「永」という字は、書道をやっている方なら一度は耳にしたことがあると思います。「永字八法」といって、書の基本となる筆遣いがほとんど詰まっている特別な一文字なのだそうです。 私のような素人からすると、「永は永でしょ?」くらいにしか思えないのですが(笑)、経験者が見ると、点の位置や止め、はね、払い、筆圧、重心、勢いなど、いろいろなことが一目で分かるそうです。 面白いのは、同じ「永」という字を見ていても、人によって目が行く場所が違うことです。「全体のバランスがいいですね」と言う人もいれば、「ここの点が惜しいですね」と言う人もいる。もちろん、どちらが正しいという話ではありません。その人が何を大切にしているか、どんな経験を積んできたかによって、「見えるもの」が変わってくるのでしょう。 そう考えると、人間は案外、「目で見ている」のではなく、「経験や立場を通して見ている」のかもしれません。同じ景色を見ても、同じ出来事を見ても、みんな少しずつ違う世界を見ている。そんなことを考えていたら、ふと、ある有名な逸話を思い出しました(笑)。 ところで、カラスも人間にはオスメスの区別がつきません。 でも、紫外線が見えるカラスのオスにはわかるんです。 カラスのオスにとって、メスは黒いだけじゃないそうです(笑) カラスでない私にそれは見えませんが、見えなくても困らない! でも、カラスのオスでこれが見えなかったら? 大事になると思います(笑) 細部がよく見えてなくても、色がしっかり識別できなくても、 「見えるべき」が見えてればいいんだと思います。 習字で「永」という時を誰かが書いた場合、 「字に勢いがありますね!」と見るか、「点の打ち方がおかしい」と 見るか? どうやら、そんな見方がの違いが一番問題になりそうです(笑) マリー・アントワネットが言ったと伝えられる 「パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃない!」 これがいけないと思うんです(笑) そこで質問ですが、この「パンがなければ、ケーキを食べればいいじゃない!」という逸話は、「人は世界をそのまま見ているのではなく、自分の立場や経験を通して世界を見ている」という、人間の認識の特徴をよく表した例だと言えるのでしょうか?相手に見えている世界は、自分が見ている世界とは案外違うものなのでしょうか? ๗/๑๙