ミスター解任、不本意な新人・原との競争 コーチが「不公平はないが、不平等はある」と

話の肖像画 元プロ野球巨人軍選手・篠塚和典<18>

昭和55年8月ごろ

《伊東メンバーが躍動…》

昭和55年、開幕当初はベテラン勢が起用されてましたが、僕も「やっていける!」という自信がついた一打がありました。5月5日大洋戦(後楽園)の九回、代打で遠藤一彦投手(通算134勝128敗58セーブ)から打ったプロ入り初ホーマーです。伊東キャンプで1キロバットを振った。その試合には負けたのですが、力負けしなかった。

8月7日のヤクルト戦(神宮)でシピンに代わって「2番セカンド」で起用され、それ以降スタメンに定着した。シーズン79試合目でした。115試合に出場している(315打数82安打、2割6分、6本塁打)。プロ5年目、巨人のレギュラーを獲得したんです。

10月20日、最終戦の広島戦(広島)で勝ってチームは61勝60敗9分けで前年5位から3位です。伊東メンバーも中畑清さん、江川卓さんらみんなそこそこやって、さあ次の年だっていう思いをみんな持っていたと思う。監督6年目のミスター(長嶋茂雄さん)も手応えを感じたんじゃないですか。「シノ、来年は開幕からフルに使う」と話してくれた。その言葉は何とも心地よかったことを覚えてますよ。

《〝長嶋解任〟劇に呆然(ぼうぜん)…》

広島から帰った21日、オフでした。テレビのニュース速報で知ったんです。「巨人長嶋監督が退任」って。「えっ、ウソでしょ?」って思いました。だって前日まで来年のことを話してたんです。ミスターにもすぐ電話をしました。

「なぜですか? 本当に辞めるんですか? 僕も辞めます」

監督は言うんです。「何言ってるんだ。監督が辞めたからといってお前が辞めてどうするんだ。野球界は結果を出さなきゃ認めてもらえない。お前は頑張ってきた。必ず結果を出せるから…」

ミスターと一緒にやりたかった。すると「じゃ俺の代わりにジャイアンツで(優勝の)夢をかなえてくれよ。伊東のメンバーがいる。オレの代わりに頑張ってくれ」と説得されました。

《藤田元司新監督。V9参謀の牧野茂ヘッド。現役を引退した王貞治助監督の新体制になった。ドラフトで〝超目玉〟原辰徳(東海大)が入団…》

原の加入は大歓迎だったんです。新体制は長嶋さん、(選手の)王さんがいない。いくら伊東メンバーが成長したからといっても、V9メンバーのようなチームを作るには難しいという思いはありましたが、原の加入で光が見えた気がしたんです。彼は1つ年下ですが、同時期に甲子園で活躍し、大学でも全日本の主力でしょ。人気もすごかった、抜けてた。スター性がある。しかもスラッガー。それに彼は三塁手ですし(笑)。

翌56年1月31日、宮崎キャンプに行きました。すぐ牧野さんに呼ばれて、「原には二塁手でやってもらう。もちろん力のあるものを使う。ただお前には言っておかねばならないから」と直接内示を受けたんです。「えっ?」と思いましたよ。せっかく獲(と)った二塁手のレギュラーですから。でも球団の方針として(原二塁手)の決定なら仕方ない。まだ開幕まで時間がある。勝負すればいいし、守備は教えても、僕より上にはいかないとの思いもありましたよ。

キャンプ中、ずっと原と一緒に二塁の守備練習をしました。ハッキリ言って一から十まで教えましたよ。二塁手は三塁手に比べ、守備範囲も広く、ベースカバー、併殺など連係プレーと覚えることも多く複雑です。僕には自信があった。もちろん原だって必死でやってました。

でもオープン戦での(僕と原の)使い方を見ていたらわかった。牧野ヘッドが「不公平はないが、不平等はある」とよく報道陣に話していた。機会は与えるがチーム方針(原を育てる)を優先するって。頭ではわかってましたが、最終的には監督が決めることですから。(聞き手 清水満)

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