インスタント短編小説「世は歌につれ」


壁の体温計に目をやると
気温はすでに45度を超えていた。

オフィスの冷房は
絶望的な音を立てて稼働しているが、
熱気をかき混ぜているだけに等しい。

私は額の汗を拭いながら、
モニターに次々と表示される
読者からの苦情メールを
ぼんやりと眺めていた。

『お前らがくだらないスキャンダルを
書き立てている間に、
海面が上がって家が沈んだぞ!』

『増税法案が通ったなんて
一言も書いてなかったじゃないか。

おかげで薬も買えない!』

『地球が燃えているのに、
どうして昨日のトップ記事が
アイドルと議員の密会なんだ!』

もっともな意見だ。

反論の余地は微塵もない。

私は社会部の記者として、
来る日も来る日も
記事を書き続けた。

読者の目を引き、
クリック数を稼ぎ、
部数を伸ばすためだ。

大物議員が料亭で何を食ったか、
誰と誰が不倫したか、
失言の語尾がどうだったか。

私たちはそれを、
まるで国の存亡を懸けた
一大事件であるかのように、
巧みな言葉と
大げさな見出しで飾り立てた。

一種の詩歌のように、
事実を比喩や暗喩でコーティングして。

しかし、私たちがその
「くだらない詩」を詠唱している間、
国会では重要な法案が次々と可決されていた。

環境規制を大幅に緩和する法案、
医療費の自己負担を極限まで引き上げる法案、
大企業への無制限な補助金を決定する法案。

結果として、経済は崩壊し、
新しい感染症が蔓延し、
地球温暖化は臨界点を突破した。

外を歩けば人が熱中症で倒れ、
救急車はガソリン不足で動かない。

私たちが言葉遊びに興じている間に、
世界は茹で上がってしまったのだ。

私はキーボードに手を置いた。

せめてもの贖罪として、
明日の朝刊に載せる「お詫び記事」を
書かなければならない。

詩歌の難解さを逆手にとった、
極めて直接的な訂正記事を。

これまでの見出しは、
無関係な単語を繋げただけの
駄文に等しかった。

だからこそ、その横に
括弧書きで「本当の意味」——
つまり、
その日に本来トップで報じるべきだった真実——
を添えることにしたのだ。

私は過去の自分の記事を引っぱり出し、
狂ったようにタイピングを始めた。

【お詫びと訂正】

読者の皆様へ。

これまで本紙が報じてまいりました
数々の記事について、
重大な事実の欠落がありました。

本来お伝えすべきであった真実を
括弧内に記載し、
ここに深くお詫び申し上げます。

・「与党幹事長、
料亭で高級メロンを前に
沈黙の3分間!
疑惑の真相は」

(※その裏で、
二酸化炭素排出規制の
無期限凍結法案が
強行採決されました)

・「人気女優と若手官僚、
お泊まり愛発覚!
愛の逃避行の行方は!?」

(※同日、医療費の窓口負担を
7割に引き上げる医療制度改悪案が
可決されました)

・「野党党首、
国会で痛恨の言い間違い!
『コンセンサス』を
『コンデンスミルク』と発言し議場騒然!」

(※同時刻、大規模な森林伐採を許可する
国土開発法案が成立し、
生態系破壊が決定づけられました)

・「速報:あの不倫議員が復帰会見!
涙の謝罪で語った『家族への愛』とは」

(※この日、富裕層に対する特別減税措置と、
消費税の25%への引き上げが決定しました)

・「独占スクープ!
首相のネクタイの柄に隠された秘密のメッセージ!」

(※同日夜、異常気象に対する国家非常事態宣言の要請が、
政府によって正式に却下されました)

記事を書き終えたとき、
窓の外では
夕日が血のように
赤く空を染めていた。

空調の音だけが虚しく響く。

この記事が出たところで、
上がってしまった気温が下がるわけでも、
枯渇した財布に
お金が戻ってくるわけでもない。

読者はますます怒り狂い、
新聞社には石が投げ込まれるだろう。

しかし、これが真実の翻訳だ。

私たちが書き連ねてきた
無意味な言葉の羅列の裏にあった、
恐ろしい本当の意味。

私は「送信」ボタンを強く叩いた。

画面が切り替わる。

外からは、
また遠くで救急車のサイレンらしき音が聞こえたが、
それはすぐに熱波の中へと溶けて消えていった。

いいなと思ったら応援しよう!

コメント

コメントするには、 ログイン または 会員登録 をお願いします。
小ぶりなプログラムを試しに作っているんですが、 ここではその説明書きをしていこうと思います。 こういう機能をつけてみてほしいだとか要望は、 コメント欄か、Xのリプライ欄に書いてみて下さい。 ひまをみて対応します。 (未管理著作物裁定制度に定められた問い合わせも受付中。)
インスタント短編小説「世は歌につれ」|古井和雄
word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word word

mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1
mmMwWLliI0fiflO&1