AIの書いた文章はとにかくダサいからやめた方がいい
私はAIの文章が巧いとは少しも思わない。
楽して小銭を稼ぎたいと虚無なる営みに身を投じる人々のことは好きにさせておけばいいのだが、本当に何かを伝えたくて文芸作品を公開している人々が何を思ってAIに構成・編集・校正を依頼しているのか理解ができない。
そうは言っても、プログラミングや勉強、メンタル管理などにおいては、私もChatGPTを日常的に活用しているかなりのヘビーユーザーである。だが、だからこそアレの生成する文章が、実務的に有用な情報伝達の範疇を超えて、なんか独自のエンタメ要素を乗っけてきた時に、「コイツ本当にクソ滑ってんな」といつもイラついている。だから表現において活用したことは一切ないし、する気も起こらない。
そもそもAIの書いた文芸作品はまったくクオリティが低いものである。平均的な答えを出すテキスト生成AIというものの性質上、出来上がる文章の偏差値は50台そこそこなのである。文法や構造には破綻がないであろうが、学校で書きたくもないのに書かされる作文でもあるまいし、好きで書いているのに偏差値50台の文芸を目指して何の意味があるだろうか?滑り止め以下である。本物の文芸作品というものを読んだことがないのだろうか?
これは私独自の見解であるが、文芸(に限らず表現物)というものには大きく分けて「何を伝えたいか」の中身となるコアテーマというものと、それを「どう表現するか」の外装である表現技法という二つの要素がある。いいものを作りたいならば、この二つが調和し相互にエンハンスし合うようなデザイン選択をそれぞれ行わなければならない。
つまり、AIにコアテーマだけ打ち込んで構成や文章構築を丸投げした作品は、作品制作の半分を特徴がなく均質化された偏差値50台クオリティに追従させていることになる。それはあまりにも文字や文章という表現技法そのものを軽視しすぎている。
noteで出来る表現の範囲内であっても、語彙や構成はもちろんのこと、もっと表面的な部分にも気を配るべきだ。例えば改行や句読点の頻度、かな・カナ・漢字の選択、絵文字や記号の選択、「」や“”の選択など、ひとつひとつ全ての選択が作品そのものの総体に影響する。これらの表面的な部分すべてに細やかに気を配ってこそ本物の文章といえるのだ。
たとえ詳細なプロンプトを提示したとしてもこれらの要素の全部であれ一部であれAIに任せることになる。全部自分で決めるならばそれすなわち全部自分で書くということだ。
さらに言えば人の文章というのはそれらの細かい選択や、文法の破綻、語彙や構造・構成の稚拙さ、表現の偏り、一定でないリズムにこそ筆者の人物像が浮かび上がってくるものだ。コアテーマだけに人間性が宿るわけでは決してない。
年齢、性別、生きてきた文化圏、精神構造、セルフイメージ、アイデンティティ、それらの生物個体としての膨大な情報が文章の細部にまで宿る。
であるからこそ、どんなに文法的に不正であっても人の無限の意図がこもった文章を読むのは楽しいし面白いものだ。本来こういう無料文筆プラットフォームで人々が楽しんでいたのは、そういうものではなかったのか。
だが最も忌むべき点は、たんなる没個性の文芸作品が量産されていくことにあるわけではない。それ以上にとにかく最悪なのは、そのAI生成された文体、リズム、語彙、すべてがダサいことである。もう、どうしようもなくダサくておもんない。普通にこれはAIだからどうのこうのという構造上の話ではなく、AIの能力が低い。AIのくせに、文章に独特のクセがあるし、それが眩暈がするほど痛々しい。誰もこれに気づいていないのだろうか?
例えばChatGPTで言うと、
それは、ただの一目惚れじゃなくて、“事件”だった。
みたいな。
私は今一切AIを使わずに空でこのChatGPT的特徴のあるダサい一文を書いてみたのだが、ものすごくそれっぽくてダサくないだろうか?ChatGPTを日常的に使用している人はあまりに多用されるこの語彙や文章構造にうんざりしているであろう。
さらに実際に私のこの記事の冒頭をChatGPTに再構成させた文章が以下だ。
私は、AIの文章が巧いとは少しも思わない。
文章をAIに任せる人には、大きく2種類いると思う。
1つ目は、楽して小銭を稼ぎたい人。そういう虚無的な営みに身を投じるなら、好きにすればいい。
でも2つ目――本当に何かを伝えたくて文章を公開している人が、構成や修正をAIに依頼するのは理解できない。
自分の言葉で伝えたいはずなのに、なぜ他者(AI)の手を借りるのか、目的が見えない。
ほら。どうしようもなくつまんなくなった。
構成で言えば、「大きく2種類いると思う。」とか会社のプレゼンかよ。一息で吐き出すようなリズムの意図をまったく理解していない。
「そういう虚無的な営み」とか間延びしててダサいし、
「他者(AI)」とか黙れよ。
「――」とかもやたら使ってくるところが文芸家気取りの中学生みたいでダサい。私なら使いどころはかなり慎重になる文芸的クリシェ(なぜなら、多用するとダサいから)を易々と使ってくる。
もう勘弁してほしい。とにかく下手でも崩壊していてもいいから自分の身から出た言葉をそのまま綴ってみろよ。特に、コアテーマがかなり面白そうなのに表現のほとんどがAI的なものは読んでいて残念で仕方がない。この人の生の文章はどんな語彙でどんなリズムになったのだろう、と。
私はかっこいい文章が読みたい。平均値の中からそれは絶対に生まれない。平均というのは、ダサいのだ。減点を恐れて加点に挑戦しない、出る杭になろうともしない、平均点を取ることに安寧を感じている人々の姿勢、生き方そのものが、ダサいのだ。



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