永山基準はもうその役目を終えたのではないだろうか。
今回の判決を通して、「被害者が1人なら死刑は回避される」という司法の相場が可視化され、それが犯罪者への歪んだ免罪符にならぬよう願う。
そして、法が被害者を守らないと絶望し、私刑(自力救済)という過激な手段を選ぶ者が現れぬよう願う。
行き場をなくした「正当な処罰感情」が、社会の秩序を揺るがさないことを願う。
司法が国民の「正当な処罰感情」の受け皿としての機能を果たせなくなったとき、法はその正当性を失い、単なる形骸化したルールへと堕ちてしまう。それは司法にとって最も避けなければならない「敗北」である。
司法は今回の判決を反芻し、国民の信頼を取り戻す努力をしなくてはならないだろう。