今日だからと言って特別に書く訳ではないが、やはり何か綴っておかねば落ち着かないので、「師匠」シリーズをもう少しだけ。
師匠が僕の仕事を手伝ってくれたことは、実は2、3度くらいしかない。
もちろん常に師匠におんぶにだっこという訳にはいかないので、僕なりに一生懸命、時には自分より若い後輩たちを使ってフィルムを作り続けた。
若い頃、『週刊ストーリーランド』という、日テレのゴールデンタイムにアニメを流すバラエティ、となんか妙ちくりんな番組の仕事を任されていた。
ウィキを見る限りでは6本やったということになっているが、その内「母が残したアルバム」というエピソードが、何と別に担当していた『ジャングルはいつもハレのちグゥ』とスケジュール的に完全にバッティングし、同時並行で作業する事になってしまった。
まだ演出を始めて2年目くらいの若造に良く会社はこんなことを押し付け……いや任せたなと思うが、当時の僕は燃えに燃え盛っていたので、ああやってやんよ!と二本とも受けた。
結果『ストーリーランド』の作画母体はアニメーションDoで、『ハレグゥ』は京都でやることに決まった。
しかし僕は当時どうしていたのだろう?多分昼間Doで作業して、夜京都に戻って作業するという、とんでもない二重生活をやっていたように思う。
東京の演出家は5本くらい同時で持つのも当たり前だと聞くが、僕は一本一本を完璧にやりたかった。だから妥協は決して許さなかった。
しかしこれではどうしてもスケジュールに乗らない。そこで師匠が『ストーリーランド』のレイアウトをほぼ全部切ってくれることになった。
おお!これは助かる!僕は小躍りして師匠にカットを預けた。
しかし……。
上がって来たものはかなり描き飛ばしていたもので、まずほぼフリーハンド?いや定規は使ってたか、でも非常に適当な線で描いたものだから垂直線・水平線がガタガタで、家の構造としてもかなり怪しいものだった。
先程書いた通り僕は燃えまくっていたので、これにキレた。
師匠のレイアウトは絶対不可侵、手を入れるのはご法度、というのが当時の会社の常識だったのだが、僕はバンバンレイアウトを直し始めた。
しかも普通演出修正は元の絵を尊重する、という謎の慣習から上に修正用紙を置いて直すものなのだが、僕は当てつけも含めて元絵に直に手を入れた。
これは頭に来た時今もやる手だが、要は喧嘩を売っているのだ。
「お前の絵は使えん!消す!」と言っているようなものだ。
僕はそれを、よりにもよって師匠の絵にしてしまった。
いやぁ、武勇伝にするにはさすがに気が引ける、恐れ多い行為だ。
とどめはクライマックスのカット、嫁に行く主人公がウェディングドレスを見て泣き崩れる、といった内容だったのだが、打ち合わせ時に師匠が、
「これパースおかしいよ!」
僕が、
「いやこれでいいんです!ウソでいいからこのレイアウトにしてください!」
ひと悶着あったのだが、上がったレイアウトに師匠の字で、
「これ嘘パース」
と書いてあったもんだから、またブチン!と来て、その字を消した。二重線で消したんだっけな?当てつけだ。
「言われた通りやれ!!」と師匠に言うようなものだから、まぁー当時の僕の狂犬ぶりが見て取れるだろう。
で、師匠はどうしたか?
どうも自分のレイアウトを僕がガンガン直しているというのを聞きつけたらしい。怒るかと思いきや、どうも恐縮してしまったらしい。
天才アニメーターとして名を轟かせた自分の絵がまだ年端も行かぬ弟子に直されている、その事にキレるどころか、申し訳ないと思ってしまったようだ。
しかしプライドももちろんあるものだから、後日師匠と会った時、はっきりとした文言は覚えてないのだが、
「なんか、大変だったみたいだね」
と言われたと記憶している。その時の師匠の表情だけは今でも鮮明に覚えている。まぁ、萎縮した顔だった。
師匠であろうが天才アニメーターであろうが、手抜きは絶対許さない。僕の方針が師匠に伝わった瞬間だった。
まぁだから、仕事で組むことは滅多になかったったんだろうな、とは思うが(苦笑)。
あ、因みにスケジュールが切迫していた『ストーリーランド』と『ハレグゥ』ですが、なんと後で調べたら、OAがたった二週間の違いだったらしい。
俺どうやって切り抜けたんだ??









