第44話 祖父の名前がそこにある

 祖父――網代重蔵。


 俺はこの人物について、写真と名前以外、ほとんど何も知らない。


 いま住んでいる家の元の持ち主であり、コアちゃんのダンジョンに立ち入ったことがある人物。


 知っているのは、それくらいのものだ。


 実のところ、死因も、亡くなった場所も知らされていない。


 俺の中のアルバムには存在しない祖父。


 その知らない姿が、論文の中にあった。


 いつの間にか、鐘々も後ろからそれを見ていた。


 今までに見たことのない、真剣な顔つきだった。


 調査協力者として、名前があった。


 網代重蔵。


 俺の祖父で、間違いない。


 俺は、論文を読み進めた。


 祖父は探索者だった。


 それも、異形化するより前から。


 変態、もとい深山教授は、祖父に護衛を依頼する形で、いくつものダンジョンでフィールドワークを行っていたらしい。


 そして、先ほど見つけた当たり障りのない著書や論文は、この時期の調査をもとに発表されたものが多いようだった。


 深山教授と行動を共にするうちに、祖父は異形化した。


 その過程は、論文の中にありありと記録されていた。


 俺が写真でしか知らない老人は、論文の中では、まだ若く、まだ人間で、そして少しずつ人間ではなくなっていった。


 以後、同じ時期に深山教授と行動していた探索者たちの多くも、異形化していったことが記されていた。


 探索者は異形になりやすい。


 それは、深山教授自身の体験から裏付けられたものだった。


「ねぇ、これ……」


「ああ。本人に聞いてみたほうが早いかもな」


「深山教授は、お兄さんが網代重蔵の孫だって知ってて接触した……とも取れないかな?」


「分からん。少なくとも、向こうは俺のことを知っていた可能性がある。下手すれば、祖父の家に特殊なダンジョンがあることも」


「それはあるかもしれないね。でも、それだけじゃないでしょ? お兄さん」


「まあ、気にはなる」


「私も気になる」


 それもそうか。


 鐘々も、俺の祖父に世話になった口だ。

 俺よりも、祖父のことを知っている可能性すらある。


 必要な論文のタイトルと要点を暦に記録してもらい、俺たちは帰路についた。


 帰り道、スマホを手に取り、深山教授に電話してみた。


 知っていることを、洗いざらい話してもらうとしよう。


 祖父のことも、コアちゃんのことも。


 だが、深山教授に直接電話は繋がらなかった。


 仕方なく、メールを送る。


 ダンジョンへフィールドワークに行っているなら、基本的に電話は繋がらない。ダンジョンの中には電波が届かないからな。


 あの教授のことだ。


 ダンジョンでまた何かしていても不思議はない。


 服を着ているかどうかは、考えないことにする。


 そこで、ふと気になっていたことを思い出した。


「鐘々、おまえってさ、俺の祖父が死亡扱いになったことを役所経由で知って、それであの家の清掃とか片付けに関わったんだっけ?」


 鐘々は即答しなかった。


 しばらく、何かを考えているようだった。


「うん。私も清掃には関わってる」


「じゃあ、死因とかは」


 鐘々は、そこで言葉を止めた。


 何かを言い淀んでいる。


 いや、言葉を選んでいるようだった。


「書類を盗み見た限りだと、迷宮内事故による死亡推定。実際に見つかったのは、腕だけ」


「は?」


 絶句してしまった。


 死亡推定。


 ダンジョンの中で、腕だけ。


 捜索隊は――いや、無理だな。


 異形化した探索者のために、わざわざ人命をかけるやつらはほとんどいない。


「ごめん。それ以上は、今は分からない」


「今は?」


「お金があれば調査もできるしね。そこから先は、資金ができてからのお楽しみ、かな」


 そんなことを考えていたのか、こいつは。


「アホか。それなら俺も出す。勝手に一人でやろうとするなよ? また倒れるぞ」


「ん、ごめん」


 しかし、これだけ入れ込むとは……いったい何があったのだろうか。


 思い返せば、ただ世話になっただけの人間が、家を見ただけで涙するものだろうか。


「そうだ。あとで返すものがあるから、時間をくれる?」


「返すもの?」


「業者が本格的に入る前に、隠しておいたいろんな道具」


「隠しておいた? おまえ、マジで隠し事しないで全部話せよな?」


「それはまだ難しいなー。教えてほしければ、私の好感度をもっと稼ぐのだ」


 鐘々は、いつもの調子で笑った。


 たぶん、そうでもしないと話せないことがあるのだろう。


「今さらヒロイン宣言はちょっと難しいと思うぞ……?」


「何してるんですか?」


 コアちゃんと手を繋いで先を歩いていた暦が、振り返った。


 今のところ、ヒロインレースの先を走る女である。


「大したことじゃない。変態が昔、何をしていたのか気になっただけだ」


「いつから脱ぐようになったんだろうね」


「それはマジで気になる」


 西日に照らされながら、俺たちは祖父が残した我が家の門を潜った。

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