不安感
目が覚めた時の現実が抜け落ちるような感覚が苦手だ。心がうっすらと寒くなる。
インターネット上の関係がどんなにか細いものであるかをよく知っていて、それが互いに住所と顔を抑えていたものであったとしても、現実で知り合ったわけではないという重さを乗り越えられるほどには人生経験と自信がない。
他人の不機嫌に付き合うのも、自分の不安に付き合わせるのも疲れる。喧嘩できたほうがいい関係だと一般言われるが、その形でしか取り持てないような、苦しさを臓器に突き立て続けながらしか向き合えない関係なのだとしたら、たくさんぶつかってしまうことは手放しには褒められない。感性が違うというのは人と人が付き合うのなら当然のことで、だけれどそれを言葉や時間で埋めよう、理解しようとすること自体が決して美しいわけではない。それでも好きだと思えるのならば、綺麗だと人からは見えるのかもしれないけれど、常に不安を持つ俺は自分のなかに嫌いとか嫌とかそういう鏡を見つけてしまった時点で、他に形容しづらい落ち込みに陥る。
自分の気持ちに自信なんて毛頭ない。全部嘘だと思っている。一貫性も再現性も何にもない。自分という人間を信じていない。
結局のところ安心できないのは、そんな自分を好いてくれる他人の気持ちがあまりにも推し量れないからだ。信じようという素振りより現実の事物のほうが重い。100回一緒に通話したことより、一度体を触れ合わせたことのほうがよほど確からしい。今のかさぶたに触れるより、若い日の赤々とした傷が少しふさがる過程にありたかった。
全部はもらえないことを知りつつある。だからといって何も楽にはなれない。諦めるという気持ちの整理の仕方は、本当に離れるかもしれないと身体に感じたとき、そのぶん怖さを大きくする。話している間に幸せでいられることが全てであるのなら、世の人間関係はもっと単純で苦しくないはずだ。
人と話すとあとに寂しくなる。食べると不意に悲しくなる。自分を慰めるとどうすることもできない、終わったことへの情を抱えて苦しくなる。
ありもしないきっとある想像にずっと苦しめられていて、未来を信じられないのなら、自分の人生を捉え続けるから、今がわからないから喉奥が気持ち悪い。どうすることもできない。自分を嫌いというとき人が嫌いで、人に嫌いというときに自分が嫌だ。ただただずっと不安。何も信じられない。確かなことなんてないように思えて、慰める方法を知らない。楽になんてなれない。10年経ったってどうせ嘔吐く。本当にいやで本当に苦しい
辛くて辛くて辛くてたまらない。自分が嫌いで人がきらいで後悔をして苦しい。何のために生きているのかずっと忘れている。ただ人といることが苦しい。


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