暴力をめぐる既存の問題が深刻化したり、社会や法律家の問題の受け止め方に悪影響を与えたりする可能性が高いのだ。慈善団体Rape Crisisの最高経営責任者(CEO)を務めるジェイン・バトラーはこう話す。
「同意がない性的行為は、いかなるものも性暴力です。それはオンラインであろうとオフラインであろうと変わりません。オンラインでの性的暴行は矮小化されたり、オフラインでの暴行よりも被害が小さいと考えられがちですが、性的暴行に尺度など存在しません。どんなものも同様に、被害者にトラウマを与えうるのです。オンラインでの性的暴行は、現実世界のものと同じように被害者の安全意識に影響を与え、その人を苦しめ、恐怖に陥れるのです」
メタバース研究コミュニティの外から聞かれる最大の問いのひとつは、そもそもどうやってこの空間で性犯罪をするのか、という疑問だ。そしてそれこそが、CCDHのフッドが先述したとおり「ユーザー同士の交流がほぼ制限されていない」というメタバースの設計の「弊害」と言えるかもしれない。制限が最小限に抑えられているということは、現実世界に最大限類似するということでもあるからだ。バトラーはこう指摘する。
「オンライン世界は社会の縮図です。それゆえ、女性や少女たちが日ごろから経験しているミソジニー(女性嫌悪)やハラスメントも、メタバースに反映されうるのです」
メタバースが発展するにつれ、私たちが実生活で経験する犯罪や搾取のすべてがメタバースでも起こるようになるだろうと、パテルは考えている。
メタバースで起きたことの責任は誰がとるべきか
「いまのインターネットと同じように、ダークなメタバースやニッチなメタバース、そしてさまざまなデジタル空間が生まれ、人々が参加するようになるでしょう。没入型空間の設計の見直しは急務です。私自身の経験は、氷山の一角に過ぎません」
では、現在どのような対策がとられているのだろう? パテルのようなケースの報告が上がっていることを受け、メタ社はさまざまな対策を打ち出した。例えば、アバターがほかのアバターに近づくと手が消える機能や、「自分のパーソナルスペースに他人が侵入しないよう」に自動でリング状のバリアを張ってくれるパーソナル・バウンダリー機能の導入などが挙げられる。また、Facebook やInstagramといったメタ傘下のほかのソーシャルプラットフォームと同様、ユーザーはミュートや違反報告、ブロックといった手段をとることも可能だ。
しかし、こうした対策がどれほどの違いをもたらすのかは定かでない。パーソナル・バウンダリー機能によって望まない接触やキスは防げるかもしれないが、言葉の暴力は必ずしも防げない。性的な発言をしてくる他者をブロックできたとしても、そうした発言によって受ける傷を事前に回避できるわけではない。アレンは言う。
「私が被害を受けた当時からパーソナル・バウンダリー機能があったとしても、あの特定の状況において、何か違いをもたらしたとは思えません。問題は触られることではなく、私たちが威嚇されたこと、そして彼らが集団レイプについて話していたという事実そのものにあるのですから」
加えて、これらメタ社の安全機能は、Horizonのようなファーストパーティーのソーシャルアプリにのみ適用されることを知っておく必要がある。こうしたアプリは「Horizon内のサードパーティーアプリに比べてはるかに人気がない」と、CCDHのフッドは言う。
「ユーザーが互いに接近しすぎることを効果的に防ぐ機能は、ユーザー同士の密接な接触を伴うVR体験においては、ほんの一部の性暴力やハラスメントしか防げないことを、私たちの調査は示唆しています」
それでも、メタ社の新しい機能は「正しい方向への第一歩」であり、メタバースに投資するほかの企業が同じような対策をとるきっかけになりうるという点で、パテルは評価している。
「この業界に関わるすべての人々が、未来のメタバースの門番としての倫理的な責任を受け入れる必要があるのです」
実際、好むと好まざるとにかかわらずメタバースは日々拡大しており、近い将来、私たちのオンライン生活を定義するようになる可能性が高い。フッドは言う。
「実質的にすべての大手テック企業がVR技術に投資しています。これは、こうした企業がVRこそインターネットとソーシャルメディアの未来だと考えている証しと言えるでしょう」
技術もまた急速に発展している。近々CCDHが発表する予定の報告書のなかで、アレンはメタバース上でも触覚を感じられるようになるハプティクス(触覚)スーツを利用するVRユーザーが増えるだろうと予測している。その先駆けとなる技術はすでに開発中だ。
パテルは、自らのネガティブな経験を差し引いても、メタバースはやはり「エキサイティング」で「可能性に満ちている」と話す。
「匿名性よりも、安全性や説明責任を優先するメタバースを求めるという選択肢はまだ残されています。害よりも利益をもたらすメタバースをつくるための情報や原則を、私たちは手にしているのです。いまこの瞬間がチャンスです。未来の世代の人々の安全とメンタルヘルスは、ここにかかっています」
この記事の主張に対しメタ社は、VR Integrity部門のプロダクトマネージャー、ビル・スティルウェルによる以下の声明を発表した。
「われわれは当社の製品を利用するすべての人によい体験をしてほしいと思っています。記事にあるようなことが起きたとき、ユーザーが必要なサポートをすぐに得られると同時に、われわれが調査し対策がとれるよう対応したいと考えています。Horizon Venuesをはじめとする当社のアプリには、ミュートやブロック、他人の違反行為を報告するといった機能が備わっているほか、最近は望まないやりとりを避けるための『パーソナル・バウンダリー』機能も導入しました。ユーザーがほかのプラットフォームや携帯電話、コンソールなどから利用する可能性があるクロスプラットフォーム・アプリに関しては、『Quest』のプレイヤーが他ユーザーを通報したりブロックしたりする機能があります。われわれは今後もこうした空間での人々のやりとりについて理解を深めながら、改善を重ねていきたいと考えています」
Text: Olivia Petter Illustrations: Anna Parini Translation: Asuka Kawanabe Editor: Mina Oba
From: VOGUE.UK
