「楽しい」だけでは渡れないのが創作という橋
自分がRPGツクールを手にしてから始まったゲ制活動。よくもまあ、今こうなるまで続いてきたと思うわけだが、自分のこの活動は栄光やら成長やらとはまるで無縁の道であったというべきだろう。
傍から見れば「下手の横好き」という言葉が適合するのかもしれないし、実際そうなのだろう。だが、そういった者が対義語である「好きこそものの上手なれ」を地で行っていた人より長く続いていたとすれば、それはそれで痛快なことだとは思うのである。
創作関係の説教でよく聞かれるのが「楽しんでやれよ」とか「楽しくもないのにやるな」とかあるし、近年SNSの創作アカで「やっぱ楽しいのが一番だよね」などとマウント取った発言してるのをいくつも見た。
あくびが出るくらい正しい意見だし、これに反論する余地は無いのだが、果たして「楽しい」ですべてが片付くのかと言えば、自分のこれまでの道のりから今に至るまでを照らし合わせて、YESとは言いたくないなと思う。
自分に関しては創作における多くの期間は無力や劣等感に駆られながらで、辛いやキツいの方が多かったし、楽しいと思えた期間は僅かしかない。たとえ、楽しさを手に入れたとしても、また新たな壁やら、予期していない問題やらに遭遇し、それは離れていってしまう。
そんなことの繰り返しだったから、「楽しい創作」なんて幻想なんだっていうのが現時点での自分の結論なんだって思うんだなと。楽しいだけでモノやっていると、その楽しさを失った時点で簡単に折れるんだわ。
そう振り返ってみて、この趣味で生き残れるためには逆に、楽しくないことや辛いことをある程度許容できることが必要だと思うわけです。楽しくないことってのは先述の通り。思うものが作れないことの無力、他の創作者への劣情や嫉妬やら、さらには創作と関係ない、界隈の事情変化やゴタゴタやらに対する耐性というものも要求されてくる。
唯我独尊なんて言葉があれど、これを貫いてモノ作っていけるのは、なかなか厳しい道である。ことにネット社会からSNS社会に続く今では。
それでもなお、最後まで我を貫けた人が生き残れる。そんな世界にいるんじゃないかなと思う。
かなり昔に、SNS上で100%というわけではないがこんなことを言って、鼻で笑われたことがあった。その人もいわゆるエンジョイを理屈に、「だからこいつは二流なんだ」みたいなことを言っていた。まあ二流は認めるし、その場ではその人が正しかったんだろうけど、結果としてどうなったかと言えば、今これ書いている自分が答えと言うべきだろう。
自分はこうして残り、その人はとうの昔に去った。
その時どんな理屈や感情論が並べられようと、最後に両の足で立っていた者が勝者というのは、文字通り残っていた者だけがわかることだろう。
自分が自分のこれから先に望むのは、これからもそうでありたいということかもしれない。


コメント