(チョイ)『玉の輿』から一転。劣等感、しがらみ、離婚…ワンオペ専業主婦が税理士になり社会復帰するまで
毎日、子育てと家事に追われながら、ふと「私の人生、このままでいいのだろうか」と天井を見上げてため息をつく。そんな夜が、私にもありました。
これは、専業主婦の方だけでなく、毎日仕事と育児に追われながら「私のキャリア、このままで終わっていくのかな……」と満員電車や夜のキッチンで焦りを感じているワーママの方にも共通するモヤモヤかもしれません。
まだまだ新米ではありますが、今は税理士として、経営者やクライアントの皆様に寄り添い、伴走する仕事をしています。しかし、ほんの数年前までの私は、先の見えない迷える専業主婦でした。
同じような悩みを持つ方に少しでも勇気を与えられたら。境遇や悩みは違えど新しい物事に向かうモチベーションを高めたい方の背中を押せたら。
そんな気持ちでnoteを綴っていこうと思います。
そして何より自分の軌跡として、気持ちがたるんだときに見返してシャキッとできるように…(笑)
なぜ、あの閉塞感に満ちた環境のなかで、私が「税理士」という資格を目指すに至ったのか。
私の人生第二幕とも言えるリアルなストーリーを、数回に分けて書きたいと思います。
「一生安泰」の裏にあった、消えない悔しさ
私は長年、専業主婦をしていました。
田舎ではそれなりに名のある経営者一族に嫁ぎ、世間から見れば割と「一生の生活は安泰」というような環境でした。少し大袈裟に言えばいわゆる「玉の輿」とも言えたかもしれません。ときには「羨ましい」と周囲に言われることもありました。
けれど、夫婦仲は、正直ずっと良いとは言えませんでした。
振り返れば小学校から大学までかなり陽キャなタイプで楽しい人生を送ってきていました(やんちゃすぎる時期もありましたが…😅)
そして大学卒業後は、両親の強い希望にこたえてUターンして地元の銀行に入行し、当時は支店初の女性総合職ということで自分自身もそれなりに期待を胸に仕事を始めました。
ところが…!まさかの妊娠。そして結婚。
これも当然支店始まって以来でした…😅
入行式のテレビインタビューでは「行内に新しい風を吹かせたいと思います!!」などとコメントしましたが、まさかこんな形で風を吹かせることになるとは…(苦笑)
産休・育休中取得後は職場に復帰したものの、子供の体調不良が続いたときになかなか休めず、夫も多忙につき頼ることは難しく、暫く働いたのち退職して育児に専念という道を選びました。
生活がこれだけ裕福なのに子供に手がかけられないというのは自分の中では非常に違和感がありましたし、お手伝いさんに頼るというのも違うなと思っていました。やはり自分の手で育てたいと思いました。そして何より、今もそうですが私の住んでいる田舎ではシッターさんというのもほとんどサービスとして存在しない状況でして…。
後に今のようなことが起こると予想できていれば、なんとか辞めずに仕事を続けていたのかもしれませんが、当時のまだ若く純粋な私はその後結婚生活がうまくいかなくなるなどということを全く想像していませんでした。
家事と育児だけに追われ、一日のほとんどを家の中で過ごす日々。社会から切り離され、世間から置いていかれているような強い焦りがありました。
育休中に簿記2級を取得したり、仕事を辞めてから建設業経理士1級を取得したり、今考えると、こうしてなんとか自分の中の焦る気持ちに自分なりに対処していたのかもしれません。
一方で、夫は経営者として社会的な地位を日々確立していく。
その姿を間近で見ながら、私の心の中には、いつもどこか「悔しさ」がありました。
ただ、自分ももう一度働くには、夫が忙しすぎて家事や育児を全く頼れないこと、田舎で働き口がなかなか無いことなど様々なハードルがありました。そして、しがらみ的なものも足枷となっていました。
実際、思い切って一度税理士事務所のパートに応募するため履歴書を送ってみたことがあります。
しかし、すぐに電話がきて
「旦那さん、〇〇さんですよね?」
という第一声でした。お話を伺っているうちに趣旨としては、嫁ぎ先一族の影響が大きいので、業種的に、そこの嫁であるとわかると気になる人もいるかも…というような微妙なものでした。
考えてみれば、自分たちの披露宴には近隣の同業社長さんをほぼお呼びしたので、お会いしたら覚えてる方もそれなりにいらっしゃるだろうなぁと思いました…。
これは都会の方にはなかなか伝わらないニュアンスかもしれません。田舎の狭いコミュニティならではなのかなと思います。
…やっぱりそうだよな。と妙に納得したと共に肩を落としたのを覚えています。社会復帰がさらに遠いものに感じましたし、長く暗いトンネルに取り残されたような気持ちになりました。
「私という人間は、もう社会には必要とされていないのだろうか。ただ〇〇(夫)の妻として生きていくしかないのだろうか。」
なのに現実、夫とは不仲。
仲の良い夫婦ならこのような悩みはなく、安心して専業主婦を謳歌できていたのかもしれません。
一度は諦めた、自立への道
実は一度、自立へ向けて手を伸ばした時期がありました。
銀行を退職し、一度仕事を辞めて子育てをしていた頃、最初の夫婦危機(第1次離婚危機)が訪れたのです。結婚と同時に夫の両親と同居を始めました。幼い頃から家族が多い環境で育ったので、自分の子供にとってもそのような環境が良いと思いましたし、自分もうまくやっていける自信がありました。
しかし大学まで好き勝手に生きてきて、その2年後に結婚して、嫁として全く異なる考え、環境の相手と生活することはとても大変でした。しかも慣れない子育てをしながら。
今思えば育児ノイローゼ気味だったのでしょうが、夫に話しても「俺に言われても困る」と向き合ってもらえず一人で悩んでいました。
ある日、夜中にボロボロと泣けてきて「もう限界かも」と思いました。
同居を解消し、当時まだ幼かった上の子と2人で、私の実家の近くにアパートを借り別居生活を始めました。
「自分も社会に出て働こう」
そう心に決め、少し離れた環境で働いてみようと思いました。そのとき拾ってもらったのが、ある税理士法人でした。そこの代表もやはり私の嫁ぎ先のことはご存知で、「あぁ、あの富豪ね(笑)」(※実際、富豪とかではありません。)と冗談交じりに色々と境遇を理解してくださり、働きやすいように非常に配慮くださいました。
また、そこで出会った女性税理士の先輩方は、本当に格好よかった。自分もいつかあんな風に、自分の足で凛と立って働きたい。そんな希望の光が見え始めた頃でした。
夫は週末子供に会いに来てくれていましたが、月曜になって旦那が帰るときに子供が
「パパと毎日一緒がいい……」
と泣いていました。そんな悲しそうな我が子の姿を見たとき、母親としての胸が張り裂けそうでした。
そんな生活を1年近く送っていましたが、子供のこともあり夫ともう一度話し合い、「子供のために、もう一度3人で暮らそう」ということになり元の家の近くに戻ることに。
同時に、それは新しく見つけた税理士法人への通勤が、距離的に不可能になることを意味していました。まだ当時は在宅ワークというものは全く普及しておらず、自分の自立への切符を泣く泣く手放さざるを得ませんでした。
その後は、「もう一度、夫婦関係を立て直そう」と努力を重ねる日々でした。後継ぎを望まれていたこともありしばらく専業主婦として家庭に尽くし、なんとか2人目の子供も授かりました。ただ男の子を強く望まれていたので2人目も女の子で非常に落胆された事はなかなか辛かったです…😅
家族のために、母として、妻として、何とかこの関係を良くしようと、自分なりにできる限りの努力はしてきたつもりでした。何と言っても自分は、子供のために離婚はできるだけしたくないというスタンスでした。
しかし――。
どれだけ歩み寄ろうとしても、どうしても夫婦関係が良くなることはありませんでした。
どうせ辛い数年なら、未来への「爆発力」に変えてやる
そして次女が生まれて約3年後、決定的に夫婦仲が悪化する出来事が起こります。
「これはもう無理かも。数年で離婚するな。」
第二次離婚危機。(いや、細かいのを数えたらもう何度目だったか…😅)ただ、色々と事情があり一度目とは決定的に違いました。「自立して子供達と生きていく覚悟を決めなければ…」そう強く思いました。
しかし、第一次離婚危機と違い今度は子供が2人。しかも次女はまだまだ小さい。さすがにこの年齢の子供を抱えて今すぐ離婚するのは、子供が可哀想だし、自分自身のキャパシティとしてもあまりに無謀でした。
「子供たちがもう少し大きくなるまでは、この冷え切った環境で凌ごう。」
そう決めました。そして、
「どうせ地獄のような数年を過ごすなら、ただモヤモヤして暮らすのはもったいない。その苦しみを忘れられるくらい、圧倒的な何かに挑戦しよう!」
「そうだ、数年かかる難関国家資格を目指そう!」
そう思い至ったとき、かつて我が子の涙と引き換えに、泣く泣く手放してしまった、あの税理士法人での記憶が鮮明によみがえってきました。自分の引き出しに残された、簿記2級の資格。そして、あの日優しく、格好よく輝いていた女性税理士さんの姿。
「あの時諦めた道に、もう一度、今度こそ私の力で挑戦しよう。……よし、税理士を目指そう!!」
そして税理士という資格は、修行期間は必要ではあるものの、その後は独立して自分のペースで仕事をしやすく、また、基本的には少なくともだいたいが1年以上の契約になるので売り上げが安定しやすいという強みがあることも知っていました。これらが数多くの資格の中から税理士を選定した主な理由でもありました。
公認会計士や弁護士というのも一瞬考えたのですがどう考えても自分には無理だろうと思いやめました(この潔さが結構よかったのかもと今になって思います…笑)
これまではガーデニングが趣味で子供とのんびり過ごしていましたが、この日を境に私の生活がガラリと変わりました。
もう一度自分の名前で歩み、人生の軌道修正をするための長い旅路へ一歩を踏み出したのは、まさにこの瞬間でした。
とはいえ、当時の私は何年も勉強から離れていた身。ここから「家事育児と勉強の両立」という本当の試練が始まります。
(次回へ続く)


色々あったのですね。窓際さんの人生、限りある時間の中、本当にここまで大変だったと思います。 応援しています。しがない写真しがあげてない自分と比べると、申し訳ない。
Xから飛んできました。 あちらではいつも楽しいポストを楽しみにさせていただいていましたが、窓際さんの半生がこんなにもドラマティックなものと知り、あらためて尊敬の気持ちでいっぱいになりました🙌 年齢が近いのにこんなにも考え方に違いがあるのかと、自分の事を見つめ直すきっかけになりま…