シキはどこに3

「―――え?」


 先頭にいたソフィアが足を止めたのと、トトナが幽かな違和感を覚えたのは殆ど同時だった。

 トトナは、足を止めたソフィアの背中に近付く。


 新鮮でひんやりとした、朝の森の空気。


 そんな森の中に空気の層があるかのように、突然違和感の正体がはっきりとする。トトナが一歩足を踏み出した瞬間、血の臭いが一段と強くなった。

 錆びた鉄みたいな、それでいて腹に溜まるような重く生ぐさい臭い。


 嫌に冷たい感覚が、トトナの胸内に広がる。


 重たい空気を掻き分けるようにトトナは走り、急いでソフィアの隣に着く。


 異臭の正体。


 草木に囲まれた森の中。

 そこにあったのは、ぽっかりと地面に空いた、人間が入れそうな小さな洞穴。

 ただ、少しおかしい。

 影のように蟠っているソレは、よく目をこらせば赤黒く色付いていて――――。


 理解して、トトナの心臓がどきんと大きく跳ねた。


「―――ぃや……いやっ!」


 確かめる為に、トトナはソレに一目散に駆け寄る。


 近付けば、良く分かる。

 穴だと勘違いしたソレは血溜まり。

 地面に吸われなかった血だった。


 洞穴だと勘違いしたのは、あまりにも異質な光景で脳が受け付けなかったのだろう。

 それでもトトナはその場で膝をついて、祈るような気持ちでソレに触れる。


 指に染み付く、冷たい赤黒い液体。


 疑いようのない、皮膚と血が混ざった酷い臭い。


「――――」


 心が裂かれていくような感覚。

 これが誰のモノだったのか、言うまでもない。


「ソフィア!? 立ち止まってどうした! 森猿に囲まれるぞ!」


「ルーカス、指示を仰ぎたい! ちょっとこれを見て!」


 殿を務めていたルーカスが合流したらしい。

 膝をついているトトナの頭の上で、ソフィア達が何事かを話し合っている。


 しかし、それを気にする事なくトトナは焦点の定まらない瞳で必死に周囲を見渡す。


 体がどこにもない。


 一目で重体、もしくは死亡していると分かる程の出血量。それなのに、外傷を受けている筈の体が何処にも見当たらない。

 体のパーツが何も見当たらないのだ。


(先輩はどこに……もしかして食べられ……いや、なんで……もう会えな―――)


 ぐちゃぐちゃに荒れる思考の渦の中で、トトナの鼻が一瞬シキの匂いを感じ取る。

 勢い良く顔を上げて、トトナは咄嗟にそれに飛び付く。


「―――え、ちょっと!? トトナちゃん!?」


 掴めば、それはソフィアが腕に掛けていたシキの外套だった。構うことなく、トトナは無理やり自分の方へ引っ張る。


「ま、待ってトトナちゃん! 今そんな事してる場合じゃ――――」


「返して! わ、私のだから!」


「っえ? わ、分かったからそれよりも森猿の対処を――――」


 頭上の枝から、木から木に飛び移るガサガサという騒がしい音が聞こえる。

 そんな中で、トトナはソフィアから奪うように取った外套を胸に抱き締める。


「シルヴィ! サーシャを守れ! 『水雲』の信仰術を使え!」


「もうやってる! てゆーか面倒だから温存してた分まで使っていい!?」


「まだ駄目だ! 合図するまで待ってくれ! それより僕が魔獣を一か所に引き付けるから、その時に皆で頭上にいる森猿を全て―――」




―――――――――――――――――――――――

―――――――――――――――

――――――――――



◇◆◇◆◇



 シキの行方が分からなくなってから六日が経過した。

 トトナは、手に握っていた今朝届いたばかりの記録書を床に落とす。


「……」


 昼間のはずなのに、カーテンで閉め切られた部屋の中はトトナの心情を表しているように真っ暗だった。


 あれから、トトナは『紅』のメンバーと二つの班に分かれシキを捜索してみたものの、結局その日にシキを見つける事は出来なかった。

 森猿は草食で肉を消化する事は出来ず、人を食べる為に襲う魔獣ではない。

 それでも、万が一を考えて襲ってきた森猿の腹を割いて確認してみたが、それらしいモノは何も見つからなかった。


 次の日。一日中捜索をしたが、この日もやはりシキは発見出来なかった。

 血溜まりのあった場所を中心に探し、付近の茂みや下草を刈り、土を掘り返しても遺体どころか、体のパーツも見つけられなかった。

 あの森には森猿以外にも魔獣が生息している。

 丸一日経過している時点で、もし魔獣が遺体を食べてしまったのであればもう永遠に見つける事は出来ない。


 そして、三日目。呼んでいた応援部隊が到着する。捜索をするに当たり他人に能力は見せられないということで、『紅』とトトナは一度都市に帰還することになった。

 捜索隊にトトナも参加したかったが、紅のメンバーからの一度休息を取るべきという説得と、何よりも捜索の邪魔になるだろうと聞かされては、泣く泣く帰るしか選択肢はなかった。


 そして四日目、五日目が過ぎ。


 六日目の朝。


 捜索は打ち切られたという報告が、捜索の結果を載せた記録書と一緒に届けられた。

 記録書によれば、結局何も見つけられなかったらしい。

 それなのに捜索を打ち切られた理由は、魔獣の出没する警戒区域での捜索が困難を極めたからではなく、シキは既に死亡したものと思われているのだろう。


「……」


 自分は、これからどうすればいいのか。


 何か言葉を掛けてくれる人間はもうここには居ない。


 何も気力が湧かない。

 疲れていないのに、体が弛緩していて何も出来ない。

 

 顔を横に向けて、机に突っ伏す。

 真っ暗闇の中、何も見えない虚空を見つめる。


 自分が今、目を開けているのかすら自覚出来ない。



『――――トトナがしっかりとしているから、俺も安心して皆の前に立てるんだ』



 幻か、夢なのだろうか。


 ふと、暗闇の中にそんな言葉と共に少し幼いシキの姿が思い浮かぶ。

 それは、かつて自分が従者になってからシキに言って貰った言葉であり、トトナを今まで支えてくれていた言葉でもあった。

 

(……そうだ。私が、しっかりとしなければ……)


 酷く脱力感のある体に鞭を打って、無理やり体を起こす。


 ――――シキは神官という職に就いているのにどこか適当というか、少し抜けている所があった。

 そのせいで、周りから舐められるという事が度々あった。


 人を救っても感謝をされるどころか、なんでもっと早く来なかったんだと罵倒をされ、同業の神官からは信者を集められない奴と小馬鹿にされる事も少なくなかった。


 神官という職業は人前に立つ職業だからこそ、それに相応しい立ち振る舞いが求められる。

 それは分かっているが、人を本気で救おうとしているシキが笑いものになっているのが理解出来なかった。


 悔しかった。


 だからこそ、トトナは心を鬼にして何かあればシキに指摘するようにしていた。

 全てはシキの為になると信じ、そして、そうすればあの頃のように褒めてくれると思っていたから。


(わたしが、支えないと、あの人は……)


 きっと、今もどこかで自分の助けを必要として待っているのだろう。

 見つけたら、報告を怠った事を叱責しなければ。


 それが自分に求められている役割であり、そして真面目さしか取り柄のない自分に出来る唯一のことだった。

 シキに提言出来る存在は、自分しかいないのだ。


 机に手をついて、立ち上がる。


 ぐるんぐるんと頭の中が回っているような、クラクラする感覚。

 気持ち悪いが、歩けない程ではない。


「……」


 コート掛けに掛けられていたシキの外套を手に取り、自分を包むように羽織れば少しだけ気持ち悪さも収まる。


 向かう先は決まっている。


「……ああ。あれも、持っていかないと……」


 思い出して、物入れの奥に隠していた背嚢を引っ張り出す。

 重量感のある背嚢を背負えば、中から硬質な物が擦れる音が聞こえてきた。


 ――――本当は、このお金は先輩と一緒になる為に貯めていたお金だったのに。


 用途が変わってしまい、泣き出したい気持ちを必死に抑え、振り切るように扉の取っ手を掴んだ。



◇◆◇◆◇



「―――ふゎ」


 無意識に漏れそうになった欠伸を受付嬢は噛み殺す。

 そして、慌てて目だけを動かして誰にも気付かれていないかを確認する。隣のカウンターで書類作成をしている二人の受付嬢を窺い見て、ホッと息を撫で下ろす。

 いくら冒険者が居ないとは言え、斡旋所の顔となる存在がしていい行動ではない。


 ――――しかし。


 それにしても、暇だ。


 昼間過ぎだと言うのにロビー内は斡旋所の職員以外に誰も居らず、ガランとしている。

 信仰術で動かされている計算機が数字を弾き出す際にパチパチとした音を立てているのみで、ロビー内は病院のような静けさがあった。

 そして、吹き抜けの二階の窓から射す暖かい日差しがトドメと言わんばかりに眠気を誘う。


(正直、暇が一番つらいのよねー……。これなら斡旋所が統合されてた時の方がまだ良かったな……)


 心の中で、受付嬢は小さくボヤく。


 斡旋所には幾つか種類があるが、大別すれば二種類に分けられる。

 等級の高い冒険者が集まる特殊斡旋所と、等級の低い冒険者が集まる一般斡旋所だ。


 ここは特殊斡旋所に分類される。


 一般の斡旋所と違い、主に国からの依頼や内密かつ緊急性の高い依頼を取り扱っている。

 秘匿性の高い依頼を多く扱う都合上冒険者の数も質も厳選せねばならず、結果的に窓口の仕事としては少ないものとなる。


 一応、一般の斡旋所でも取り扱えるような簡単な依頼も取り扱っているが、費用面を考えれば釣り合いは取れない。

 確実性を求めて特殊斡旋所へ来る依頼主も中にはいるが、そんなものは極稀だった。

 金持ちほど優秀な神官にツテがある。わざわざ斡旋所を通す必要は無い。


 忙しい時は本当に忙しいが、暇な時はしばらく暇だった。


 もう一度欠伸が出そうになり、何とか堪える。そして、小さくため息を吐く。

 その時。


 ガチャリと斡旋所の扉が開かれ、冷たい風が流れ込んで来る。

 受付嬢は瞬時に思考を切り替え、姿勢を正す。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用向きでしょう?」


 眠気など微塵も感じさせないハツラツとした喋り方で、受付嬢は目の前の外套を被った少女を見る。


 精巧な人形のような、表情の乏しい小柄な少女。

 しかし近くで見れば、その美貌を引き立てる白い肌はうっすらと紅潮していて、特に目元は泣いた時のように赤みがさしていた。

 髪と同じ色の紫の瞳は僅かに潤んでいて、無表情だが鮮烈な強い意志が感じ取れた。


 ――――なにかあったのか。


 真剣な眼差しで、受付嬢は少女からの返事を待つ。

 数瞬経って、少女は呟くように話し出す。


「依頼の発注をお願いしたいです。人を探しています」


「えっと、捜索のご依頼ですね。承りました。こちらで見積もり金額を計算致しますので、まずは詳しい内容をお聞かせ願えますか?」


「……」


 受付嬢が言うと、少女は背負っていた背嚢を降ろし、カウンターの上にゆっくりと置いた。

 どうしたのだろう? と受付嬢が首を傾げると、少女はその背嚢の口を開いた。


 そこには、幾つもの金属の輝きがあった。


「これは……」


 そこにあったのは大量の貨幣。それも、この国で使用出来る中で最も価値の高い貨幣だ。

 まさか依頼費用が現金で手元にあるなんて思わず、受付嬢は一瞬固まってしまう。

 言うまでもなく大金だ。

 この辺りは治安はいいが、持ち運ぶにしても最低でも金庫に入れて持ち歩くべきではないだろうか。


 少女が大金を持ち歩いているという事実に疑問を覚えた受付嬢は、差し出された背嚢の中身には触れず、質問を投げ掛けた。


「失礼ですが、何か身分証のような物などはお持ちでしょうか? この質問は他の依頼主の皆様にもしているものですが、気分を悪くさせてしまったら申し訳ございません」


「いえ」


 頭を下げる受付嬢に気にする様子もなく少女は懐から小さな金属板を取り出し、それをカウンターの上に置いた。


 そこで、すぐに疑問が氷解する。


「ああ、冒険者の方でしたか。失礼しました。それでは、この認識票をお預かり致しますね」


 冒険者であれば、これだけの大金を持っていても何ら不思議ではない。それに仮に襲われても自衛は出来るだろう。


 差し出された認識票を手に取って、受付の近くに配置されている識別機の口にそれを差し込む。

 カチリと嵌った音が鳴って、少しずつ情報が開示されていく。


「――――出ました。パーティー『花虫』のリーダーのトトナさんですね。……へぇ、おひとりのパーティーだなんて珍しいですね」


「は……?」


 受付嬢が確認の為に告げた瞬間、目の前の少女の顔が変わった。

 意味が分からないと言わんばかりに、コチラを見詰めてくる。

 何か間違っただろうかと、受付嬢は慌ててもう一度表示されている文面を見るが、特におかしい部分は見当たらない。


「……私のパーティーのリーダーは先輩です。私はリーダーではありません」


「え、えっ? そうなんですか? で、ですが確かに書類には……?」


 登録されている内容と少女の意見が食い違い、受付嬢は混乱する。

 パーティーを新しく組む際に、何かしらの手違いやミスがあったという事なのだろうか。


 良く、分からない。


 変更された情報はすぐに反映される為、反映に時間が掛かっているという事も無いはずだ。


 訳が分からず固まっていると、これまで会話を聞いていたらしい隣の受付嬢から腕をつつかれた。


「ちょっと、私に変わってもらってもいい?」


「え、ええ。お願い」


 受付嬢はすぐに了承して、立ち位置を変える。


「―――担当変わりました、フレアと申します。改めて、トトナ様の仰っている『人探し』というのは旧知のご友人や古いお知り合いの所在調査ではなく、行方不明者の捜索願いという旨でよろしいでしょうか?」


 



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