「得体の知れない恐怖」の正体は? ヒントをくれたアルピー・平子さんの言葉
こういった「巻き込みエロ」「なんでもエロ変換通り魔」「無差別エロ」とでもいうのでしょうか、脈絡のないエロをぶつけられる行為って、なんでこんなに不快で恐怖を感じるんだろう。それをずっと考えてきました。
そんなモヤモヤを整理する上で、ヒントとなる考え方に出会ったんです。それが、お笑い芸人アルコ&ピースの平子祐希さんのインタビュー中の言葉でした。
僕があなたに触れたい理由、そしてあなたから発せられているオーラ、素敵なわけ、素敵な箇所、素敵なパーツ、そして人間としてどう思っているかっていうのを言葉に出して、お互いが確認を取り合うという、あってしかるべき作業が、日本ではおろそかになっている気がするんですよね。
この人はなぜ自分に触れたいかっていう理由が明らかになっていない中で、本来あるべき10個ぐらいの細かい段階をすっ飛ばして、肉体に手を伸ばされる恐怖ってあると思っていて。恐怖を感じてしまいがちっていうのは、日本はそういった部分が立ち遅れているからなのかなと思いますね。
——mi-mollet「相手が嫌がっているのに欲望をぶつけるのはエロくない!アルピー平子が説くエロのために本当に必要なこと」
確かに、今まで恐怖を感じてきたシチュエーションって、相手の意図や感情が見えない、うかがい知れない距離感から、急にガッと手を伸ばされた感覚があったな、と思ったんです。
例えば、初対面でいきなりでの発言なのか、何度も会ってコミュニケーションを取って、お互いをよく知った上での発言なのかで、同じ発言でも感じ方って全然違う。お互い誰かもわかっていない状況でエロの話をされ、標的にされると、得体の知れなさ、一体なぜ相手はこの距離感でそんなことを言ってくるの? という疑問が怖さにつながるんです。
「相手が嫌がってる」っていうそのシチュエーションよりも、僕が求めている、それ以上に相手が僕を求めているっていうシチュエーションの方が、エロ男子としては美味しいに決まっている。
(中略)
嫌悪感を持たれる人は段階の踏み方がエロくないんだと思います。
(中略)
あまりエロくないんですよ、日本人。スペインとかイタリアとかだと、やっぱりエロいんで、エロに照れないし、エロに引かない。ちゃんとエロいシチュエーションの土台作りから手を抜かないというか。
自分の欲を一辺倒に相手にぶつけるって、僕はあんまりエロい行為だと思わないんですよね。
——mi-mollet「相手が嫌がっているのに欲望をぶつけるのはエロくない!アルピー平子が説くエロのために本当に必要なこと」
「一方的」なエロへの不快感
今まで自分が経験してきたエロをぶつけられる経験って、私は受け入れていないし、喜んでもいない状況で、一方的に欲望をぶつけられる、という状況だったように思います。
日ごろ流れてくるネット広告でも、相手が嫌がっているのに無理やり性的なことをするシーンをエロとして描いたコンテンツを目にします。お互いがその気になっているより、対象は嫌がっていて、一方が支配的に性的行為をすることが“エロとして消費される”文化や土壌があるんだろうな、と思うんです。
そういうコンテンツの是非は置いておいて、実際に対面でそういうことをしていいわけがないんですよね。
こちらの反応は一切お構いなしで、ただただ襲撃のように下ネタをぶつけて相手が喜んでいる。その温度差、こちらが置き去りにされている感じ。これも不快感や恐怖を感じる原因だったんだと思います。


notake33
何か言われたら
「と、言いますと?」と聞くと2度同じエロ発言をする人は皆無です!
2026.2.24