国家の検閲阻む独立性◆百科繚乱 ウィキペディア事始め(連載第2回・全4回)
2026年07月21日11時00分
2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。その後の戦況の変化に応じてウィキペディアの記事も随時修正され、加筆されている。
情報の流れをコントロールすることは戦略的優位を確保する上で重要だ。紛争当事者はプロパガンダやメディアを駆使し、自らの立場を正当化しようとする。ウィキペディアの記事をその一つと考える者もいる。
22年3月、ウィキペディアロシア語版の編集者の一人が、反政府的な内容を編集したとしてベラルーシで拘束された。翌月にはロシアの情報当局が、ウィキペディアを運営する米国のウィキメディア財団に対し、罰金400万ルーブル(約650万円)を科すと警告し、「不正確な情報」を削除するよう要請した。財団はこれを拒否し、23年4月時点で総額約900万ルーブルの罰金が科されている。
そしてロシアは24年1月、プーチン大統領の提案により独自の百科事典「ルウィキ」の運用を開始した。記事の大半がロシア語版ウィキペディアから移入されたものだが、大統領批判やウクライナ侵攻などの記載がなくなっている。このように国単位で検閲を試みたり、圧力をかけたりする例は過去にもあった。トルコでは20年の解除まで2年以上ウィキペディアへのアクセスが遮断され、中国本土からも19年以降、アクセスができない。
寄付活用する非営利組織
ウィキメディア財団は、寄付によって運営される非営利団体である。高度な独立性を保ち、検閲に応じない姿勢を貫いている。広告がなく、商用メディアのように広告主に配慮する必要もない。
約360もの言語で展開するウィキペディアの理念はシンプルである。「信頼されるフリーな百科事典を、それも、質においても量においても史上最高の百科事典を目指して、共同作業で創り上げるプロジェクト」。プロパガンダは認められず、客観的事実を、信頼できる情報源に基づいて記述することが求められる。
「ペンは剣よりも強し」には「武力に対して言論で打ち勝つ」というだけでなく、「武力を行使するには権力者による指示があればよい」との意味もあるという。相反する二つの解釈のはざまで、世界に散らばるウィキペディアの編集者たちは客観的事実を記していく。
知名度を物語る「多言語版」
「ドラゴンボール」などの人気作品を生み出した漫画家、鳥山明さんの訃報が2024年3月8日、世界を駆け巡った。ウィキペディア日本語版に掲載された鳥山さんの記事は、同日だけで約110万回閲覧された。実に毎秒12人以上のペースで記事が見られたことになる。
ウィキペディアは約360の言語で展開するが、鳥山さんの記事はうち66の言語版に存在し、世界的な知名度を物語る。そして、少なくとも英語、中国語、ロシア語、イタリア語、アラビア語などの各言語版でも閲覧数のトップ10にランクインした。
ウィキペディアに掲載される情報の大半は自由な利用が可能なオープンコンテンツで、各記事へのアクセス数が公開されている。こうしたデータを分析すれば社会の関心事を知ることができる。日本ではさほど知られていなくても、海外では注目されている情報に気付くことがある。
記事の有無、読者の理解左右
米国人のポール・アレクサンダーさんは、「鉄の肺」と呼ばれる旧式の人工呼吸器の中で70年以上を過ごし、ギネスブックに認定された人物だ。幼少期のポリオが原因で、首から下のまひと自力呼吸が難しい中で大学に進学し、法廷弁護士を30年務めた。2024年3月12日(現地時間)に公表された訃報は、国内の一部メディアでも報じられた。
彼の記事は英語、スペイン語、ドイツ語などの言語版でアクセス上位となった。この他にヘブライ語、南インドのタミル語など30の言語版に記事が掲載されているが、日本語版には記事が存在していない。このように世界で大きなニュースが報じられた際、記事の有無が情報へのアクセス機会、対象の理解を左右することがある。
日本語版には1日に3500万~4000万ものアクセスがあり、特にスマホ世代の若者にとって、ウィキペディアに記事があるかどうかは重要だ。「記事がなければ、有名でない」と判断し、情報の価値をつかめないこともあり得る。
人工知能の進化に伴い、将来的には機械翻訳の精度が向上することが期待されているが、現時点では他の言語版にある記事の翻訳は人手に頼っている。もちろん編集上の注意点さえ理解していれば、誰でも記事の翻訳に参加できる。
(海獺・ウィキペディア日本語版元管理者)
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