面白い分析だ。高市首相に対する異常に高い支持率を重ね合わせると、これは、カルト的マインドコントロールが用いる認知のすり替えが見事に功を奏していると言える。
努力と献身(プロセス)の絶対化による成果(結果)の免責
カルトやブラック組織の典型的な特徴は、結果を出せなくても「これほど身を粉にして教義(組織)に尽くしているのだから尊い」というロジックで責任を回避することだ。
首相が「睡眠時間を削り、家事もやりながら国事に奔走している」とアピールすることは、支持者に対して「これだけ頑張っている人を批判するのは道徳的に悪だ」という心理的ブレーキ=罪悪感を植え付ける。これは政策判断のミスや失敗を検証できなくする思考停止の装置として機能している。
滅私奉公と自己犠牲の聖化
自律的な個人を否定するカルト思考では、個人の権利や合理性よりも集団や国家のためにどれだけ自分を犠牲にしたかが美徳とされる。
「アイロンがけ」「まつり縫い」「睡眠不足」という身近な過労の描写は、日本人に深く刷り込まれた「痛みに耐えて働く姿こそが美しい」という集団的ドグマ(自傷的な美徳観)にダイレクトに訴えかける。国民はそこに国家に殉じる聖者の面影を見出し、感情的な信奉(カルト的帰依)を強める。
エリート批判をかわす疑似的な親近感(共同体意識)
ニヒリズムを抱える庶民は、雲の上のエリートやグローバル資本に怒りと不信感を抱いている。
最高権力者が「私も皆さんと同じように家事に追われる普通の人」と演じることで、権力者に対する本来の警戒心が解かれ、「私たちは同じ苦労を分かち合う身内(疑似共同体)だ」という錯覚が生まれる。批判者を「冷酷な外敵」、首相を「健気に耐える仲間」と位置付けることで、カルト特有の内と外を分かつ二元論が完成する。
恐ろしいことに、このJVLの分析は日本政治における病理の到達点を示している。
構造改革や対米追従、経済の停滞によって客観的な成果(国民の豊かさ)を提示できない。
↓
成果を出せない以上、政治家は「どれだけ自分が傷つき、努力しているか」という情念にすがるしかない。
↓
自身もニヒリズムと過剰な同調圧力に苛まれる国民は、その健気な自己犠牲に共感し、客観性を捨てて情緒的に信奉する(カルト化する)。
結果を出しているかという合理的知性を捨て、どれだけ頑張って痛みに耐えているかという物語に身を委ねるとき、国民もまた強い力と物語に身を委ねて安らぎを得るカルト的心理に飲み込まれている。
JVLの論考が突いているのは、単なるコミュニケーション戦略の是非にとどまらず、政治家と国民が手を取り合って『現実』から逃避し、感情的な物語の中に閉じこもっていく日本の惨状そのものだと言える。
【なぜ高市首相は「アイロンがけ」を語るのか】JVL | 7.21
不思議な発信です。
国家予算、外交、安全保障を担う最高意思決定者が、自らのSNSで、睡眠不足や家事の苦労、インナーのアイロンがけやスカートのまつり縫いについて細かく語る。