(4)「-考え」浸透せず3年連続最下位
結果的には戦力が整わず、成績急降下の1年目は最下位。翌年も、翌々年も最下位。巨人にも負け越し続けた。監督3年で最下位3度。これは、失礼ながら阪神史上最も成績の悪い監督と言われても仕方がない。
「ノムラの考え」と題した野球の教科書を選手に配布し、「頭を使え」と言い続けた。これを理解できない選手も多くいた。ギスギスした雰囲気が醸し出されていたことも否定できない。やがて、夫人のプライベートの問題なども重なり、逆風が吹きまくって辞任。時は流れ2001年12月になっていた。
後に教え子の1人、桧山進次郎がしみじみつぶやく。「あの頃、野村監督がおっしゃっていたことが、ようやく理解できました」と。2003年、優勝した直後のことだった。「野村サマ」がタネを蒔いたのは間違いない。
ちなみに、冒頭の野村と記者との会話には続きがある。
「阪神の監督にとって2番目に大事なことはわかるか」
ニヤリと笑った野村が続けた。
「他球団に勝つことや。そしたら優勝や」
令和の新時代を前に、矢野阪神は巨人には負けたが、他の2球団には勝ち越している-。
そして、平成の虎は、あの人を監督として迎えることに。