烏山地域オウム真理教対策住民協議会御中
元ひかりの輪信者
中山 尚
今年5月の学習会において登壇させて頂き、本当に有り難うございました。皆様には団体内部で何が行われてきたのか知っていただきたいと考えていただけに、あのような機会を頂けて本当に感謝しております。
ただ、12月18日の上祐のプログにて、貴会宛の「要望書」なるものが公開されており、学習会での私の発言を取り上げ、ひかりの輪が問題視していることを知りました。想定できていたこととはいえ、脅迫ともとれる文章を送りつける失礼に非常に心を痛めております。
貴会におかれましては、長年ひかりの輪の監視活動をしてこられ、ひかりの輪の本質も見抜けていらっしゃるでしょうから、このような圧力には動じることはないと何の杞憂もございませんが、この「要望書」をひかりの輪が公開したということは、事情を知らない第三者に貴会の不当性や私への人格批判を宣伝することを考えてのことだと推察できます。私としてもひかりの輪への反論を貴会にお知らせするとともに第三者に公開する必要があると考え、年末の忙しい時期で恐縮ですが、ご連絡させて頂くことといたしました。
①まず「上祐は、教祖麻原の説法で教えを残すよう言われていたが、それには強制捜査や観察処分から逃れることが必要だった。(中略)上祐の権威は、麻原が認定した『マイトレーヤ正大師』に由来する。その名を呼ばなくても信者は、上祐の言うとおりにすることが麻原への帰依につながるから、ひかりの輪に集まった。麻原の『能力』へのあこがれは強く、それが麻原を象徴するシヴァ神や大黒天として残されていると考えた方が自然である。ひかりの輪では事件において麻原が首謀者であることを認め、麻原の写真も教本も廃棄したが、それが本心とは思えない。」という私の主張に対して、ひかりの輪では「これは、中山氏が、公安調査庁が発表している、いわゆる「麻原隠し」の内容を、事実に反して、そのままなぞって述べただけのものにすぎません」と反論していますが、アレフからひかりの輪へと移行していく事実を分析していくと、結果的に公安調査庁の意見と似た意見になったというものでしかありません。
ひかりの輪は私のブログの内容までひっぱり出しては歪曲し支離滅裂で難解な論理を展開させていますが、何故、ひかりの輪の前身であるアレフ上祐派ができたかと言えば、当時のアレフは経済的にも行き詰まっている時期でした。そこで「このままでは教団が潰れてしまう」という危機意識から「事件を反省して社会融和が必要」という流れになりました。
はっきりさせておくべきは、事件への反省も社会融和も教団を残すため、つまりは麻原の教えを残すための手段であったということです。事実、ひかりの輪ができる数ヵ月前まで麻原の教本を使用し教学もしていました。
またアレフ上祐派の時には、いかに上祐は麻原から特別扱いされていたかを散々宣伝し派閥の拡大に努めてきました。麻原を隠すどころか散々麻原の権威を利用しては勧誘していたのです。その中に私もいました。
ひかりの輪では、私の入信の動機などを取り上げて、団体が「麻原隠し」をしていたなら批判していたはず、という理屈のようですが、私が入信したのは1996年。アレフを脱会したのは2007年で、それまでに11年も要しています。何か問題があったらすぐに辞める、と軽い気持ちで入信して、11年も経てばどうなるのかというカルトの危険性を全く認識していない無謀な論理であると思います。何故、人々を救いたいと考えていた人達が人殺しできるようにまでなるのか、という考察も反省も微塵も感じられません。
悲しいかな、麻原に対する抵抗感は11年の年月を経て全くなくなっていました。でないと信者なんて続けられません。ただ、事件に対してどう解釈すればいいのか、という思いは頭の片隅には常に残っていました。「反省」、「社会融和」という謳い文句は、私のような信者にとってはあまりにも誘惑的でした。この謳い文句に私は騙されたのです。
アレフの存続のために上祐派ができて、熾烈な派閥抗争を経てひかりの輪設立となっていくのですが、その設立直前になって「観察処分がかかる団体が二つできても仕方ない」として「教材破棄」など「麻原隠し」を進めていったのです。これも反省から生まれてきた考えではなく、観察処分を外したいが為の「麻原隠し」であったと言えます。これが私が見てきた事実であり、上祐の本心であろうと私は思います。
信者にとっても「観察処分を外す」ということは「社会融和」と同一の意味を持つようになっていましたし、「社会融和」のために「麻原隠し」をしたとて、そこになんの矛盾も感じることはありませんでした。当時の大阪支部では信者を使って、模擬検査をしていました。道場内やパソコンに麻原の写真や説法が残ってないか調べさせ廃棄もさせていきました。上からの指示に疑問も持たずに唯々諾々と従うオウム的なやり方でしたが、オウム的であるが故に徹底的でもありました。それが「社会融和」に繋がるのだと信じていました。かつてのオウム信者が「救済」という言葉に抗えなかったように、今度は「社会融和のため」といわれると抗えなくなっていたのです。
何故そのような現象になったのかと言えば、オウム時代から受け継いできた「権威」が背景にあることは間違いないことです。麻原に正大師と認定させるほどの修行的体験があったということ。「マイトレーヤ」の称号を返上したとしても、麻原を表見上否定したとしても、オウム時代にオウムの修行によって得られた経験を否定しきれるものではありませんでした。それが「権威」となって信者に君臨し続けることになったのです。
麻原の教えそのものは、麻原の教えを受けた上祐の言葉によって、信者には伝えられていきました。麻原の獄中メッセージによって「シバ神を大黒天と言い換えてもいい」と言っていたようですが、私がそれを知ったのは公安調査庁が指摘してひかりの輪が反論文をHPで掲載したからです。そんなメッセージがあれば解釈変更したとしても公安調査庁に指摘されても当然ですし、そのようなものをあえて重宝してきたことに疑問を持たざるをえません。そこにはどういう意図があったのか。「麻原隠し」の一貫であったと解釈するしかない。結局はオウムの象徴たるものを言葉を変え、形を変えてでも残したかったでのはないか。そう考えたとしても自然なことでもあるし、ましてや「事実無根」で「名誉棄損」に当たるとは思えません。
公安調査庁の主張を私も知悉している訳ではありませんが、ひかりの輪の欺瞞性を認識し、過去からの事実を分析したなら、似たような分析結果が出ても当然のことであろうし、逆に私の意見とは全く違う意見を公安調査庁が発表したなら、ひかりの輪の実態を全く理解できてないと評価するしかないでしょう。
②検査忌避についても、いまだにその問題を把握していないようです。確かに違法行為ではないのでしょう。本当に公安当局が問題視すらしていないのであれば、それこそ問題だと思います。ひかりの輪は国際的テロ組織であるオウムの後継団体です。オウムの最高幹部であり、男性の中では麻原の一番弟子であった人間が主宰している団体です。一般企業と同列に扱って良い問題でしょうか。
「絶対に中身は見ちゃダメ」と念を押されてある在家信者に書類関係を渡していた訳ですが、その信者さんから相談を受けた時、私は怖くて全ての書類を確認することができませんでした。麻原奪還計画書なんてものが入ってたら。拳銃などの武器関係が入っていたなら。そんなものはあり得ないと思いつつも全てを開封することはできませんでした。
今の法体制で、信者に預けてさえいれば、オウムがどんな物を隠し持っていたとしても把握できないというのであれば、テロ対策を考える上でもどのようにして日本の治安を守っていくのか不安にならざるをえません。
また、ひかりの輪は「違法じゃないから」と言い張り、反省の弁すらありませんが、この件だけでオウムの一連の事件すら反省していないことを公言しているに等しいのです。
そもそも、オウム事件の最初の事件は何だったのか。信者の修行中の事故死とされていますが、その死を隠蔽したことが全ての始まりだったのです。「公安に見られたら困る」として信者に隠し持たせることは、オウムの考え方を踏襲しているに過ぎず、なにも反省などしていないという判断をするしかありません。昨年、女性信者を見殺しにし、その件を隠蔽し続けてきた事件が明るみになりました。殺人事件を隠蔽しながら「事件は反省した」と吹聴し続けたことは、世間に対してばかりではなく、上祐を信じた人達に対しても最大の裏切り行為でしかありません。
オウム事件は、被害者さんのみならず信者の人生をも大きく狂わせました。社会に多大な損害を与え、地域住民の方々の生活も変えることになりました。すべては「隠蔽」することから始まったのです。そのことをもし本当に反省し、悔やむことをしていたなら、検査忌避なんて考えつかないことでしょうし、殺人事件を隠蔽することなどありえません。
③出入り禁止の件について。そもそも2016年2月14日の大阪講話会の時に副代表である細川美香女史が、私が席を外していた時に「中山さんどこにいったんだろう。」と呟きながら、勝手に私の手帳を見て鞄の中身を物色したことに端を発しています。このような行為をしながら、手帳の中身について「プライバシーの侵害」を訴えること自体がひかりの輪の異常性を物語っているのですが、それはさておき、公安調査庁との付き合い方についての考え方で、国際的テロ組織であるオウムの後継団体をいう自らの立場をどう考えるのか、という点に尽きると思います。
私は信者時代、信者にはプライバシーは存在しないという考え方でオウムと関わってきました。組織の透明性が高まれば、危険性は軽減されていくからです。しかし、ひかりの輪が行ってきたことは、情報操作というべきものでしかありませんでした。都合の良い情報だけをHPや講話で公開するが、都合の悪いものは検査忌避で隠す。そのような欺瞞性や隠蔽体質こそが社会融和を阻む一番の要因だと考えているからです。
社会融和だけでなく、事件への反省ということを踏まえたなら、オウムの最高幹部であった上祐が、誰に対してどんな話をしているのかは当然に国家としては把握しておかなければならない事ぐらいは理解できて当然のことですし、団体としてもそれくらいの不利益は享受して当たり前のことだと考えます。ひかりの輪設立の時期からしばらくは情報操作によって観察処分を外すことも可能だと考えていたのかもしれませんが、いつまで経っても外れないことに業を煮やしたのでしょう、プライバシーを盾にして公安調査庁に対して敵対心を剥き出しにしてきました。
そうすることで、内部にいる公安協力者に対して圧力をかけて語らせないようにし、団体のスタッフや広報を通じてでしか内部の実態が分からないようにしたいのだろうと思います。情報操作をより強固にしたいという思惑もあるのかもしれません。
私が会員を辞めると伝えた後に、突然、これにサインしろといって誓約書を出されました。「これは非会員であっても同様です。」と大阪支部長である田渕智子から詰め寄られました。内容は公安調査庁との「違法」な関係はもたない、という内容だったのでサインもしましたが、実際は「公安が来たら協力はしますよ」と伝えただけで、出入り禁止となりました。金品授受などの「違法性」は全く関係のないことで、団体にとって都合がいいかどうかで判断されているという見解は全く変わりません。
前述していますが、「隠蔽」があらゆるオウム事件の発端であり、すべての不幸の引き金になったという認識を私は持っています。あれほどの事件を引き起こし、多くの人達を不幸のどん底に落としていったことを考えれば、オウム後継団体と関係している人たちの身元を国に対して隠し事なく明らかにしていくことは当然のことですし、後継団体としての義務でもあります。それが嫌ならそもそもオウムと関わるべきではないとしか言えません。もし、私の行為に対して苦情があったとするなら(後付けの理屈としか思っていませんが)、それは事件に対する理解の乏しさを表しているに過ぎないし、ひかりの輪がどういう団体かの認識すらしていないということでしかありません。その苦情を理由に私を出入り禁止にしたという決断を下したのであれば、自らがどういう団体なのかっていう自覚の無さ、無知を表現しているにしかすぎないって思います。
④また不倫だのセクハラだのということも書かれています。相手方もいることなので詳細は避けますが、不倫の事実はありません。検査忌避問題を追及しはじめた頃、書類を持たされてた女性信者と不倫の「噂」が出たのは事実です。ネットでも拡散されました。セクハラの件も団体側が執拗に問題視しようとしていたのも事実です。上祐自身が双方の言い分を聞いた上で、私には「それなら何の問題もない」と言い、相手側の女性には「これ以上、団体としてはこの件には関わらない」と言っています。その件が終わって数年たったにも関わらず、女性問題とスパイ容疑を口実に出入り禁止とされました。私としては取って付けたような理由であることには間違いありませんし、結局私の存在が邪魔なだけだったのだろうという認識でしかありません。理由づけにスパイ容疑と女性問題にもってきたのは、この措置に対して、私の口封じを狙ったものでしかないと彼らの主張を聞いた上でも、そう思います。
⑤S氏に関して。「なお、Sは当団体とは関係がないところで、刑事犯罪を犯して団体に迷惑をかけ、脱会した事実もありました」などと述べています。S氏は夏頃SNS上において、自らの事件においてひかりの輪との関係性を示唆する発言をしましたが、ひかりの輪からの恫喝ともいえる強烈な抗議に屈して、その発言を削除させられています。
また、S氏の事件が起こった時のひかりの輪との騒動で、是非とも知っておいて欲しいことは、S氏が逮捕される前日にはひかりの輪は逮捕情報を入手していました。それで、事の真相を確かめるべく広末や上祐がS氏に逮捕情報を通知した上で、「身に覚えがない」というS氏に対してひかりの輪の脱会を迫ったのです。その経緯をS氏本人から逮捕される前日に私にも連絡がありましたので間違いのない事実です。
ここでの問題点は、誰がひかりの輪に逮捕情報を漏洩したのかという点です。当時私も上祐に質問しましたが「絶対に答えられない」と回答しました。例え第三者経由であったとしても、警察が最初に漏らしたと考えることが自然だろうと思います。貴会はじめオウム対策に真摯に向き合っている団体がある中で、オウムの後継団体に信者の逮捕情報という極めて重要な極秘情報を漏らす輩もいたということです。
貴会にとってはショッキングなことでもあろうかと思いますが、逮捕情報を事前に入手できる人物がオウム後継団体であるひかりの輪と通じているという事実はあったということを知ってもらった上で、事件が風化していきオウムの危険性に対する認識が薄れていく中で、今一度、気を引き締めていくことが大切なことであろうと思います。
⑥反対運動に対して。「反対運動は東京しかやっていない」とも述べていましたし、「デモは儀式的なものだから気にすることはない」とも言っていました。それを何故「事実無根」と言いきれるのか悩みましたが、「上祐はそのような趣旨の発言をしたことはありません」ということで「事実無根」と主張できると考えたのでしょう。言葉の言い回しで逃げ道を用意し自らの主張に誘導していく手法はさすがだなと関心せざるを得ません。ではその言葉の趣旨をどう解釈するのかということですが、あのニュアンスでのこの発言において、少なくともひかりの輪が主張する「オウム問題の本質的な問題解決のためには、デモ行動ではなく、オウムを生み出した精神的・社会的問題の探究や、話し合いを通じた誤解の解消が必要であるという趣旨」だと理解できる人間は少ないのではないでしょうか。
この文言を読むだけで、よほど訓練を積んだ人間でないと、彼らの主張に丸め込まれてしまうのだろうと考えざるをえません。
貴会が解散を求めて話し合いに応じたとしても、彼らの手にかかると「問題解決に向けて地域住民さんとも話し合いを持っています」というような表現となって宣伝に利用されることでしょう。被害者団体と賠償契約を結んだことで被害者賠償を団体存続の理由付けにしたことを思えば、安易な妥協はオウム後継団体の存続を認めることにもなりかねませんので、ご用心をしてもらいたいと思います。
⑦まとめ。この要望書全文に通じていることですが、ひかりの輪としては私を公安調査庁と関連付け、公安の協力者という印象付けを行い、私の語ることは公安の意思に添って、不当にひかりの輪を陥れるために語ってると主張していると思われます。事件前にオウムが主張していた陰謀論と大差なく、「フリーメーソン」が「公安調査庁」に言葉が変わっただけの印象しか持ちえません。
このような陰謀論を恥ずかしげもなく主張しはじめた背景にあるのは、事件への反省がないのはもちろんのこと、今まで培ってきたオウムの本性を剥き出しにしなくてはならないほど追い込まれてきた、という状況があると推察いたします。
それもこれも貴会がオウムと一切妥協することなく、長年に渡って活動を続けてこられたことがオウム対策において非常に大きな役割を担ってきた証しでもあろうと思います。本当にありがとうございます。
学習会でも述べましたが、烏山での抗議運動はオウム真理教上祐派ひかりの輪に対する抑止力の最後の砦になっています。今までも頑張ってこられたので、このようなことを言うのも恐縮でもありますが、もう一踏ん張りして頂きたいと勝手ながら願う次第です。私もできうる限りのご協力はさせてもらいますので、何卒よろしくお願いたします。
年末のお忙しい時期にこのような駄文を送りつけて申し訳ありませんでした。今後の参考にしてもらえたら有り難いです。
オウムが来てから不安な毎日が続いていることでしょうが、一刻も早く彼らが解散してくれることを願いつつ、皆様方のご多幸をお祈りしております。