『反ミームは存在しない』の訳者あとがきを公開します。【大好評発売中!】
2026年7月15日、ハヤカワ文庫SFよりqntm『反ミーム部門は存在しない』が刊行されました。ネット発、衝撃の本格SFホラー、大好評いただいています。
訳者の鳴庭真人氏による訳者あとがきを公開します。本書のもとになったオリジナル版と本書はどんな関係なのか。著者qntm氏はどんな人物なのか。ぜひお読みください。
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よろしければ、訳者あとがきの前に、こちらの記事もご覧ください。
・あなたは「反ミーム部門は存在しない」ことを知っています
・「反ミーム部門は存在しない」? あなたは手に持っている端末を、
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・『反ミーム部門は存在しない』は実在します。試し読みができます。
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訳者あとがき
本書『反ミーム部門は存在しない』は2025年に刊行されたqntm(クォンタム)のホラーSF長篇There Is No Antimemetics Division の全訳である。日常の裏に潜む超常的な脅威、通称不詳存在から人知れず世界を守っている秘密組織アンノウン機関。その中にひときわ特殊な部署があった。彼らが戦うのは〝反ミーム〟の怪物、すなわち自身に関する情報を隠蔽し、関わった者の情報を喰らってしまう存在だ。そうした敵を相手にすることは、ときに味方からすら忘れ去られる危険で過酷な戦いを意味した。そんな反ミーム部門を率いる歴戦の部門長マリー・クインはあるとき自分たちが長い長い間それと知らないまま、とある敵と戦い続けてきたことに気づく。だがその認識そのものが彼女たちの敵、想像を絶する強大にして凶悪な敵を目覚めさせてしまう……。
社会の表層から隠されている超常的な存在や現象と戦う組織という設定は現代のポップカルチャーではおなじみのものだろう。本書中で言及されている「X‐ファイル」もそうだし、SF読者であればチャールズ・ストロス『残虐行為記録保管所』(早川書房刊)を思い出すかもしれない。本書も基本的にはそうした流れを汲みつつ、しかしある1つのアイデアを核にしてまったく独創的な世界を築き上げている。
そのアイデアが反ミームだ。生物学者リチャード・ドーキンスが提唱したミームは自己複製し拡散する情報のこと。ではその逆があるとしたら? 知られることを拒み、知った者の記憶を消そうとする情報があったら? 記憶を消去してくる敵をどう認識し、どう戦う? 反ミーム的な性質を持つ自然動物がいたら? 作中に登場する観念の生態系のように、1つの着想からイマジネーションが次々と花開いて未知の世界を広げていく。こうした数々のアイデアに知的好奇心を刺激され、その世界をどこまでも見て回りたくなることこそはSFの醍醐味の最たるものだろう。さらに記憶というごく身近なテーマを扱っていることから、ふと自分の身に当てはめて世界の見え方が変わってしまい、うそ寒くなるような怖さも本書にはある。
一方、そうした緻密な物語世界を構築しながら、語りすぎないこともまた本書の魅力だ。映像的な文体で場面をさりげなく描出し、あとは読者の想像力と観察眼に委ねる。読んでいて気になった点があればほんの少しだけ注意深く読み返してみると、新たな発見があるかもしれない。
S派とF派、アイデア派とスタイル派のような言い方をしなくなって久しいが、あえてその伝でいくなら本書は両者のハイブリッドであり、出自こそ伝統的なSF出版ではないものの、英国SFの正統な後継者の1人とさえいえるかもしれない。
出自の話が出たところで、本書の成立過程に深く関わっているSCPプロジェクトとの関係についても触れておこう。SCPについてはすでに本邦でも広く知られているので簡単にまとめると「超常的な存在を回収・秘匿しているSCP財団と呼ばれる組織を題材にした英語圏発のシェアードワールド創作プロジェクト」ということになるだろうか。著者が最初に反ミームというアイデアを扱った記事をSCPのWikiサイトに投稿したのが2008年、そこから謝辞にある通り2015年から2020年にかけて本書のベースとなるエピソード群が投稿され、これを1冊にまとめたものが著者の個人出版で2020年に刊行された。足かけ10年以上にわたり温められてきた物語だったわけだ。本書はライセンス上の理由からSCP関連の記述を削除してオリジナル作品とした上で大幅に改稿したものとなり、SCP版とは例えば次のような差異がある。
固有名詞の全面的な変更
エピソードの追加・変更とおおむね時系列順への並べ替え
舞台をアメリカからイギリスへ変更
『テメレア戦記』が〈ジャック・オーブリー〉シリーズ(ハヤカワ文庫刊)の、『フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ』(ハヤカワ文庫刊)が『トワイライト』の二次創作から生まれたように、ある作品が既存作品の派生作として出発することは21世紀の創作では珍しいことではないが、本作もまたSCPの派生作として出発し、そして──訳者の贔屓目と言われてしまうかもしれないが──話の大筋は変わっていないものの、大幅な改稿によって格段に完成度が上がったと思う。商業出版レベルの編集・校正が入ったからと言ってしまえば簡単だが、著者の意思が物語の隅々にまで行き届いている感覚がするのである。
本筋に絡まない小さな例を挙げれば、主人公の名前がマリオン・ウィーラーからマリー・クインへと変更されたというのがそうだ。クイン(Quinn)は5を意味する接頭辞(Quin-)を連想させるから、物語の中心となるクイン夫妻は5が2つ、すなわち反ミームの象徴であるU-0055と鏡像関係にある存在であることがこの名前からすでに暗示されている。こうした細かなチューニングを数多く施されたことで、本書はそのポテンシャルを最大限に開花させた。
なお、商業的な都合からそうしたとはいえ、謝辞にあるように著者はSCPプロジェクトへの敬意と感謝を今でも抱いており、普通名詞ではあるもののSCPを想起させる用語──たとえば収容、サイト、アノマリーなど──は作中に残されている。そのため、翻訳でもこうした用語は踏襲している。
作者のqntmことサム・ヒューズは1983年に英国で生まれた。10代のころからSFに親しみ、自分でも執筆に手を染めオンライン投稿サイトで公開していたという。影響を受けた作家にはテリー・プラチェット、ダグラス・アダムズ、アイザック・アシモフ、アーサー・C・クラーク、もう少し後年ではイアン・M・バンクスがいる。
IT業界に就職し、ソフトウェア開発者として活躍するかたわら──彼の開発したゲームとして意地悪な単語当てゲームAbsurdleや高難易度テトリスHATETRISがある──執筆を続け、ウェブで連載してから書籍としてまとめて個人出版で刊行するという執筆スタイルを確立した。個人出版も含めた作品リストは次の通り。
Ed(長篇・2013年)
Fine Structure(長篇・2018年)
Ra(長篇・2018年)
There Is No Antimemetics Division(長篇・2020年)
Valuable Humans in Transit and Other Stories(短篇集・2022年)
商業出版版『反ミーム部門は存在しない』※本書(2025)
Ed は超天才少年の物語、Fine Structure は物理法則の改変をめぐるハードSF、Ra は魔法が工業化された世界での改変歴史小説と題材は多彩だが、いずれもアイデア中心のSFと宇宙規模のスケール感を独自の装いで見せるという点で本書に通じるものがあるだろう。また、短篇集には現代英国SFを代表する作家の1人チャールズ・ストロスが紹介文を寄せている。ストロスは以前からqntmを新世代のSF作家として高く評価しており、2022年のローカス誌のインタビューでは短篇“Lena”(最初期の意識アップロードに参加した人物の悲劇を描いた作品)を例に挙げ、その実存的な恐怖をグレッグ・イーガンの諸作になぞらえている。
そうした前評判の高さも手伝ってか、本書は2025年のリリース当初から各所で高い評価を受け、本稿執筆時点で2026年のアーサー・C・クラーク賞にノミネートされている。また、この日本語版も含め各国語版の翻訳も続々と刊行されており、ドイツ語版は早くも同年中に刊行され、2026年のクルト・ラスヴィッツ賞の翻訳書部門にノミネートされた。
こうなると次作への期待もがぜん高まってくる。出版社とは本書を含めた2冊の出版契約を結んでいる。その2冊目が本書の続篇なのか、それとも個人出版作品のリライトなのか、はたまたまったくの新作なのか、本稿の執筆時点では何も公表されていない。それでも1つだけ確実なのは、また作者一流の切れ味の鋭さでわたしたち読者をあっと言わせる作品だろうということだ。作者の今後の活躍に期待しつつ、まずは本書の世界を心ゆくまで味わっていただきたい。
「はじめまして? いえ、あなたは反ミーム部門の一員です」――異常な存在”アンノウン”を収容・研究する秘密組織〈機関〉。その反ミーム部門が扱うのは、対峙した相手の記憶や記録から自らを抹消し、認識されることを拒む存在である。それがいま人類世界を侵蝕しようとしている。取りこまれれば自身の存在自体すら消去される相手に、部門を率いるマリー・クインはどう立ち向かうのか? ネット発、衝撃の本格SFホラー
『反ミーム部門は存在しない』
qntm 著
鳴庭 真人 訳
装画:子畑 装幀:坂野公一+吉田友美(welle design)
ハヤカワ文庫SF/電子書籍版
1,760円(税込) 2026年7月15日発売


