「管理職失格です」校長のジレンマ
ただしこの成果を「学校が頑張った成果」という美談として回収してはならない。学力が向上したのは、ある種の偶然も重なっているからである。
この学校では一時期、少子化にともなう学級減少のあおりを受け、1クラスに多くの人数が集まる「1学年1クラス」の過密状態が続いていた。それが近年、市街地の宅地開発による人口の(部分的な)回復と学校統合によって学級数が増え、1クラスあたりの子どもの数が減った。学力が上向き始めた時期はこれとぴったり重なる。
つまり、少人数の学級というめぐり合わせの偶然が、相対的に教員の負担を減らし、子どもたちへの支援を届くものにしたのである。
もうひとつ考えてみたいのが、与えられたリソースの使い方だ。加配教員には、担任の授業を分担して、教員の授業時間を減らすという別の使い道もありうる。いま盛んに言われる働き方改革の考え方でいえば、教員の負担を減らすためのそのような使い方も十分理に適っている。
しかしこの学校は、教員の負担削減という方向を選ばなかった。校長曰く、「子どもたちのより意欲的な学びにつなげるために、その方向をチョイスしていません。だから、職員室に人がいなくなるっていうこともあります」。
加配教員のみならず、授業が空いている教員がみな教室に入り、子どもを支援しているのだ。
では、先生たちは授業の準備や保護者対応をいつしているのだろうか。筆者が尋ねると、校長はこう答えた。
「なのでうちは夜遅いです。管理職失格です。……でも、それで(その教員の頑張りで)支えられている、うちは」
この言葉を、校長の労務管理の問題として捉えるべきではないだろう。私たちは「子どものために、学校はもっと頑張ってほしい」と願う。その願いに応えようとする学校では、教員の長時間労働を是正する責任と、目の前の子どもを支える責任とが、正面から衝突する。
「管理職失格」という言葉は、その板挟みを校長が引き受けていること、そして社会の側が、学校現場の教員たちにその負担を押し付けていることの現れにほかならない。
隣のみなづき中学校でも、同じような話が出てきた。むくげ市には昭和の頃から「丁寧な教育」という言葉が受け継がれ、「教育は、『今日行く』から、教育なのだ」——気になることがあればその日のうちに子どもに声をかけ、場合によっては家庭も訪ねる——が合言葉になっている。
授業についていけない子への放課後のマンツーマン補習も、校長からのトップダウンの指示ではなく教員の「(子どもたちのために)何かしてやりたい」という「善意」で続いている。
しかし、「産育休を取っても代替がいない」というマンパワー不足のなか、校長は「きめ細やかに、それこそ丁寧な教育をしたいとは思うんですが、先生方一人ひとりには本当に負担がかかって、ますます負担感は増えている」という。
他方で、「教員の仕事を減らさないと駄目みたいなことを言いますけど、それをしてほんとに日本が良くなるのか。(きめ細やかな生徒指導や保護者対応は回避して)授業だけして、子どもたちが今みたいに健全に育っていくかいうと……不安はあります」と、教員の負担削減が子どもへのしわ寄せにつながってしまうのではないかという葛藤も聞かれた。