ふたりの忘れものー恵子と知実ー
東京国立博物館では春の特別展「250万年の美術」が開催されていた。これは日本で初の旧石器が岩宿遺跡で見つかってから八十年を記念するもので、フランス・パリの人類学博物館(Musée de l'Homme)の協力のもと、二五〇万年前のオルドワン文化の石器をはじめとして、アシュール文化、ムスティエ文化、ソリュートレ文化、マドレーヌ文化といった前期旧石器時代から中期旧石器時代、後期旧石器時代にいたる様々な石器に加えて、日本の岩宿遺跡や白滝遺跡などの石器が一堂に会した展示となった。
この展示の特色は、それぞれの時代の石器を「アート」としてとらえる視点である。ひとつひとつの石器は、その製作に適した石材が選ばれ、それを割るための人間の「わざ」が用いられ、形として表された。教科書の記述や従来の博物館の解説でありがちだった、稚拙な技術から複雑な技術に「進化」していった、と説くのではなく、それぞれの石器は各時代、各文化の人々の美意識を表したものである、とするのが今回の展示の趣旨であった。
雑誌『アートライフ』の編集者、石川知実もこの展示の取材に訪れていた。『アートライフ』は、伝統工芸品を現代のライフスタイルに取り入れることを提案する隔月刊の雑誌であるが、伝統芸能やモダンアートなど幅広い分野もカバーしているため、美術界隈でも評価が高い。今回は「アートとしての考古学」というテーマで特集を組むようである。
そして今回の特別展の監修を行ったのが、共催団体でもある文化庁の文化財調査官、椎名恵子である。彼女は大学院で旧石器考古学を専攻し、フランスへの留学経験もある。今回の展示の実質的なキュレーターが彼女であった。
そして恵子は、知実の大学時代の友人でもあった。
「恵子、今回の展示、ほんとすごかったね! 石器の持つ造形美が、ストレートに伝わってきたわ」
「ともちゃんにそう言ってもらえると、照れるわ......」
二人は上野の仲町通りにあるバー「BAR LEON」でシードルを傾けていた。閉館後の博物館の展示室で、特別に恵子がギャラリートークをしてくれて、それを知実は取材ノートに書き記した。その後、ひさしぶりに一杯やりましょう、ということになって、博物館を後にし、美味しいシードルを取り揃えたこちらにやって来たのである。
「ここね、作家の梅田サクラコ先生に教えてもらったの」
「静かでいい雰囲気のところね」
「そういえば、バイトの後も時々こうして二人で一緒に飲んだよね」
「うん、あの時は私の彼氏のグチばかり聞かせてしまって申し訳なかったわ」
「いや、こっちこそ、あたしのダメ彼氏遍歴ばっかり聞かせてしまったわね」
「ふふっ......」
「それにしても、あの時メイドのコスプレしてお店に立っていたあたしたちが、こうして社会人として会って、一緒にお酒を飲んでいるって、面白いわよね」
「本当にそうね」
今から二十年前、京都大学の考古学の学生だった恵子と、立命館大学の美術史の学生だった知実は、祇園のメイドバー「メランコリック」のアルバイトとして一緒に働いた。今思うと、ミニスカートのメイド服にニーハイソックスを履いて、けっこうすごい格好をしていたな......と二人は思った。今日の恵子はパンツスーツ姿、知実は黒のパンツに縦ストライプの長袖シャツという格好である。
「あの時、ともちゃんにハッパをかけてもらったおかげで、今のこの仕事が出来ているんだと思うわ」
「ああ、あの時ね......」
知実はなつかしそうに視線を遠くに向けた。
二人が四回生となった四月、知実は早々に出版社への就職を決めた一方、恵子は人生の迷いのさなかにいた。恋人とはケンカをして、就職活動はうまく行かず、大学院に進学する決心も付かなかった。そんな中で、知実は「人は変わることなんてないし、うまく行かないのが分かったらスッパリ切った方がいいわよ」となぐさめたのであった。その言葉をきっかけに、恵子は恋人と別れ、就活を強制終了し、大学院進学に集中する決意をしたのであった。
「あの時......宏と別れる決断をしなかったら、そのままズルズル付き合って彼と結婚し、今頃は専業主婦をやっていたかもしれないわね......」
「......」
恵子がしんみりと言ったが、知実はそれを黙って聞いていた。恵子は、知実がすぐに何か言葉を返してくれるものと思って少し待っていたが、知実は何か考え事をしているようだった。
「......ともちゃん?」
「......あっ、ごめん。ちょっと......」
そう答えると、知実はちょっと顔を伏せた後、再び恵子の目を見つめて言った。
「恵子、実はね......あの時、あたしは恵子が恋人と別れてくれたらいいな......って、思ってたのよ」
思わぬ知実の告白に、恵子は驚きの色を隠せなかった。
いつも冷静沈着で論理的な知実......そんな彼女が、私的な感情を乗せた言葉をあの時に語っていたとは、にわかには信じられない思いだった。
「えっ......でも、どうして......?」
「それはね......あたしが、恵子のことを好きだったから......」
「......?」
「......ずっと好きだったの、ともだちとして、そして......」
知実の手が、恵子の手に触れた。恵子は一瞬、電気が走ったような感覚を覚えたが、手を引き込めることはなかった。
知実の手から体温が伝わってくる。それとともに恵子は自分の体温も上がっていくのが分かったが、それは決して居心地の悪い感覚ではなかった。
そして恵子の中からも、知実を愛おしく思う気持ちが湧き出てきた。そう、自分もずっと気持ちを抑え込んできたことに、今、気が付いたのだ。
「ともちゃん......私もよ」
「恵子......」
「私も......ともちゃんのことが好きだった。そしてきっと、今も......」
恵子は知実の手を今度は自分から握り返した。ふたりは見つめ合った。もう、言葉はいらなかった。
二人は、二十年前の忘れものを今、見つけることが出来たのであった。



コメント