「戦争はだいたい恐怖から始まる」憲法学者・木村草太が説く。スマホのショート動画に、愛や思いやりを奪われないで
右傾化する社会で、差別や分断がすぐそばで起きている。差別を生み対立をあおる勢力やその同調者と、抵抗する人々との分断という、ギスギスした空気が息苦しい。こんな状況が生まれるのは、差別をあおることで利益を得る人がいるのが一因だと、憲法学者の木村草太は話す。 【今こそチェックしたい】木村草太オススメの「本」 「差別というのは何かの対象に対して否定的な感情を向けることと、私は定義しています。イライラが募れば当然何かの集団に対して、排他的な感情を向けて自分の心の平衡を保とうとするのはよく見られる現象です。差別は利益を生むものであり、差別的コンテンツは依存性があります。だから依存しやすい人にターゲットが当たるとさまざまな形で収益を上げることができる。また政治家の場合は、それで得票がかなり手堅くなったり、敵対候補を攻撃する手法になったりするので、依存性のある差別は強い力になります」。 依存性のあるコンテンツや、分断をけしかけるような単純な二元論に取り込まれないためには、どのようなことに気をつければいいだろうか。 「人間の脆弱(ぜいじゃく)性を突いて、依存性のある手法で商売や政治が行われていることに、まず自覚的になること。これが個人的な防衛策です。社会的な目で気をつけたいのは、そういう行為自体が卑しいものであるという価値観を、社会として持っておくことが必要だと思います」 多数派とはべつの考えを持つ人や、ゼロ対百的な思考を嫌ってバランスを取ろうとする人は、少数派に追いやられているように見える。大きな流れにのみ込まれないためには、日和らないことが重要、と木村。「反対側にいる人たちの言うことにも一理あるのではとか、言っていることが破綻していても思い自体は受け止めるべきではないか、そういう意見もあるかと思いますが、そうやって部分的に陣地を譲っていくと悪い方向へどんどん向かっていきます。だから、譲ってはいけない陣地があると考えておくことが大事です。先ほどの話でいうと、例えば依存に基づく広告やコンテンツの手法には限界があって、それは人間の心の操作には限界があるからです。操作的な手法がいちばん効くのは、何かにこだわりがないという部分。つまり操作の対象にされがちなのは『どっちでもいい』こと。だから、脆弱性を突いた操作をしている側は、『この分野は割とどうでもいい』という部分をごっそり取っていくんです。そうされないために、まずは正しいことは正しいという定見を持って陣地を押さえる。これはとても大切なことです」。 差別や分断が進む社会では、ないがしろにされる愛や思いやりの価値。再度その意味を考え直すときが来ている。「人間一人一人の中にもさまざまな価値観がありますが、愛や思いやりのない人はそんなにいないものです。だから希望は捨てず、定見を持ち、日和らないことが、愛や思いやりの価値に気づく上でも大事です。また、愛や思いやりを発見するには時間がかかります。会って数分数秒で相手に愛情を持つことは普通はないもの。長い関係の中で愛着の念や思いやりが生まれて、それが愛を生んでいく。人間が端的に求められたときに使っている感情と、長期スパンで判断を求められたときのそれはかなり違っていると理解すべきです」 またそれは、政治的な局面での決定においても同様だ。「近代国家では政治的なことを決める場合、一定程度時間をかけて行うように、いろいろなところで設計しています。これは切羽詰まって『あと10秒で決断してください』という状況になると、使える材料は恐怖や怒りという感情になる。非常に短時間だと愛や思いやりという感情を使うより、べつの感情で動かざるを得ないんです。だからこそ少し時間をおいてみることが必要になります。政治的判断の場面でも、もちろん短時間や直感での判断をしなくてはいけないときもありますが、それには危険が伴います。今回のアメリカのイラン攻撃についても、かなり短い時間で直感的に判断されたのではないかと、だんだん明らかになってきています。時間をかけるとき、そうでないときと、バランスを取ることが必要です」。 判断によってはじっくりと時間を費やす。それを心がけるには、何に注意すればいいだろう。「私の考えでは、まずよく寝ること。これは結構真剣な話で、つまり疲れていると人間は腰を据えて何かに向かい合うことが難しい。厚い本を読むよりも、スマホでどうでもいいネットニュースやショート動画を見てしまい、ひどくなると眠いのに眠れなくなる悪循環が始まる。これは、依存症的な情報で報酬を得ている提供者側の思うつぼなわけです。しかもこの流れは決して画面だけではなくて、もっと生活に根深く浸透して存在している。そこに取り込まれてしまうと、愛や思いやりという方向の価値観は発揮できなくなってきます」 戦争に向かう社会をつくらないために何をすればいいかが喫緊の課題。愛や思いやりの価値観、さらにどんな視点や姿勢を持っておくべきだろうか。木村は、恐怖に対する自己拘束のラインを決めておくといいと語る。「戦争はだいたい恐怖から始まるもので、恐怖に基づく行動には際限がないんです。今回の戦争を見ても、たとえアメリカがイランに勝利したとしても、もっと恐れる存在が出てくるとその存在とも戦争をしなくてはいけなくなる。それが繰り返し続くわけです。恐怖に駆られると限りがなくなってしまうので、それを避けるために、これには手を出さない、この先はやってはいけない、という自己拘束のラインを持っておきたい。今の国際情勢を背景に、自衛隊の防衛力の強化などの政策を取っていくことになりますが、そうした政策を進める上で、やってはいけないことを同時に考えておいて、ここまでと自分たちで拘束するライン、合理的と考えられるようなルールを決めておく。だから、まずは国民の側から政府や政策担当者に、どこがラインなのか、どういう自己拘束を設けているのかを問うていくことが重要だと思います」
Editor: Mina Oba From Harper's BAZAAR July/August 2026 Issue