負け続ける伝統球団が、切羽詰まってすがったのが、その年までヤクルト監督を務めていた「野村サマ」だった。そこまで追い詰められているんだな…。虎番記者誰もが居住まいを正す「サマ」発言だった。
村山実、中村勝広、藤田平、吉田…。選手として、指導者として、実績のあるOBにその都度、「切り札」と称して監督を託し、失敗を繰り返した。平成に入っての順位は5、6、6、2、4、4、6、6、5、6。1992年の2位も、貯金は4しかなく、大混戦のどさくさに近い2位タイだった。暗黒のトンネルは出口がないのか。八方ふさがりを打破するには、発想の転換しかない-。時のオーナー久万俊二郎は決断する。英断といってもいい。当時タブー視されていた「外部招へい」-。しかも、つい先日までライバル球団の監督だった人を。
(2)名将の到来に虎党は狂喜乱舞
ここで、当時の阪神が世間からどう見られていたか、象徴的な記者会見があるので紹介したい。今も時の主役が登場して話題を集める「外国人記者クラブ」。1998年4月1日に催されたのは「阪神優勝記念記者会見」だった。これ、エープリルフールのジョークを交えた会見。吉田監督はよくぞ出席したと思う。